明治あやかし遊郭

「――というわけで、今夜客が来はる」

 お風呂を済ませた天と禁は、帰りを待っていた猗に状況を説明する。突然客を取ってくるのももう二回目だ。猗は呆れながらも、驚きはなかった。

「今度はどこで拾ってきたんですか、旦那様」
「我は拾ってない! 天、あいつはやめないか。我は好きではない」

 だが、今回は禁が乗り気ではないようだ。子供のように拗ねながら「あいつは嫌だ。無礼だ」と駄々をこねている。
 
「やいのやいの言わんの。ええやないの、ずっと暇やったんやから」
「ああいう、敬意にかける奴は嫌いだ! あんなものの種など残らぬほうがよい」
「種は良し悪しで残すもんちゃうからなあ」
 
 「はいはい」と大旦那の禁をいなしながら、天はさくさくと今宵の準備を進めていく。閨で焚く香、飾る花、着る服など、イツ禍と猗と打ち合わせをして決めていくのだ。

「お花は何にしますか?」
「牡丹にしたいんや」
「お、花の王様ですね。今夜は豪華ですね」

 牡丹は大輪の花だ。飾れば部屋の雰囲気は牡丹が中心になる。猗はそう言いながら真っ赤な牡丹を取り出してくれた。

「香はどうしましょうか。伽羅で華やかさを極めるもよし、梅花で引き立てるもよし」
「伽羅がええな。今日は派手な日や」
「かしこまりました。服は?」
「一番高価な着物、よろしゅうね」
「ふふ。金のかかる日ですこと」

 イツ禍には香と着物を依頼する。それぞれが自分の役割を受け取る中、肝心の大旦那の禁だけは桃を抱っこしながらぶつぶつと文句を言っていた。

「珍しな。アンタがやいのやいの言い続けるなんて」

 天は苦笑しながら禁の元に歩み寄る。桃を軽く撫でながら、そのまま禁の頬に手を添えた。

「天を悪く言った」
「私を良く言う奴なんかおらへんよ」
「我は言うぞ! お主はよき母で、働き者で、気丈で器量よし――」
「ああ、やめてえや。恥ずかしい」
 
 天は禁の頬を軽くつねって止めさせる。痛くはないが、ふにゃと情けない声を出して天を賛美する言葉を止める。

「お主を穢いと言われたくない」
「穢いで。アンタが知らんような悪いこと、沢山してきとる」
「我らと共に生き、性の知識を授けてくれるお主を、我は尊敬している。そこに至る道は苦しかろうとも、穢いなどという言葉で表したくはない」

 呆れた。他の誰でもなく天本人が自分が穢いと言っているのに、禁はそれをかたくなに認めようとしない。
 天が何か言おうとしたとき、禁の腕の中の桃がもじもじと動く。まるで口喧嘩の雰囲気を感じ取って、止めるかのような動きに天と禁は笑った。
 
「桃、大丈夫だ。何もないぞ」
「あら、乾燥しとる。痒いんかね」

 禁が桃をあやしている間に、天は棚から椿油を持ってくる。

「それは?」
「椿油や。乾燥にきくで」

 天はそう言いながら瓶に入った油を手に落とし、禁の手のひらに塗り込める。禁がその手で、冬の乾いた空気にさらされた桃の柔らかな頬にそっと触れると、桃は気持ちよさそうに眠りに落ちていく。
 わかりやすい子だ。そう笑いながら、禁は桃を床に寝かせ、顔から首へ、胴へ手足へ、油を塗る。
 これで乾燥対策は十分だろう。一仕事終えて禁が視線を上に向けると、隣で桃が服を脱いでいた。

「ど、どうした……!?」
「何を照れとるん。私の体にも塗ってや」

 薄桃色の単衣を、襦袢を脱いで、白い肌が見える。垢嘗めに嘗められたおかげで傷跡も消え、初雪のようなまっさらな体。それを見ていると、禁の心臓が早鐘を打つ。だが、何故緊張しているのか、禁は自分でもわからない。なるべく天の肌を見ないように目をそらすと、早くしろと天からぴしゃりとお叱りを受ける。

「わ、我じゃなくても」
「アンタしかおらんやろ」

 天は再び瓶から椿油を取り出すと、禁の手に塗り込める。小さな天の、白魚のような指が禁の掌をこする度、禁の体に熱が集まる。ある程度の油が掌の上に乗ると、天は背中を向けた。背中に油を塗れということらしい。
 天が背中を向けてくれて禁はほっとした。なんとなく、前は見てはいけない気がしたから。

(ん、なぜいけないんだ? 前には胸があるだけで……)

「早うしてや。寒いねん」
「悪い悪い。今塗るからな」
 
 思い悩んでいるとまた天にお叱りを受ける。禁は笑いながら天の背中にそっと掌を重ねた。
 天のか細い背中に禁の分厚い掌が重なる。長い爪で傷をつけないよう気を付けながら、桃にするようにやさしく肌を撫でた。
 
「――それにしても、立派なものだ」

 ほう、と禁はため息をつく。
 禁の瞳の中には、天の小さな背中が映る。
 その背には――大きな髑髏と牡丹の刺青がびっしりと描かれていた。

「髑髏に牡丹か。良い彫師だな」
「ははは。人間界じゃ褒められたもんちゃうねんで」
「そうか? 見事なものじゃないか」

 天の背中には大きな刺青が彫られていた。いうまでもなく、かつての愛人であった極道の誉にせがまれて彫ったものだ。
 子を孕んだらあっさり消えた縁なのに、背中の刺青からは逃れられない。
 花を散らしたことが穢れというのなら、天にとっては背中の花こそが穢れの象徴だった。

「垢嘗めは、これを消せるかねえ」

 薄く油を塗って光を反射する白い肌を晒しながら、天はぽつりとつぶやいた。