◆初日打ち上げの翌朝◆

 眩しさで目を覚ました。カーテンの隙間から差し込む光が、シュンのまぶたをゆっくりと照らしていた。身体はだるさを引きずっていたが、それ以上に心の奥にざわついた感覚が残っていた。“現実”だったのか、“脚本”だったのか──昨夜の出来事がどこか他人事のようにも思える。目覚めと共に押し寄せる不確かさに、シュンは胸の奥がそっと揺れるのを感じていた。
昨夜の記憶が、ぼんやりと脳裏に浮かぶ。拍手、カーテンコール、打ち上げのざわめき。そして──ユイの静かな笑顔。寝ぼけたまま、机の上の台本に目をやった。確かにあのセリフは、昨日の朝まではなかった。でも今は、きちんと印刷された文字として、そこにある。

(夢じゃなかったんだよな。でも、なぜ印字される?……元々あったのか?俺の記憶が曖昧なのか?)

そんな疑問を抱きながら、手に取ったネックレスが、ひやりと冷たい。昨日も、それをポケットに忍ばせていた。本番のとき、ユイの声を聞いた瞬間、なぜか胸の奥に“何か”が灯った気がする。

(あの言葉……どこかで聞いたことがある)

だが、どこでかは思い出せない。

◆記憶の“上書き”とZIXIの同期◆

 朝のコーヒーを淹れながら、スマホを開いた。ZIXIの画面に通知が浮かぶ。

《昨日の記録に基づく台詞一致率:100%》

これは、舞台上で発した台詞とZIXI内に記録された記憶ログとの“完全一致”を示していた。セリフの正確な再現性をZIXIが確認したという意味だ。

「またそれか……」

タップすると、舞台本番のログが自動再生された。昨夜、自分が言ったはずの台詞。だが──

(……違う)

声の間、語尾のトーン、そして息の吸い方。どれも自分“らしい”のに、何かが違う。

「これは……本当に“俺”か?」

録音には、自分の声が残っていた。だがそれは、あまりにも“自然すぎる”再現だった。まるで、AIが自分の声色と口調を模倣して再構成したような──。

──逆デジャブってイメージが近いだろうか。
既視感が向こうからやってくるような。

(誰かが俺の記憶を“作ってる”……?)

恐怖ではなかった。ただ、妙に冷静な違和感だけが、心にひっかかっていた。

◆稽古最終日のズレ◆

 昼前、TINEにユイからメッセージが届いた。

《昨日の稽古、すごく集中してましたね。やっぱり来栖さんとの芝居はやりやすいです》

(昨日の……稽古?)

シュンは固まった。昨日は本番初日だった。稽古はその前日で終わっている。
返信しようとして、指が止まる。

《……昨日って、稽古してたっけ?》

少しの間をおいて、ユイから返信が返ってきた。

《……あれ? 私、変なこと言いました? なんか、夢と混ざってるのかも》

夢。
シュンはその言葉に引っかかる。昨日の本番も、今朝の記録も、全部“夢”のような感触だった。

(まさか、俺たちの記憶ごと──)

ZIXIが何かを操作している?あるいは、ユイの言動そのものが──

(いや、考えすぎだ……)

でも、自分だけが違和感を覚えているわけではない。ユイも、何かに気づいている。または何かを知っているのか。そのとき、不意にZIXIから新たな通知が届いた。

《補足ログ提案:該当音声に関連する外部記憶が検出されました》

(外部記憶?)

ZIXIはただの記録アプリではなく、記憶の“再構成”に関わっているのではないか?シュンは画面をタップしそうになり、そしてためらった。

「……もしこれが、俺の“本当じゃない”記憶だったら?」

そう思う自分が、すでにZIXIに支配されかけているようで、恐ろしくなった。

◆カフェでの会話◆

 その日の夕方、演出家から呼び出され、近くのカフェで会うことになった。

「セナくん、ちょっと聞きたくてね」

演出家はコーヒーを一口飲んでから、言った。

「あのセリフ、君……稽古のときから考えてたの?」
「……え?」
「“君が、ここに来てくれるって”ってやつ。あれ、妙に芝居の流れと合ってたからさ」

シュンは一瞬、言葉に詰まった。

「……すみません。俺、自分でもわからないんです。口が勝手に動いたというか……」
「ふうん……いや、悪いって意味じゃないよ。逆に、なんだか“運命”みたいなものを感じた」

演出家はそう言って、笑った。

「運命?……あとで冷静になって考えてみたら、あのセリフは一種のアドリブなんじゃないかって」
「あれがアドリブ?……ま、芝居って、そういう瞬間が一番面白いんだけどね」

だが、シュンの心には、別の“脚本”の存在が、静かに芽吹いていた。

「……俺たち、いつの間にか“誰かの演出”の中にいるのかもしれません」

演出家はカップを置きながら、わずかに眉を寄せた。

「その言葉……何だか、妙に腑に落ちるな。まるで、台本にも書かれていたみたいだ」

その言葉は、冗談のようでいて、自分の中では確かな実感だった。演出家は一瞬だけ不思議そうな顔をして、そしてまた笑った。

「そのセリフ、次の芝居で使えるかもな」

◆誰が“演出”しているのか◆

 帰宅後、再びZIXIを開いた。

《ログ更新中:関連記録を検索しています》

そのメッセージが浮かんだ瞬間、画面が暗転。そして、数秒後に一つのログが表示された。

《2007年5月1日 未公開ログ》

(……再会から数日後の記録?)

音声再生ボタンに手をかけかけて──止めた。今は聞くべきじゃない。
そのとき、背後でスマホが震えた。
TINEの通知。

ユイ《来栖さん……少し、話せますか?》

──画面の隅には、薄く表示された文字が浮かんでいた。

《Access Key: I.A.》
(……アクセスキー?誰の……?)

──それはまるで、“誰か”が、次のページを開こうとしているようなタイミングだった。

けれど、画面を閉じるその指が、ふと止まった。再生ボタンのすぐそば、ひとつだけ追加された情報欄に目が留まる。

《関連ID:A.IHITO》

(アマヤ……か?いや、でも、なんでこのタイミングで……)

胸の奥が、じわりと熱を帯びていく。
知っているはずのない名。
聞いたことのあるような、でもどこか遠い記憶。
画面を閉じる直前、ふと浮かんだ。

(もし、あのセリフも──あの台詞すら、誰かの“想い”だったとしたら?……例えば、今井ハヤト、いや“アマヤ”と呼ばれた誰かの──)

そんな仮説が、まるで既に用意されていた結論のように、心にすとんと落ちた。