【Web版】無華の花嫁3~秘めた力を狙われた少女は、黒薔薇の殿下に溺愛される~

 園遊会の喧騒が、遠い夢のように霞み始めた——数日後のこと。

 いつものように暁臣様をお見送りするため、連れ立って玄関へ向かっていると、すでに待機していた側近の榊原様が、どこか緊張を含んだ面持ちで一通の手紙を差し出してきた。

「暁臣様……先ほど、近衛綾乃様の使者の方がお見えになり、すみれ様にと、このお手紙を預かりました」
「……こんな早朝に、綾乃様から……私に?」

 心臓が、嫌な音を立てて跳ねる。
 千鶴様の突然の来訪。
 東宮殿下からの突然の贈り物。
 これまで私の人生に訪れた『突然』は、どれもこれも、不吉な予兆を孕んでいた。

 いつも、私の意思や願いなど置き去りにして。
 どこかで誰かが、私の預かり知らぬ何かを企み、勝手に運命を決めてしまう。

『無華』である私が、分不相応な幸せを願うことなど許さない——そう、誰かに決めつけられているようで。
 まるで私自身が、関わるすべての人々に不幸を呼び寄せる災いの種であるかのような錯覚さえ覚えてしまう。

 それでも、届いた言葉を無視する権利など、私には与えられていない。
 震える指先で、恐る恐る、手紙の封を切った。

 拝啓

 先日の園遊会では、お忙しい中、誠にありがとうございました。

 突然の不躾なお願いとは存じますが、一度、すみれ様とお話しするお時間を頂ければと思い、筆を執らせていただきました。

 他意はございません。ただ、人目を忍び、二人きりで、静かにお話ができればと存じます。

 もしご都合がよろしければ、東宮御所にてお待ち申し上げております。
 もちろん、ご無理であれば、その限りではございません。

 敬具
 近衛 綾乃

 綾乃様が、この私と二人きりで……?
 紙面を見つめたまま、息の仕方さえわからなくなる。
 東宮殿下の婚約者である綾乃様と、私の共通点など——一つしか思い浮かばない。

『後日、五条家より丁重なお礼状と共に、賜った品はすべて御所へお納めする』

 暁臣様がおっしゃってくださったけれど。
 きっと、綾乃様はお怒りなのだ。
 東宮殿下が私に贈り物をしたことを。
 そして、それを私が受け取ったことを。

 呆然と立ち尽くしていると、隣にいた暁臣様の低く落ち着いた声が、耳に届いた。

「すみれ。綾乃殿はなんと?」

 問いかけに、言葉が出ない。
 唇だけが、情けないほど震えた。

「……見せてくれるか?」
「……はい……申し訳ございません……」

 差し出した書面を追う暁臣様の目が、鋭く細められる。
 その表情が、一瞬で険しくなった。

 ——それも当然だ。
 私だって、もし暁臣様が他の女性に内密で贈り物をしたと知ったら。
 そんな想像をするだけで、胸の奥が掻き毟られるような……平静でいられる気がしない。

 大好きな人が、誰かに贈り物をする。
 それだけで、世界が崩れるほど嫌な気分になるものなのだと、今の私には痛いほどわかる。
 なぜ、あのときの私は、そこまで考えが及ばなかったのだろう。

 たとえ拒めない相手からの贈り物だったとしても。
 もっと別の、角の立たない断り方があったのかもしれないのに。

 自分の不甲斐なさと、これから起こるであろう恐怖で、みるみる顔から血の気が引いていくのがわかった。

「榊原。綾乃殿に、これからすみれと共に伺うと、即座に返事を」
「承知いたしました。すぐに手配を」

 榊原様にテキパキと指示を出すと、暁臣様は私の青ざめた顔を覗き込むようにして、そっと大きな掌を頭に乗せてくださった。
 凍りついた心をほどくような、いつにも増して柔らかな声音が落ちる。

「そんなに怯えた顔をするな……俺も一緒に行く」
「……っ、でも、暁臣様はお仕事が……。これ以上、私のことでご迷惑を……」
「仕事など、後でいくらでも取り返せる……俺にとっては、仕事よりすみれの方が大事なだけだ」

 その言葉には、一分の揺らぎも、私に対する怒りも含まれていなかった。
 ただただ深い慈愛に包まれ、私は涙を堪えるように、喉の奥で息を詰めたまま頷いた。

 きちんと、綾乃様にご説明をしよう。
 誠心誠意、言葉を尽くせば、きっとわかってもらえる。

 東宮殿下からの簪は、暁臣様の手ですでにお返ししたこと。
 あの純白の振袖も、一度だけ拝見したきりで、袖を通すつもりはないこと。
 東宮殿下とは今後一切、私的にお会いするつもりはないこと。
 綾乃様が納得される方法があるなら——その通りにする覚悟があること。

 何より。
 綾乃様と殿下のご成婚を、心の底からお祝いしていること。

 そして——。
 私がこの一生で触れたいと願う手は、暁臣様の温かな手だけであることを。

 上手く伝えられるだろうか。
 迎えの車に乗り込み、窓の外を流れる新緑の景色を眺める余裕もないまま、私は何度も、何度も、胸の内で言葉を繰り返し、繰り返し反芻し続けていた。