【Web版】無華の花嫁3~秘めた力を狙われた少女は、黒薔薇の殿下に溺愛される~

 目を覚ましたとき、最初に私の感覚を支配したのは、澄み渡るような部屋を漂う光の粒子だった。
 カーテンの隙間から差し込むやわらかな秋の陽射しが、部屋の輪郭をゆっくりと、慈しむように浮かび上がらせていく。
 枕元から視線を動かせば、窓の向こうには一点の曇りもない碧落が広がっていた。

 ……今日は、この上なく晴れている。
 それだけは、寝惚け眼の意識の中でもはっきりと理解できた。

 布団から起き上がると、足先をかすめる空気が少しだけ冷たい。
 季節が変わったのだと、どこか他人事のようにぼんやり思いながら、洗面所へと足を運ぶ。

 冷たい水で顔を洗うと、ぱしゃり、と静かな水音が朝の静寂に波紋を広げた。
 たっぷりと水を含んだ清潔な手拭いでそっと肌を押さえると、ざわついていた胸の奥が、氷が溶けるようにすうっと落ち着いていく。

 鏡に映る自分は、緊張のせいか少しだけ顔色が青白い。
 けれど、決して眠れていないわけではないし、どこか具合が悪いわけでもない。

 ——ただ、私はまだ、何もわかっていないのだ。

 儀式の手順や作法については、藤波様から何度も繰り返し教わってきた。
 けれど、教わっていない『それ以上の何か』が、今日という日に起きるのか。
 私は一体、何を目指して歩けばいいのか。

 どこまでが、昨日までの愛おしい『いつも』で。
 どこからが、引き返せない『特別』なのか。

 その境界線が、今の私にはまだ、霧に包まれているかのように見えなかった。

 朝餉の部屋に向かうと、そこにはすでに、正装に近い落ち着いた着物姿の暁臣様がいらした。
 いつもより整えられた襟元。結び目の角度。佇まい。
 それだけで『今日は違う日だ』と身体のほうが理解してしまい、胸の奥がきゅっと縮む。

「おはよう、すみれ」
「……おはようございます、暁臣様」

 いつもと同じ、深い湖のような低い声。
 いつもと同じ、私のために用意された向かいの席。

 湯気の立つ温かな汁物と、ふっくらと炊き上がったご飯。
 漬物の香り。焼き魚の焦げ目。
 いつもと同じはずの朝の匂いが、今日は少しだけ鮮明すぎて、現実を突きつけてくるようだった。

 箸を持つ自分の指先が、目に見えて微かに震えていることに気づき、私はそっと拳を握りしめた。
 震えを隠すためにではない。
 この身体が勝手に怯えてしまうのなら、せめて心のほうだけでも、ぐらつかせないために。

 けれど、暁臣様はそんな私の動揺を責めることも、無理に励ますこともしない。
 ただ、私が最初の一口をきちんと飲み込むのを、親鳥が雛を見守るような優しい眼差しで確かめている。

 それだけで、不思議と冷えていた胸の奥が、温かな安堵で満たされていった。