◆響く映像ログ◆

 翌朝、目覚めたシュンのスマホには、ZIXIからの通知が届いていた。

《映像ログが再生されます》

時計は午前4時44分。

(……何で、こんな時間に)

普段なら起きるはずのない時間。しかも444という数字に何か暗示めいたものを感じ、半分夢の中のような状態で、シュンは再生ボタンに触れた。画面に映し出されたのは、白黒の映像だった。ZIXIが意図的に彩度を落として表示しているのか、それとも記録そのものが加工されているのか──まるで“思い出”として提示するために、色彩を消し去っているかのようだった。

──色を失った映像は、逆に“記憶の温度”だけを残していた。

モノクロームの中で、柔らかい逆光が射す。

──幼い頃、テレビに映っていた古い舞台映像。

実際はカラーのはずだったのに、なぜかその記憶だけ、色がなかった。白と黒、光と影。そのコントラストの中で、演者の声だけがやけに鮮明に響いていた。今、ZIXIが見せている白黒の映像は、あの“記憶の質感”とよく似ていた。

──子供たちの背中。

制服のような衣装。大きなホール。遠くから響くピアノの音。そのなかで、ひときわ澄んだ声が響く──

『♪~~~』

それは、歌声だった。少女の澄んだ歌声。

(……この声……)

声の記憶。どこかで聞いたことのある響き。だが、映像に映るその少女の顔は、光の反射で見えない。ただ、背後から見えるその髪型と肩のラインに、既視感を覚えた。

(ミライ……? いや……こんな小さな子供の頃の彼女は知らないはずなのに)

歌は途中で、唐突に途切れた。映像がノイズを走らせたあと、別のカットが差し込まれる。

──施設の白い部屋。

窓の外には、鉄格子と同じ規則で並んだ木々。ベッドに座っている少年の背中。大人の男の声が語りかける。

『……この子は、音に反応して記憶を映像で再構成する。通常の脳の伝達領域を超えて、想起の回路が直接視覚野に接続されているようだ』

その言葉に重なるように、再び音楽が流れる。そして、シュンはその男の声に気づく。

(この声……昨日の“記録音声”と同じだ)

“アマヤイヒト”──ZIXIにそう記されていた人物の声。やがて映像は止まり、画面にひとつの文字列が浮かび上がる。

《AMAYA IHITO — Primary Subject 01》

(これは、誰なんだ?……アマヤイヒト……何か心がざわつく……)

画面には、それ以上の情報は映らなかった。ただ、その名前と音声の“雰囲気”が、シュンの奥底に眠る何かを刺激してくる。

(演技の声……台詞の抑揚……どこかで……)

ふと、遠い昔の記憶が、古の記録映画を見ているように、靄の中から浮かび上がる。

──幼い頃、テレビに映っていたモノクロの舞台映像。

──父が何気なくつけた古い録画テープ。

画面の中で、観客の誰かが言った。

「この役者、天才だ。名前は……アマヤ……いや、“今井ハヤト”?どっちだったかな」

(……今井?)

その名前は、記憶のどこかに微かに残っていた。けれど、当時の自分には意味がなかった。ただ、今その記憶が、ZIXIの“断片”と結びつこうとしていた。シュンの中で、名前を知らない“誰か”の輪郭が、徐々に色づいていく。そのとき、ふと胸の奥で、小さな記憶が弾けた。

── 5歳か6歳の頃、両親がふと口にした名前。

「……昔な、あの子は本当に特別だったんだよ」
「もう、あの子はいないんだから……」

居間の奥で交わされた、何気ない会話。子どもだったシュンには、それが誰のことかもわからず、ただぼんやりと聞いていた。そして、名前を尋ねた時の父の言葉。

「……もう忘れなさい。お前には関係ないことだ」

そのときは、それ以上聞いてはいけない気がして、追及しなかった。

(……あれは、今井……ハヤト……?)

記憶が今、ZIXIの映像と音と結びつき、静かに──しかし確かに、形になっていく気がした。そして、シュンはふと気づいた。

(……ZIXIが……俺の“中”に触れてきてる?)

まるで、ただ映像を見せられているのではなく、自分の内側、奥深くに仕舞い込まれた記憶の蓋を、こじ開けられているような感覚だった。

(もしかして……ZIXIは、記憶を呼び出すんじゃなく、“封印を解く”装置なのか?今までは見えないと思っていた記憶が、ZIXIに“解放されている”……?)

子どもの頃、両親が語る謎の人物。見知らぬ声にざわめく心。それらが突然つながり始めたのは、ZIXIのログが再生されてからだった。

──記憶は、外側から思い出すものじゃない。中から呼び起こされるものだ。

そんな仮説が、頭の中でゆっくりと形を取りはじめる。

(なら……俺が“知らないこと”を、なぜZIXIは知っているんだ?)

◆ユイの微笑と、消えない問い◆

 稽古場に向かう電車の中。窓に映る自分の顔を見ながら、シュンは昨夜のこと、今朝の映像、そしてユイの言葉を思い返していた。

(記憶って、必要なときに戻ってくる──か)

誰の言葉だったか。本当にあれはユイだったのか。彼女の言葉は、ときどき“アイ”と重なる。だが、似ているだけではない。時折、まるで“誰かの台詞をなぞるような”言い回しをするユイ。演じているのか。誰かの記憶を借りているのか。

電車のブレーキ音が響いた。ホームに降り立つと、見慣れた風景がなぜか別の都市に見えた。稽古場に着くと、すでにユイが来ていた。

「おはようございます、来栖さん」

彼女はいつものように微笑んだ。

「……おはよう」

その瞬間、シュンの中で何かがざわついた。

(今の声……昨夜の夢と、同じトーンだった)

まるで、映像と現実が交差している。だがそれを口にすることはできなかった。代わりに、ひとつだけ尋ねた。

「ユイさん……音って、記憶を引き出すと思いますか?」

ユイはほんの少し首をかしげたあと、

「もちろん。特に、あなたのような人にとっては──」

と言った。

(やっぱり……知ってる)

その言葉は、確信よりも静かな予感として、胸に広がった。

──なぜ彼女は、俺の“記憶”の話を当然のように受け止める?

──なぜ彼女は、“俺の過去”に入り込むことができる?

(そう言えば、今まで筆談かジェスチャーかTINEだったのに、俺普通にしゃべっている……。)

──いや、ユイと喋る時だけ、声帯が反応するのか?

共演者と居る時は普段のままだ。俺の心が溶けかけているのか? それとも……。ユイは俺が言葉を発していなくても答えを返してくれることがある。

──これはなんなんだ……?

そのとき、ユイがふとシュンの手元を見つめる。

「それ、今日は持ってきてるんですね。ネックレス」
「えっ……あ、ああ。なんとなく、ね」
「それ、よく似合ってます。大事にしてるんですね」
「……うん」

シュンは思わず、手のひらでペンダントを包み込む。冷たくて、でも確かに“そこにある”重み。

(このネックレスと、ZIXIの記憶……関係がないとは思えない)

ふと、胸の奥に奇妙なざわめきが生まれる。

──あの映像の中の少女が、ミライだとしたら。

──あの記録の中の“アマヤイヒト”が、俺の……。

想像しかけて、心が止まる。

──知ってはいけない真実が、そこにある気がした。

シュンの中で、眠っていた問いが、静かに目を覚まし始めていった──。