暁臣様が仕事へ向かわれた後、部屋に残った私は、信子さんと一緒に朝餉の器を片付けていた。
静かな室内に響くのは、陶器が触れ合うかすかな音だけ。湯気の名残が、まだ少しだけ空気を温めている。
「すみません……片付けまで、手伝わせてしまって」
「いいえ、お気になさらず。……すみれお嬢様は、いつも朝餉は殿下とご一緒にお摂りになられているのですか?」
「え……?はい。ここへ来てからは、ほぼ毎日、ご一緒していただいています」
「……そうなのですね」
信子さんが、少し意外そうに目を細めた。
蔵にいた頃は、冷えたわずかばかりの食事を、たった一人で喉に通すのが当たり前だった。
誰かと向かい合って、同じものを口にし、言葉を交わす——それ自体が、私にはなかった習慣だ。
だから、暁臣様が向かいに座り、同じものを口にする時間が、今の私にとっては新しい日常になっている。
そういえば以前、祝賀会のときにも同じように、信子さんが驚いていたことを、ふと思い出した。
「ひょっとして……珍しいことなのでしょうか」
「え?」
「あの……暁臣様が、私と食事の時間を合わせてくださることが……」
「……そうですね。ご家庭によって習慣はそれぞれ違うとは思いますが」
信子さんはほんの少し悩むように手を止め、壊れ物を扱うように、ゆっくりと言葉を選びながら続けた。
「身分の高いお家柄ですと、ご主人様と奥様、お子様たちで、行動の時間が合わないことも多いですから」
「そう、なんですね……」
「我が家のような下級貴族でも、食事の時間を合わせるほうが、むしろ珍しいくらいかもしれません」
暁臣様のことだ。
きっと、元々食の細い私を心配して、きちんと食べているか見守ってくださっているに違いない。
けれど、ふと不安がよぎる。
暁臣様だって、本当は自分のペースで、気兼ねなく食事を摂るほうが楽だったりするのではないだろうか。
私を気遣うあまり、無理をさせてしまっているのでは……。
それでも私にとって、他愛のない会話が交わされる朝の時間は、何物にも代えがたいほど心地よい。
お仕事や学校で離れ離れになるぶん、短い時間でも、あの方の隣に置いてほしくなってしまう。
——欲張りだと分かっているのに。
「やっぱり……別々に摂るほうが、暁臣様にとってはよいのでしょうか……?」
「いいえ。そんなことはありませんよ」
信子さんの声は、きっぱりしていた。
「殿下が何も仰らずに毎日席に着かれるのは、きっと……すみれお嬢様とのひとときを、何より大切にされているということです」
本当に、そう思ってくださっているのだろうか。
もしそうなら——こんなに嬉しいことはない。
信子さんの温かな言葉に、張り詰めていた心が、ふっとほどけていくのを感じた。
「すみれお嬢様。最近のお勉強のご様子を拝見するに、読める漢字も随分と増えてきましたし……よろしければ一度、小説などをお読みになってみませんか?」
「小説……ですか?絵の少ない、本のことでしょうか」
「はい。難しい漢字もありますが、辞典も用意しますし、わからないことは何でも私に聞いてください。物語に触れるのは、とても楽しいことですよ」
今までは、ひらがなやカタカナを追うので精一杯で、簡単な、挿絵の多いお伽噺のようなものしか読んだことがなかった。
けれど、もし本当に——私でも小説が読めるようになっているのだとしたら。
今まで積み重ねてきた、お勉強の時間が形になったようで。
自分の成長を、少しだけ実感できるかもしれない。
「……はい。ぜひ。用意をお願いしても、よろしいでしょうか?」
「もちろんです。次にお伺いするときに、お嬢様が読みやすい、素敵なお話を探してきますね」
どのようなお話が、私を待っているのだろう。
難しくて立ち止まってしまわないか、少しだけ不安。
