神々の食卓――御厨守をしていたら神様に求婚されました

 扉を開けた先に、部屋が広がっていた。部屋の一番奥に、鏡が祀られている。その前に白瞑が立っていた。

「白瞑!」

 晴は白瞑に駆け寄った。

「本当に最奥で会えたね。良かった。白瞑は……」

 白瞑の顔を見上げた晴は、言葉を失った。その目が、何も映していないように虚ろだったからだ。

「白瞑、どうしたの? 途中で何かあったの?」

 白瞑の手を握る。晴の手が、ビクリと震えた。握った白瞑の手から熱を感じない。

「どう、して……どうなっているの」

 晴は、冷たい白瞑の手を、そっと握った。

「白瞑の時間を止めた。白瞑は今、動けない」

 薄く開いた白瞑の唇が、そう語った。虚ろな瞳が、晴を見下ろす。

「時を止めたって、どうして。白瞑は喋っているのに」
「今、話しているのは、白瞑じゃない」

 白瞑の後ろに祀られた鏡が、きらりと光った。

(時の神様は実態を持たない。だから御饌も食べないって、白瞑が話していた)

 晴は、鏡と白瞑を見比べた。

「白瞑の中にいるのは、時の神様……?」

 白い唇が薄く弧を描いた。

「話をする時は、こうして誰かの体を借りる。伴侶の試しをする時は、伴侶になる者の体を借りている」

 白瞑の姿をした時の神が、晴に向き合った。

「晴に聞かないといけない。白瞑の伴侶になるのか、御厨守に戻るのか」
「……え?」

 時の神の言葉が、うまく理解できなかった。

「白瞑の伴侶になるために、料理を捨てろといったら、捨てられる?」

 白瞑の色の無い顔が、淡々と問う。話し方も表情もいつもの白瞑ではないのに。まるで白瞑に選択を迫られているみたいだ。

「それは……そんなの……」

 どっちも晴にとって、同じくらい大切だ。どちらかなんて、選べない。

「回廊で、晴の記憶を見た。晴の中は白瞑でいっぱい。答えはもう、出ているんじゃないの?」
「あれは、僕の記憶だったの? 僕の記憶を時の神様が観ていたの?」

 白瞑の顔をした時の神が、頷いた。

「晴にとって大切な記憶を引き出した。全部が、白瞑だった」

 確かに、その通りだ。白瞑がいない場面なんか、なかった。

(だけど僕にとって、料理は何より大切で。白瞑と比べるなんて、考えたこともなかった)

 何かを言わなければいけないのに。言葉が出てこない。時の神に、返事ができない。
 白瞑の白い手が、晴に向かって伸びた。

「どちらか選べたら、白瞑の時間を返してあげる。選べないなら、返さない。夕暮の神は自然に溶けて、薄明を守る」

 ゾワリ、と寒気がした。
 時の神の言葉をはっきり理解できないのに、わかった。

(ここで応えないと、白瞑が死んじゃうんだ)

 自然に溶けるとはきっと、神の死だ。直感的に、そう思った。

(僕が選ばなきゃ。白瞑を選ばなきゃ)

 口を開いて、言葉を発しようとする。喉が締まって、声が出ない。

(料理を捨てる。もう何も作れなくなる。もう何も……)

 今まで作ってきた料理や師匠の顔が浮かぶ。食べて喜んでくれた神々の顔が浮かぶ。色んな思いが込み上げる。

(嫌だよ、料理が作れなくなるなんて、嫌だ)

 同じくらい、白瞑も失いたくない。

(言わなきゃ。白瞑って、言わなきゃ)

 晴の胸の中に、覚悟という言葉が浮かんだ。同時に、以前に白瞑に言われた言葉が過った。

『私の一番は晴だけど、晴の一番は私じゃない』

 白瞑が、どうして晴を伴侶にするのを先延ばしにしていたのか、やっとわかった。

(覚悟が……総てを捨てて白瞑だけ選ぶ覚悟が、足りていなかったんだ)

 潤みそうになる目を、拳を握って耐えた。今の晴に泣く資格なんかない。
 虚ろな瞳が、微動だにせず晴を見下ろす。その口が開いた。

「神の伴侶になった御厨守たちがどうなったか、知っている?」
「……え?」

 突然、違う話を振られて、晴は時の神を見上げた。

「神の伴侶に選ばれた歴代の御厨守たちも、時の大社に来た。同じ質問を投げた」
「同じ……みんな、何て答えたの?」

 時の神が、鏡に向いた。

「答えは教えない。結果だけ、教えてあげる。これまでの御厨守は皆、神の伴侶にはなれた。けど、人のまま。人の寿命で自然に還った」

 鏡から、ゆらゆらと光が伸びて、揺れる。
 時の神が晴を振り返った。

「晴は、どんな答えを出すのかな」

 時の神がゆっくりと晴に近付いた。

「ここに来るまでに、考える時間はあったはず。さぁ、答えて」

 時の神が手を伸ばした。
 その手は紛れもなく白瞑だ。いつもよりずっと白い。

(早く……答えなきゃ。白瞑を助けなきゃ。料理を、捨てるって……)

 色んな思いが胸を交錯する。色々な言葉が頭を飛び交う。
 晴の目から一筋、涙が零れた。

「白瞑が大好きだよ。だけど、料理を捨てるなんて、できない。だって、料理がなきゃ白瞑に会えなかった。料理があったから、僕らは繋がれたんだ」

 晴が御厨守でなければ、白瞑が神でなければ、出会うことすらあり得なかった。

「料理がなくなったら、僕は僕じゃなくなる。白瞑が愛してくれた僕のままで、僕も白瞑を愛していたいよ」

 時の神が白瞑の顔で晴を見下ろす。

「それが、晴の答え?」
「そう、です」

 晴は目を擦りながら頷いた。

「そう……わかった」

 白瞑の指が伸びて、晴の額を押した。

「え……? あっ!」

 晴の額を捉えた指先に白くて小さな光が灯る。

「どちらかと言ったのに。両方選ぼうなんて、強欲な子だ」
「ご、ごめんなさい……お願い、白瞑を返して」
「さぁ、どうしようか。晴が自分の役割を受け入れたら、考えてもいい」
「役割……? 御厨守じゃなくて?」

