暁臣様のお部屋に招き入れられると、促されるままにソファへ腰を下ろす。
膝の上には、先ほど賜ったばかりの桐箱。
その重みが、まるで冷たい石のように私を縛り付けている。
抱えた腕の内側まで冷えていく気がして、指先が無意識に箱の角をなぞった。
「……開けてみるか」
「はい……」
暁臣様の許可を待たなければ、この箱に触れてはいけない。
それが当たり前の礼儀のはずなのに、今は別の意味に思えてくる。
まるで、中身が何かわかってしまっている玉手箱のようだ。
開けた瞬間、戻れなくなる——そんな本能的な畏怖が、指先を強張らせる。
私は震える手で、そっと桐箱の蓋を持ち上げた。
中に納められていたのは——深い、深い紫がかった黒の簪だった。
一見して派手さはない。
煌びやかな宝石が散りばめられているわけでもない。
けれど、その黒い軸には、目を見張るほど細やかな彫りが施されている。
光の加減によって、そこに高貴な菊の文様が密やかに浮かび上がる仕様。
静かで、強い。触れたら指先が切れそうなほど、鋭い気品がある。
「……簪……?」
私が小さく呟いた瞬間、暁臣様の双眸が、射抜くような鋭さを帯びた。
「それだけか。他には何も入っていないのか」
「はい……。あの、暁臣様。この簪には、何か……特別な意味があるのでしょうか」
「ある」
即答だった。
暁臣様は、運ばれてきたカップの珈琲に口をつけることさえせず、ただその簪を凝視している。
眉間の奥が固く、空気が少しだけ重くなる。
「だが、受け取ったことが即座に『応え』になるわけではない」
「……応え、ですか?」
「東宮はその程度の言葉遊びは熟知している……ただし、だ」
その言葉に、ほんの少しだけ胸のつかえが降りるのを感じた。
けれど同時に、背筋をひやりとした冷気が通り抜ける。
暁臣様は、私の手元から奪い取るように簪を、箱ごと取り上げた。
指が触れた瞬間、黒が一層深く見えた気がして、息が止まる。
「これは、絶対に髪に挿すな」
「……え?」
「理由は聞かなくていい。すみれがこれに触れる必要もない」
長い指先で簪をしまいながら、暁臣様は苦虫を噛み潰したように目を伏せた。
言い切る声が硬い。——優しさの形をした、命令。
「婚約者として贈るにはあまりに控えめだが、個人的な好意を示すには十分すぎる品だ……その境界を、あえて狙ってきている」
「好意……?東宮殿下が、私にですか……?」
そんなこと、あるはずがない。
私には『華』もなく、身分も低く、何より殿下には綾乃様という、これ以上ないお妃候補がいらっしゃるのに。
なのに、胸の奥が嫌なふうにざわめく。否定したいのに、否定できない怖さが残る。
「だから、あの男は嫌いなんだ」
暁臣様の声には、隠そうともしない、はっきりとした嫌悪が滲んでいた。
彼はふっと重苦しい吐息を吐き出すと、箱を机に置く。
桐が木目のまま静かに横たわっているだけなのに、部屋の中でそれだけが異物みたいだった。
「すみれ。お前は、この簪がほしいのか?」
「私は……」
膝の上には、先ほど賜ったばかりの桐箱。
その重みが、まるで冷たい石のように私を縛り付けている。
抱えた腕の内側まで冷えていく気がして、指先が無意識に箱の角をなぞった。
「……開けてみるか」
「はい……」
暁臣様の許可を待たなければ、この箱に触れてはいけない。
それが当たり前の礼儀のはずなのに、今は別の意味に思えてくる。
まるで、中身が何かわかってしまっている玉手箱のようだ。
開けた瞬間、戻れなくなる——そんな本能的な畏怖が、指先を強張らせる。
私は震える手で、そっと桐箱の蓋を持ち上げた。
中に納められていたのは——深い、深い紫がかった黒の簪だった。
一見して派手さはない。
煌びやかな宝石が散りばめられているわけでもない。
けれど、その黒い軸には、目を見張るほど細やかな彫りが施されている。
光の加減によって、そこに高貴な菊の文様が密やかに浮かび上がる仕様。
静かで、強い。触れたら指先が切れそうなほど、鋭い気品がある。
「……簪……?」
私が小さく呟いた瞬間、暁臣様の双眸が、射抜くような鋭さを帯びた。
「それだけか。他には何も入っていないのか」
「はい……。あの、暁臣様。この簪には、何か……特別な意味があるのでしょうか」
「ある」
即答だった。
暁臣様は、運ばれてきたカップの珈琲に口をつけることさえせず、ただその簪を凝視している。
眉間の奥が固く、空気が少しだけ重くなる。
「だが、受け取ったことが即座に『応え』になるわけではない」
「……応え、ですか?」
「東宮はその程度の言葉遊びは熟知している……ただし、だ」
その言葉に、ほんの少しだけ胸のつかえが降りるのを感じた。
けれど同時に、背筋をひやりとした冷気が通り抜ける。
暁臣様は、私の手元から奪い取るように簪を、箱ごと取り上げた。
指が触れた瞬間、黒が一層深く見えた気がして、息が止まる。
「これは、絶対に髪に挿すな」
「……え?」
「理由は聞かなくていい。すみれがこれに触れる必要もない」
長い指先で簪をしまいながら、暁臣様は苦虫を噛み潰したように目を伏せた。
言い切る声が硬い。——優しさの形をした、命令。
「婚約者として贈るにはあまりに控えめだが、個人的な好意を示すには十分すぎる品だ……その境界を、あえて狙ってきている」
「好意……?東宮殿下が、私にですか……?」
そんなこと、あるはずがない。
私には『華』もなく、身分も低く、何より殿下には綾乃様という、これ以上ないお妃候補がいらっしゃるのに。
なのに、胸の奥が嫌なふうにざわめく。否定したいのに、否定できない怖さが残る。
「だから、あの男は嫌いなんだ」
暁臣様の声には、隠そうともしない、はっきりとした嫌悪が滲んでいた。
彼はふっと重苦しい吐息を吐き出すと、箱を机に置く。
桐が木目のまま静かに横たわっているだけなのに、部屋の中でそれだけが異物みたいだった。
「すみれ。お前は、この簪がほしいのか?」
「私は……」



