【Web版】無華の花嫁3~秘めた力を狙われた少女は、黒薔薇の殿下に溺愛される~

 雪の名残が庭の隅々に白く残る朝、朝霞伯爵家に一通の書状が届けられた。
 朝食の席でその封蝋の色彩を目にした瞬間、妹の百合は喉を鳴らして息を呑む。
 高貴なる紫の蝋に刻印された、皇族の——それも東宮方の印。

「……え?私に……東宮殿下から?」

 女中が恐る恐る差し出したそれを、百合はひったくるような勢いで受け取った。
 指先が歓喜に震え、胸の奥にどろりとした熱が広がる。
 屈辱に歪んでいたはずの唇が、いまは勝利を確信した笑みを作ろうとしていた。
 来た。ようやく、私の番が。

 五条暁臣の婚約者候補として、社交界で我が世の春を謳歌していたとき期があった。
 だが結果は惨敗。
 あの『無華』で、蔵の鼠のように生きてきた、何も持たないはずの姉——すみれに、すべてを奪われた。
 その憎悪は日ごとに増し、百合の心をじわじわと真っ黒に染め上げてきたのだ。

 けれど、神は見捨ててはいなかった。
 今度の相手は、宮家を凌ぐ東宮。
 この国で、これ以上ない最高位に君臨する男。

「……やっと、来たわ……!」

 百合は食事もそこそこに鏡台の前へ駆け込むと、入念に髪を整え、肌を磨き上げた。
 頬の色、唇の艶、瞳の潤み方。
 鏡に向かって、何度も『可憐な涙』を零す練習を繰り返す。
 虐げられた悲劇のヒロインには、真珠のような涙こそがふさわしい。
 そう信じて疑わなかった。
 泣けないなら、泣ける顔を作ればいい——それで世界は味方をする。

 指定された面会場所は、華やかな東宮御所ではなかった。
 宮内省の一角にある、歴史だけは古いが、どこか事務的な空気が漂う応接間。
 百合は一瞬、その殺風景さに肩透かしを食らいながらも、すぐに気を取り直して胸を張り、淑女らしく着座した。

 ——大丈夫。これは単なる前段に過ぎない。
 殿下のような尊いお方は、後から劇的に現れるものなのだから。

 向かいに座ったのは、三十代半ばほどの怜悧な顔立ちの男だった。
 髪は一分の隙もなく撫でつけられ、官吏の制服は皺一つない。
 丁寧な物腰ではあるが、その瞳には凍てつくような冷徹さが宿っている。
 その調べる目は優しさの欠片もない、紙と事実だけを見る目だ。

「朝霞百合様。お忙しい中、足を運んでいただき感謝いたします」
「いえ……。殿下のお役に立てる機会をいただけるのでしたら、この百合、どこへでも参りますわ」

 男は表情を変えずに一礼し、手元の書類を無造作に開いた。
 紙をめくる音が、やけに乾いて響く。

「本日は、一昨年の年末からの事実関係について、いくつか確認させていただきたいことがございます」
「……はい。何なりとお聞きになってくださいまし」