◆繋がった記憶の糸口◆

 朝方、ようやく眠ったはずなのに、シュンは目覚ましよりも早く目を覚ました。

(……あの声。あの静かな呼吸。夢じゃない)

ユイとの通話で交わしたやり取りが、頭の奥に残っていた。特に、最後の言葉。

『たとえば、私が違う名前で、違う場所に立っていたとして。あなたは、それでも私だって気づけますか……?』

まるで、誰かが──いや、“彼女”が、どこか別の誰かになってしまう未来を前提にしていたかのような言い方。それは、ただの比喩なんかじゃない。

(変わる……何かが、確実に)

ZIXIの通知音がスマホを震わせた。

《未再生ログ:2007年5月1日 タイトル:Theater_Memory01.wav》

昨日開こうとした未公開ログ。シュンはためらいながらも、再生ボタンを押した。

◆音声ログ:2007年の記録◆

 ノイズ混じりの環境音。何人かの子供の声。そして、演出家らしき男性の声が響く。

『──ハヤト、もう少し感情を抑えてみて。抑えたまま“想い”を込めるんだ』
『……分かりました。』

その応答の声に、シュンは息を呑んだ。

(……この声)

まるで胸の奥を直接揺さぶられるような感覚。低く、静かで、それでいて確実に“何か”を伝えてくる響き。

(……俺の声に、似てる。いや、それ以上に……何かが、共鳴してる)

脳の奥底に埋もれていたはずの記憶が、今その声に触れられたことで、ゆっくりと輪郭を取り戻していくようだった。

(俺の声に……似てる)

間違いなかった。以前俳優やっていた時に、稽古中に言われたことがある。

──来栖くんの演技って、誰かに似てる。“今井ハヤト”に。

ずっと忘れていた記憶の断片が、ZIXIによって掘り起こされていく。

──お兄ちゃん、舞台の上ではすごかったのよ……

(母さん……誰のことを言ってた?)

小さい頃、テレビに映っていた舞台映像。実際はカラーのはずなのに、その記憶だけはなぜかモノクロだった。白と黒、光と影。そのコントラストの中で、演者の声だけがやけに鮮明に響いていた。

(まさか、あれが──)

◆封じられていた名前◆

 ZIXIの再生が終わると、画面には自動で解析された情報が表示される。

《Primary Subject:I.HAYATO》
《別名義登録:AMAYA IHITO》

(……ハヤト?)
(……アマヤ?)

HAYATO……I……IMAI.HAYATO…… 昔舞台で聞いた「今井ハヤト」って名前だ。あのときはただ聞き流していた。 今井なんて、どこにでもいる姓だと思って。でも──母さんが言った“お兄ちゃん”って、もしかして……本当に俺の兄だったってことか?

(……俺には、兄がいたのか?“お兄ちゃん”って親戚のお兄ちゃんだと思っていた気もする。でも……ハヤトなんて名前、親戚にはいない。両親から“兄”の話をはっきり聞いたこともなかった……ってことはまさか?)

“AMAYA IHITO”という名前は、数日前にZIXIのログで目にしたばかりだった。

(なぜ、こんな風に表記を変えて……)

ZIXIの解析メモには、こう記されていた。

《対象は、政府主導の特殊演出プロジェクト(通称:オルタナシア計画)にて“記憶削除措置”を受け、戸籍上は死亡扱いとされる。なお本プロジェクトは、演技訓練を超えて記憶の書き換えや人格転写を試験的に行う国家機密プロトコルである》

(……なぜ、こんな極秘情報が表示される?)

通常ならアクセスできないはずの国家機密。だがシュンはふと、以前ZIXIの中で奇妙な表記を目にしたことを思い出した。

──Access Key: I.A.

(I.A……Ai……?)

本来見えてはいけないはずのログ。それが今、シュンの端末にだけ表示されている。ZIXIの内部で何かが起きているのか、それとも……。

(まるで、誰かが裏側から“見せようとしている”みたいだ)

シュンは、ZIXIがただの記録装置ではなく、意思を持って動いているような錯覚に囚われた。

(じゃあ、ハヤトが俺の兄だとすると、兄は……死んでない)

けれど、確かに“いなかった”。シュンは一人っ子として育てられた。両親から兄の話を聞いたこともなかった。思い出せるのは、幼少期に断片的に聞こえた“お兄ちゃん”という単語だけ。それも夢の中の出来事だったように、あいまいだった。

(どうして……)

脳裏に、昨夜のユイの言葉が蘇る。

──夢の中で思い出す記憶、ありますよね。

もしかすると、ZIXIはただ記録を保存していたんじゃない。

──記憶の蓋を、少しずつ開けようとしている。

◆父の言葉、母の沈黙◆

 ふと、父との断片的な会話が浮かんだ。

「お前はお前の道を行け。ハヤ……いや、何でもない」

そのときは気にも留めなかった。 でも今なら分かる。“ハヤ”という音に、父は確かに引っかかっていた。

(父さんは知っていたんだ。兄が生きていて、俺に似ていて……)

母はどうだったのか。あの人は、優しいけれど時々どこか虚ろだった。もしかすると、兄を失ったことで心に蓋をしてしまったのかもしれない。

(だから、母さんは父さんに背いてまで、ギターを買ってくれた。俺の好きな事を応援してくれた)

(そうか……兄は、今どこかで生きている)

“アマヤイヒト”という仮名を使い、別の名前で──。

(……母さんはそれを知らない。)

◆目覚めた感情◆

 シュンは胸の内に、形にならない“何か”が芽生え始めるのを感じていた。
それは、怒りでも悲しみでもなかった。ただ、繋がらなかった記憶が、今ゆっくりと手を伸ばし始めていることへの、震えるような期待だった。

(兄さん……)

その名を呼ぶことで、自分の中の“何か”が確かに動いた気がした。小さくつぶやいたその声は、部屋の中にすっと溶けた。そのとき、ZIXIの画面に新たな通知が届く。

《関連人物との接続を提案:セツナ/ユイ》

続いて表示されたのは、関連ログの時間軸と感情波形の相関図だった。ZIXIが、セツナとユイの間に“同一感情データ”の類似パターンを検出したことを示している。

(セツナ?……誰かの名前か?……どういうことだ?)

表示されたその”名称”に、胸がざわめいた。

(セツナ……記憶にない。でも、なぜか引っかかる名前だ)

その直後、TINEに新着メッセージが届く。

ユイ《来栖さん、今日は昼公演だけなので、夜少しお話できませんか?》

(……公演はまだ半分。中日か……)

それはまるで、何かが動き出すタイミングを選んでいたかのような問いかけだった。