けれど、新しい世界の扉を叩くような期待に、胸の奥がほんのり熱を帯びていた。
静かな室内に響くのは、陶器が触れ合うかすかな音だけ。湯気の名残が、まだ少しだけ空気を温めている。
「すみません……片付けまで、手伝わせてしまって」
「いいえ、お気になさらず。……すみれお嬢様は、いつも朝餉は殿下とご一緒にお摂りになられているのですか?」
「え……?はい。ここへ来てからは、ほぼ毎日、ご一緒していただいています」
「……そうなのですね」
信子さんが、少し意外そうに目を細めた。
蔵にいた頃は、冷えたわずかばかりの食事を、たった一人で喉に通すのが当たり前だった。
誰かと向かい合って、同じものを口にし、言葉を交わす——それ自体が、私にはなかった習慣だ。
だから、暁臣様が向かいに座り、同じものを口にする時間が、今の私にとっては新しい日常になっている。
そういえば以前、祝賀会のときにも同じように、信子さんが驚いていたことを、ふと思い出した。
「ひょっとして……珍しいことなのでしょうか」
「え?」
「あの……暁臣様が、私と食事の時間を合わせてくださることが……」
「……そうですね。ご家庭によって習慣はそれぞれ違うとは思いますが」
信子さんはほんの少し悩むように手を止め、壊れ物を扱うように、ゆっくりと言葉を選びながら続けた。
「身分の高いお家柄ですと、ご主人様と奥様、お子様たちで、行動の時間が合わないことも多いですから」
「そう、なんですね……」
「我が家のような下級貴族でも、食事の時間を合わせるほうが、むしろ珍しいくらいかもしれません」
暁臣様のことだ。
きっと、元々食の細い私を心配して、きちんと食べているか見守ってくださっているに違いない。
けれど、ふと不安がよぎる。
暁臣様だって、本当は自分のペースで、気兼ねなく食事を摂るほうが楽だったりするのではないだろうか。
私を気遣うあまり、無理をさせてしまっているのでは……。
それでも私にとって、他愛のない会話が交わされる朝の時間は、何物にも代えがたいほど心地よい。
お仕事や学校で離れ離れになるぶん、短い時間でも、あの方の隣に置いてほしくなってしまう。
——欲張りだと分かっているのに。
「やっぱり……別々に摂るほうが、暁臣様にとってはよいのでしょうか……?」
「いいえ。そんなことはありませんよ」
信子さんの声は、きっぱりしていた。
「殿下が何も仰らずに毎日席に着かれるのは、きっと……すみれお嬢様とのひとときを、何より大切にされているということです」
本当に、そう思ってくださっているのだろうか。
もしそうなら——こんなに嬉しいことはない。
信子さんの温かな言葉に、張り詰めていた心が、ふっとほどけていくのを感じた。
「すみれお嬢様。最近のお勉強のご様子を拝見するに、読める漢字も随分と増えてきましたし……よろしければ一度、小説などをお読みになってみませんか?」
「小説……ですか?絵の少ない、本のことでしょうか」
「はい。難しい漢字もありますが、辞典も用意しますし、わからないことは何でも私に聞いてください。物語に触れるのは、とても楽しいことですよ」
今までは、ひらがなやカタカナを追うので精一杯で、簡単な、挿絵の多いお伽噺のようなものしか読んだことがなかった。
けれど、もし本当に——私でも小説が読めるようになっているのだとしたら。
今まで積み重ねてきた、お勉強の時間が形になったようで。
自分の成長を、少しだけ実感できるかもしれない。
「……はい。ぜひ。用意をお願いしても、よろしいでしょうか?」
「もちろんです。次にお伺いするときに、お嬢様が読みやすい、素敵なお話を探してきますね」
どのようなお話が、私を待っているのだろう。
難しくて立ち止まってしまわないか、少しだけ不安。
けれど、新しい世界の扉を叩くような期待に、胸の奥がほんのり熱を帯びていた。



