【Web版】無華の花嫁3~秘めた力を狙われた少女は、黒薔薇の殿下に溺愛される~

 その一言で、胸の奥がきゅっと締まった。
 よし、と気合を入れて立ち上がろうとして——ようやく悟る。

 ああ、私、一人では勝手に動くことすらできないんだ。

 誰かの合図があり、誰かが手を差し伸べてくれなければ、歩くことも、向きを変えることすら叶わない。
 肩を動かせば、衣がずり、と全身を引き留める。
 足を出そうとすれば、裾の重なりが、ゆっくりとしか許してくれない。

 けれど、不思議と怖くはなかった。
 この圧倒的な重みの中で、私は決して一人ではない。
 背後に立つ信子さんの気配、布を見守る藤波様の視線、篠塚様の落ち着いた佇まい——そのすべてが、私を前へ押してくれる。

 暁臣様も、この重さを誇りとして知っている人たちも、皆、私と同じ方向を見つめている。
 逃げない、と心の中で小さく言い切る。

 静かに肺を満たし、息を整える。
 重くて、動けなくて、足元すらおぼつかない。
 掌にじわりと汗がにじむのを、袖の内側で感じた。

 それでも——。
 今日、この足で暁臣様の元へ辿り着くための、私にとって最高の鎧なのだと。
 少しだけ、理解できた気がした。

 十二単を整え終えると、休む間もなく今度は髪の支度とお化粧へと移った。

 畳に深く腰を下ろしたまま、篠塚様が私に白粉を塗り始め、藤波様が恭しく漆塗りの櫛を手に取る。
 櫛は灯りを受けて、黒く静かに艶めいている。
 少し離れた場所では、篠塚様がどこか温かな眼差しで全体の進捗を静かに見守っていた。
 気遣いの沈黙が、部屋を満たしている。

「すみれ様、少しの間、動かないでくださいね」
「……はい」

 返事はしたはずなのに、声が自分のものではないみたいに細い。

 櫛が髪に触れた瞬間、すう、と頭皮をなぞる冷ややかな感触に、思わず背筋が震え、その反動で肩の力がふっと抜ける。
 髪を梳く音が、ひと筋、ひと筋、丁寧に響く。
 これまでもお屋敷で髪を整えてもらうことはあったけれど、これほどまでに長い時間をかけ、一筋の乱れも許さぬよう扱われるのは初めてだった。

 一束ずつ、慎重に、そして力強く。
 髪が引かれるたびに、頭がわずかに後ろへと持っていかれる。
 首のうしろが、じん、と熱を持つ。

「……っ」

 言葉を発する余裕など、もうどこにもない。
 ただ、されるがままに意識を委ねる。
 複雑に結い上げられ、髪が固定されるごとに、ずっしりとした重みが頭頂部に集まっていく。
 先ほどまで全身を押さえつけていた衣の重さに加え、今度は首と肩に新たな重圧がのしかかった。
 それなのに、どこか背筋が伸びていくのがわかる。
 逃げ場がなくなるほど、覚悟だけが残る。

 最後に、繊細な細工が施されたかんざしが、かちり、という音を立てて差し込まれる。

「……終わりましたよ。さあ、鏡をご覧ください」