吐息とともにこぼれた言葉は、自分でも驚くほど幼い響きだった。
それは、遠い幼い頃の記憶——継母が、妹の百合のために買い与えた立派なお雛様の姿。
蔵の隙間から盗み見るようにして眺めていたあのとき、私はただただ、その完成された美しさに目を輝かせた。
けれど同時に、自分とは無縁の世界のものとして、少し距離のある場所から見上げることしかできなかった。
指先を伸ばせば叱られる。
息をする音すら、聞かれてはいけない。
——あの、張りつめた甘い憧れ。
鮮やかな深紅の唐衣に、贅沢に施された金の刺繍。
次々に提案される、季節を重ね合わせたような複雑な色合わせに、意識がくらくらとしてくる。
布の端をそっとめくるだけで、光が滑り、陰が生まれ、模様がもう一度立ち上がる。
その一つ一つが——怖いのに、目が逸らせない。
「そうだな。きっとすみれは、どのお雛様よりも美しくなるだろう」
「……っ、そんな……」
そんな甘い言葉を、臆面もなく口にされるのは暁臣様だけだ。
自分があの完璧なお人形でさえ霞むような姿になるなんて、今の私にはわずかばかりにも想像できない。
言われれば言われるほど、心のどこかで『そんなわけがない』と反射的に身を引いてしまう。
なのに——胸の奥が、ほんの少しだけ、温かくなるのが分かってしまうのが悔しい。
花菱屋の方も、内心では「この娘にそんな大層なものが着こなせるのか」と呆れているのではないか。
そんな不安が頭をよぎる。
視線が向けられた気がして、肩が硬くなる。
見られている。
そう思った瞬間、背中の汗がすっと冷えた。
けれど、不思議なことに、私の隣に佇む暁臣様の姿だけは容易に想像できた。
漆黒を基調とした装束を纏い、凛とした立ち姿で私の隣に立つ彼は、きっと誰よりも気高く、お似合いに違いない。
こうして、一つ一つ婚儀の衣装を選んでいくこと。
本来なら喜ぶべき自分の婚儀のはずなのに、一歩進むごとに、幸福の重さに足がすくんでしまいそうになる。
喜びはある。確かにある。胸の奥で、淡く灯っている。
ただ、その灯りの周りに、影がついて回るのだ。
私が踏み外さないようにと、先回りして。
「花菱屋。春に控えている園遊会のための振袖も、新しく仕立ててもらえるか?」
不意に、暁臣様がそう問いかけた。
昨年、彼に手を引かれて初めて参加させていただいた、あの園遊会。
人々の視線が怖くて、足が震えて、けれど暁臣様の手だけが確かで——。
思い出すだけで、胸の奥がきゅっと鳴る。
「あ、あの……!暁臣様、昨年の振袖ではいけませんでしょうか」
「昨年の?……あちらの柄も似合っていたが、新しいものを用意したいと思っていたんだが」
「帯だけでも変えることができれば、印象も随分と変わるかと思いますが……いかがでしょうか」
花菱屋の主人が、助け舟を出すように穏やかに提案してくれる。
「そうだな。すみれの好きにするといい」
それは、遠い幼い頃の記憶——継母が、妹の百合のために買い与えた立派なお雛様の姿。
蔵の隙間から盗み見るようにして眺めていたあのとき、私はただただ、その完成された美しさに目を輝かせた。
けれど同時に、自分とは無縁の世界のものとして、少し距離のある場所から見上げることしかできなかった。
指先を伸ばせば叱られる。
息をする音すら、聞かれてはいけない。
——あの、張りつめた甘い憧れ。
鮮やかな深紅の唐衣に、贅沢に施された金の刺繍。
次々に提案される、季節を重ね合わせたような複雑な色合わせに、意識がくらくらとしてくる。
布の端をそっとめくるだけで、光が滑り、陰が生まれ、模様がもう一度立ち上がる。
その一つ一つが——怖いのに、目が逸らせない。
「そうだな。きっとすみれは、どのお雛様よりも美しくなるだろう」
「……っ、そんな……」
そんな甘い言葉を、臆面もなく口にされるのは暁臣様だけだ。
自分があの完璧なお人形でさえ霞むような姿になるなんて、今の私にはわずかばかりにも想像できない。
言われれば言われるほど、心のどこかで『そんなわけがない』と反射的に身を引いてしまう。
なのに——胸の奥が、ほんの少しだけ、温かくなるのが分かってしまうのが悔しい。
花菱屋の方も、内心では「この娘にそんな大層なものが着こなせるのか」と呆れているのではないか。
そんな不安が頭をよぎる。
視線が向けられた気がして、肩が硬くなる。
見られている。
そう思った瞬間、背中の汗がすっと冷えた。
けれど、不思議なことに、私の隣に佇む暁臣様の姿だけは容易に想像できた。
漆黒を基調とした装束を纏い、凛とした立ち姿で私の隣に立つ彼は、きっと誰よりも気高く、お似合いに違いない。
こうして、一つ一つ婚儀の衣装を選んでいくこと。
本来なら喜ぶべき自分の婚儀のはずなのに、一歩進むごとに、幸福の重さに足がすくんでしまいそうになる。
喜びはある。確かにある。胸の奥で、淡く灯っている。
ただ、その灯りの周りに、影がついて回るのだ。
私が踏み外さないようにと、先回りして。
「花菱屋。春に控えている園遊会のための振袖も、新しく仕立ててもらえるか?」
不意に、暁臣様がそう問いかけた。
昨年、彼に手を引かれて初めて参加させていただいた、あの園遊会。
人々の視線が怖くて、足が震えて、けれど暁臣様の手だけが確かで——。
思い出すだけで、胸の奥がきゅっと鳴る。
「あ、あの……!暁臣様、昨年の振袖ではいけませんでしょうか」
「昨年の?……あちらの柄も似合っていたが、新しいものを用意したいと思っていたんだが」
「帯だけでも変えることができれば、印象も随分と変わるかと思いますが……いかがでしょうか」
花菱屋の主人が、助け舟を出すように穏やかに提案してくれる。
「そうだな。すみれの好きにするといい」