 この神世では、皆がそれぞれに役割を持っていると湫憂が教えてくれた。今の晴の役割は、御厨守だ。

「御厨だけじゃない。これからは、神世の食を守る。保食の神になれ」
「保食の神」

 麗良が話していた神様の名前だ。晴には可能性があると、立夏も話していた。

「この神世には食の神が足りない。これまでの御厨守にも、同じ問いかけをして、試した。皆が伴侶になる神を選んだ。それでは駄目なんだ。保食の神となり得る者は、誰より食を愛し、伴侶を愛していなければ」

 額を捉える指先の光が、晴の中に吸い込まれた。

「あっ、熱い」

 体が熱を発して、頭がくらくらする。

「これは保食の神となる印。あと必要なのは白瞑の神力だけ」

 指が離れた途端、フワフワしていた体が重くなった。晴は、その場に座り込んだ。

「これまでの御厨守の中で、晴はもっとも適任だ。待って良かった。そうだろう、白瞑」

 白瞑の口端が、わずかに上がった。

「約束通り、最愛の白瞑を返してあげるよ」

 揺蕩っていた鏡の光が一際、強くなった。光が徐々に大きくなり、薄明の体を包んだ。
 ゆっくりと目を閉じた白瞑の体が、前屈みに崩れた。

「……は、白瞑!」

 晴は立ち上がると、白瞑に駆け寄った。倒れてきた体を受け止めた。

『目覚めさせるには、白瞑の神力を吸い上げてやるといい』

 鏡から、声が聞こえた。

『神力を吸い上げれば、晴も保食の神になれる』

 晴は息を飲んだ。

「神力を、吸い上げる」

 言われた言葉を繰り返した。
 白瞑の頬に触れる。真っ白だった肌に少しずつ色が戻ってきている。

「戻ってきて、白瞑」

 晴は白瞑の唇に指を滑らせた。色を戻し始めた唇に、自分の唇を重ねた。強く吸い上げると、白瞑の神力が晴の体に流れ込んできた。

(あぁ……温かい。夕暮れの匂いがする)

 白瞑の温もりと匂いを体中で感じる。白瞑の体が、ビクリと震えた。

「ん……晴」
「白瞑、目が覚めたんだね……きゅぅ」

 白瞑の腕が伸びて、晴の体を抱きしめた。いつもより、ずっとずっと力が強くて、息が漏れた。

「やっぱり、晴は大丈夫だった。私が思った以上の晴だった」
「白瞑……?」

 白瞑の声が涙ぐんでいる。

「料理を捨てない晴が、私は好きだよ。料理をしている時の晴が、一番好きだ」

 晴の胸が甘く締まった。大好きな神様が、大好きなことをしている自分を好きと行ってくれる。それが何より幸せだった。

「僕も、白瞑と一緒に料理するのが好き。一緒に空を見上げるのも、好き。白瞑が、大好き」

 抱きしめてくれるのと同じくらいの力で、抱き返した。

「晴……額が光ってる」

 白瞑が身を起こして晴の額を見詰めた。

「これ……さっき、時の神様が。保食の神の印だって」

 晴は自分の額に触れた。まだじんわりと熱を持っている。

「私の神力が混ざって、落ち着かないんだね」

 白瞑の手が晴の前髪を退ける。光に唇を押し当てて、白瞑が額にキスをした。灯っていた光が強さを帯びたまま晴の中に落ちて行った。

「何か、感じる?」
「体が熱くて、ちょっとフワフワする」

 最初に印を付けられた時のような浮遊感で、くらくらする。

「時期に収まるよ。これで晴も神様の仲間入りだ」
「僕、本当に神様になったの?」

 急に神様と言われても、体が熱い以外の実感がない。

「神力が馴染むと変わってくるはずだよ。神力も使えるようになる」

 白瞑が嬉しそうに笑った。

「ねぇ、晴。小指を見て」

 白瞑が左手の小指を持ち上げた。赤い糸が結ばれている。その先が晴の小指に繋がっていた。

「これで私たちは、伴侶だよ」

 晴は自分の小指と白瞑の小指を見比べた。

「伴侶になれたんだ。白瞑と、伴侶に……」

 じわりと、目が潤んだ。

「良かった……良かったよ」

 堰を切ったように涙が溢れ出た。白瞑が晴の顔を胸に抱いた。

「頑張ったね、晴」

 労ってくれる言葉が嬉しい。それ以上に、白瞑が返ってきてくれて、嬉しい。

「白瞑が死んじゃったら、どうしようかと思った」

 晴の答えが間違っていたらと思うと、今でも怖い。

「晴は間違わないよ。私が選んだ晴なんだから」

 白瞑の優しい指が、晴の頬を撫でる。上向いた晴の顔に、柔らかなキスが降りてきた。唇が重なって熱が溶け合う。

「白瞑……」

 白瞑の顔が幻想的に映って、夢でも見ているみたいだ。

「私たちの屋敷に帰ろうか」
「うん。一緒に帰ろう」

 包んでくれる優しい温もりは、もう二度と消えない。同じ熱で、同じ時を生きられる。
 白瞑の熱に安心とくすぐったさを感じていた。