喫茶店の重い扉を押し開けると、そこは外の凍てつく寒さが嘘のような、別世界が広がっていた。
赤々と燃えるストーブの火。鼻腔をくすぐる、香ばしくも深い珈琲の香り。
食器が触れ合う軽やかな音と、人々の低い話し声。
東宮御所で感じた、あの喉の奥が詰まるような緊張が、店内の琥珀色の空気の中にほどけて溶け出していく。
肩が、少しだけ下がる。
息ができる。——ここなら、私も息をしていい。
「俺の方で頼んで構わないか?」
「……はい。お願いします」
暁臣様はそう短く告げると、手慣れた様子で店員に注文を済ませた。
促されて向かい合って座ると、テーブルを挟んで自然と視線が重なる。
窓の外で降り続く雪が、どこか遠い世界の出来事のように思えた。
さっきまでの視線や拍手が、硝子の向こうへ押しやられていく。
運ばれてきたのは、白い磁器の皿に乗った小さなカップ。
黒に近い褐色の液体からは、ゆらゆらと細い湯気が立ちのぼっている。
「……これ、は……?」
「珈琲だ。飲んだことはあるか?」
「こ、こー……ひー……。いえ、一度も」
何度か暁臣様と一緒にこうした店を訪れたことはある。
そのときに口にしたのは、レモンが添えられた紅茶。
漂ってくるこの独特な香りが『珈琲』という飲み物だとは教わっていた。
けれど、こうして実物を目の当たりにするのはもちろん、口にする機会など一度もなかった。
「熱いぞ。慌てて舌を焼くなよ」
暁臣様は先にカップを持ち上げ、何でもないような優雅な所作で口をつける。
湯気の向こう、伏せられた長い睫毛さえ絵画のように美しく、私はつい、まじまじと見つめてしまった。
……見惚れている場合じゃないのに。
そう思っても、視線が外れない。
私も見よう見まねで、冷えた指先でそっとカップを包み込む。
陶器の熱がじわりと伝わって、指先の冷えが少しだけほどける。
鼻先をくすぐる匂いは、少し焦げたような、それでいてどこか清々しい、言葉では言い表せない初めての香りだった。
深い、黒い、でも嫌じゃない。むしろ、惹かれる。……怖いのに。
こんなに真っ黒な飲み物。一体どんな味がするのだろう。
期待と不安を抱えながら、そっと唇を湿らせた瞬間——。
「っ……!」
赤々と燃えるストーブの火。鼻腔をくすぐる、香ばしくも深い珈琲の香り。
食器が触れ合う軽やかな音と、人々の低い話し声。
東宮御所で感じた、あの喉の奥が詰まるような緊張が、店内の琥珀色の空気の中にほどけて溶け出していく。
肩が、少しだけ下がる。
息ができる。——ここなら、私も息をしていい。
「俺の方で頼んで構わないか?」
「……はい。お願いします」
暁臣様はそう短く告げると、手慣れた様子で店員に注文を済ませた。
促されて向かい合って座ると、テーブルを挟んで自然と視線が重なる。
窓の外で降り続く雪が、どこか遠い世界の出来事のように思えた。
さっきまでの視線や拍手が、硝子の向こうへ押しやられていく。
運ばれてきたのは、白い磁器の皿に乗った小さなカップ。
黒に近い褐色の液体からは、ゆらゆらと細い湯気が立ちのぼっている。
「……これ、は……?」
「珈琲だ。飲んだことはあるか?」
「こ、こー……ひー……。いえ、一度も」
何度か暁臣様と一緒にこうした店を訪れたことはある。
そのときに口にしたのは、レモンが添えられた紅茶。
漂ってくるこの独特な香りが『珈琲』という飲み物だとは教わっていた。
けれど、こうして実物を目の当たりにするのはもちろん、口にする機会など一度もなかった。
「熱いぞ。慌てて舌を焼くなよ」
暁臣様は先にカップを持ち上げ、何でもないような優雅な所作で口をつける。
湯気の向こう、伏せられた長い睫毛さえ絵画のように美しく、私はつい、まじまじと見つめてしまった。
……見惚れている場合じゃないのに。
そう思っても、視線が外れない。
私も見よう見まねで、冷えた指先でそっとカップを包み込む。
陶器の熱がじわりと伝わって、指先の冷えが少しだけほどける。
鼻先をくすぐる匂いは、少し焦げたような、それでいてどこか清々しい、言葉では言い表せない初めての香りだった。
深い、黒い、でも嫌じゃない。むしろ、惹かれる。……怖いのに。
こんなに真っ黒な飲み物。一体どんな味がするのだろう。
期待と不安を抱えながら、そっと唇を湿らせた瞬間——。
「っ……!」



