◆深夜のTINE通話◆

 午前1時過ぎ。静まり返った部屋に、スマートフォンの通知音が微かに響いた。

《TINE通話リクエスト:ユイ》

(こんな時間に……)

シュンは少し迷った末、通話ボタンを押した。画面にユイの名前が表示される。

「……こんばんは、遅くにすみません」

イヤホン越しに、ユイの声が届く。

(この声……)

どこかで、何度も聞いた気がする声。ユイのはずなのに、ふとした間の取り方、息継ぎの仕方、言葉の抑揚が、“誰か”に似ている。

「大丈夫。寝てなかったし」
「よかった……今、少しだけ話したくなって」

シュンは頷く。沈黙のままでも、会話は成り立つような感覚がそこにはあった。

「昨日の……舞台、本当にすごかったです。来栖さんの“あの台詞”、まるで本当に誰かを待っていたように聞こえました」
「……待ってたよ。誰かを。……でも、それが誰なのか、自分でも分からなくなってきてる」

ユイは小さく息を呑むような音を立てたあと、囁くように言った。

「来栖さんの“声”って、記憶を呼び起こす力があると思うんです」
「……俺の声が?」
「はい。私……たまに夢の中で、あなたの声を聞くんです。でもそれは舞台の稽古の記憶じゃない。もっと……昔の景色の中にあるんです」

◆記憶と夢の狭間◆

「それって、夢じゃなくて“記憶”ってことか?」
「分からないです。でも、“夢で思い出す記憶”って、ありませんか?」

シュンは、思い返す。昔、母親がぼんやりとつぶやいていたことがあった。

──お兄ちゃん、舞台の上ではすごかったのよ……

その言葉の意味を、幼い頃のシュンは気にも留めていなかった。でも今になって、それが“誰か”に繋がっているような気がしてならなかった。

「記憶って……本当に自分のものなんだろうか」

シュンがぽつりと呟くと、ユイは少し間を置いて答えた。

「それは、私もずっと考えてきたことです。だからZIXIにアクセスするのが怖いときもある」

◆音が記憶を呼び起こす◆

「私……小さい頃、ある声を聴くと、知らない映像が頭の中に流れ出すことがありました」
「映像?」
「はい。光の差す教室、ガラス窓に反射する影、人の名前。……だけど、現実にはそんな記憶はないんです」

(ミライもそんなことを言っていたような……)

「“音の記憶”って、誰かの想いと繋がる回路なのかもしれない」

ユイのその言葉に、シュンの胸がざわついた。

「……もし、記憶が“音”で伝わるなら、それはもう、俺たちだけの記憶じゃないな」
「はい。もしかしたら、それは“残された誰か”の想いかもしれません」

シュンは思わず、自分の声を一度録音し、それをイヤホンで聴いてみたことを思い出す。自分の声のはずなのに、どこか“他人の声”のように聴こえたあの違和感。

──あれも、誰かの記憶を拾っていたのだろうか?

◆声が届く、その意味◆

ふたりはしばらく無言になった。夜の静けさに、通話の呼吸音だけが流れていた。

「ユイさん。……ひとつ聞いていい?」
「どうぞ」
「俺の“ありがとう”って言葉、聞こえてた?」

ユイは一瞬、言葉に詰まった。

「……はい。でも、あれ……どこから聞こえたのか、分からなかったんです」
「それ、どういう意味?」
「来栖さんの口が動いていたのかも、分からない。ただ、音として“届いた”んです。胸の奥に、直接」

(やっぱり、俺……あのとき、声を出してなかったのか?)

ZIXIの音声ログには、確かに“自分ではない声紋”が記録されていた。

「声って、どこから来るんだろう」
「たぶん、心から。でも、それが別の“心”だったとしても、届けば意味があると思います」

ユイのその言葉に、シュンは目を閉じた。風のように通り抜ける“言葉”。形は違っても、確かにそこに存在する想い──

「……たとえ“記憶の代弁者”としての声だったとしても、それで誰かの想いが届くなら、それはきっと意味があると思う」
「優しいですね、来栖さん」
「違うよ。ただ……俺がそうやって何度も助けられてきただけ」

ふたりは少しの間、黙って夜の音に耳を澄ませた。

◆変わっていくユイ◆

「来栖さん……」

ユイの声が、少し低くなる。

「もし……今までとは違う私が現れたら、怖いですか?」
「……どういう意味?」
「たとえば、私が違う名前で、違う姿で、違う時間に立っていたとして──それでも、あなたは“私”を見つけられますか……?」
「気づけると思う。きっと」

ユイはそれを聞いて、小さく笑った。

「……ありがとう。今、そう言ってもらえて、嬉しかったです」

その“ありがとう”の言い方が、どこかアイの声と重なった。

(これは……偶然か? それとも──)

まるで、“別の人格”がここに届こうとしているような、そんな気がした。画面越しに、ユイが何かを言いかけたその瞬間──ZIXIが自動的に反応した。

《発話解析中:照合率 91%》
《一致対象:A.I.》

(やっぱり……何かが繋がってる)

ふたりの会話は、そのまま夜明けまで続いた。その内容のすべてを、シュンは覚えていなかった。ただ、ひとつだけは確かだった。

──声”は、確かに届いていた。