広間に入ってからも、空気がピリピリしていた。眷属のリスがお茶を淹れてくれたが、誰も手を付けない。
夜見は晴を睨んでいるし、そんな夜見を白瞑が牽制している。
(どうしよう。こんなにピリピリしている白瞑は、初めてだ)
晴は困った心持で照陽に助けを求めた。初対面だが、この場では一番頼りになる気がする。
「え……えっと、そうね。まずは自己紹介しましょうか」
晴の視線に気が付いた照陽が口火を切ってくれた。
「どうして僕らが先に? そこの狸がするのが筋だろう。神の伴侶候補になって、神より偉くなったつもりなのか」
夜見が鋭く晴を睨む。
白瞑が前のめりになった。晴は慌てて白瞑を引張った。
「僕からご挨拶します。御厨守の晴です。白瞑の伴侶候補です。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる。照陽がパチパチと拍手してくれた。
「晴くんの御饌、いつも美味しくいただいているわぁ。お日様大豆のミートパイも、とても美味しかったわ」
「喜んでいただけて、嬉しいです。こちらこそ、食べていただいて、ありがとうございます」
とりあえず、照陽だけでも喜んでくれて良かった。
「御厨守なんだ。美味い御饌が作れて当然だろう」
夜見が、そっぽを向いた。
「もう、夜見ったら。いい加減にしなさい。貴方も自己紹介なさい」
夜見がそっぽを向いたきり、口を閉ざした。
困った顔をしながら、照陽が晴に向き直った。
「私は日の神の照陽よ。こっちは月の神の夜見。私たちは姉弟なの」
「そうなんですね。あまり似てない……」
夜見に睨まれて、晴は自分の口を手で覆った。
「夜見だって、本当は晴くんの御饌が大好きなのよ。星屑のキラキラゼリーなんか、一番のお気に入りよ」
「黙れ、照陽」
夜見が照陽を威嚇した。
「僕はお前が白瞑の屋敷にいるのが気に入らない。だから、ここで御厨守をするなんて、絶対に認めない」
夜見がぴしゃりと言いきった。
「私は大賛成なんだけどねぇ」
「黙っていろ、照陽」
小さな声で合意をくれた照陽を、夜見が制した。
「たった一人でも合意が得られなければ、お前は狭間に戻るしかないのだろう。さっさと帰れ」
夜見の言い草に、白瞑が大仰なほどの溜息をついた。
「あまりに横暴だよ、夜見。まるで子供の屁理屈だ。今の意見が本気なら、私は夜見を神として軽蔑する」
白瞑が淡々と返す。夜見が、ぐっと唇を噛んだ。
「ぼ……僕だって、私怨でこんなこと、言っている訳じゃない。狭間で仕事をすべき御厨守が神世にいること自体、おかしいんだ。神でも、その眷属でもない者が神世にいるなんて前例がない。神世の秩序を乱す行為だ」
それは、湫憂も話していた。夜見の言っていることは正論なのだろう。
「その点は、湫憂とも話し合っている。だから、役割を得ようと、こうして神々の合意を求めているんだ」
白瞑の背中で、ビリっと神力が響いた。
「私は夜見の求婚を断った。その八つ当たりを晴にしているのなら、許さないよ」
白瞑が夜見を見据える。夜見が泣きそうな目で白瞑を睨む。
二人を眺めて、照陽が息を吐いた。
「確かに、夜見の言葉は横暴だし横柄よね。八つ当たりって言われても仕方がない。でもね、白瞑。異例であることは事実なのよ。慎重にならなければいけないのは、間違いないの」
照陽が困った顔で釘を刺した。
「勿論、充分わかっているよ」
白瞑の背中の神力が大きくなる。それを、晴はハラハラしながら見詰めた。
「今、ここで合意することもできる。でも、それじゃ六人の神の合意を得る意味がないのよ」
「意味とは、何?」
白瞑が問い掛ける。照陽の目が、晴に向いた。
「晴が神世にふさわしい存在かを見極める意味ね。もっと言うなら、白瞑の伴侶にふさわしいかを見極めるのが、私たちの役目でもあるわ」
「それって、どういう……」
「今の段階で、そこまでしないといけない?」
晴の言葉を白瞑が遮った。切羽詰まった声が、白瞑から漏れた。
「白瞑は、夕暮の神だからな」
夜見が、当然のように言い切った。
「昼と夜のあわい、日の神と月の神を繋ぐ神、それが夕暮の神だ」
「照陽様と夜見様を繋ぐ神様……」
この神世を作る軸である日と月を繋ぐ神。とても重要なお務めであると、晴でも感じ取れた。
「白瞑は、神世の誰よりも美しく、儚い。だからこそ孤高で、神すらも寄せ付けない。白瞑こそが、完成された美だ」
夜見の言葉が熱を帯びていく。
「美しさを体現した存在である薄明の伴侶が、狸の獣人なんぞでいいはずがない。満天の星が瞬く夜空で、美しく輝く月を統べる僕こそが相応しい!」
「それ以上、言ったら夜見を嫌いになる」
白瞑が無表情に吐き捨てた。
夜見が息を飲んだ。その目が泣きそうに歪む。
「どうして、わからないんだ、白瞑。僕は白瞑をこんなにも愛して、大切に思っているのに」
夜見の必死の訴えから、白瞑が目を逸らした。
一瞬、悲しそうに歪んだ夜見の目に、悔しさが灯った。
そんな二人を、晴はどこか遠巻きに眺めていた。
(夜見様は夜見様なりに、白瞑のことが本気で好きなんだ)
白瞑もまた、本気で迷惑に感じている。それがわかるから、何も言えない。
(でも、負けたくないな)
白瞑を好きな気持ちで夜見に負けたくない。それだけは確かに晴の中にあった。
「考え直せ、白瞑。僕ならいつでも白瞑を迎える準備がある。狸なんか、白瞑の伴侶には……痛っ」
照陽が夜見の頭を、ぽかりと叩いた。
「貴方は少し黙りなさい、夜見。白瞑が迷惑しているわ。本当に嫌われたいの?」
照陽に叱られて、夜見の肩がしゅんと下がった。
「晴くんも、ごめんなさいね」
「いえ、僕は、何とも」
白瞑をちらりと見上げる。いつになく不機嫌な顔だ。
同じように白瞑を眺めた照陽が苦笑した。
「話が逸れちゃったけど、白瞑が神世において重要な神であるのは、その通りなの。晴くんが獣人だからとかでは、決してなくてね。相応しい相手かどうかを見極める必要が、私たちにはあるのよ」
照陽が優しく教えてくれた。けれど、その内容が優しくないのは、晴にも感じ取れた。
今更になって、麗良と立夏の含みのある言い方や押し黙っている白瞑の表情がわかった気がした。
(てっきり、夜見様の片想いの話かと思っていたけど。それだけじゃないんだ)
白瞑は晴が思っているより、ずっと権威も立場もある神なのだ。それを照陽の言葉で実感した。
「それでも、照陽は合意してくれるんだよね」
白瞑が、低く問う。
「そうね。私は晴くん、良いと思うわ。決まり事を破ってまで白瞑が狭間に行った気持ち、わかる気がするもの」
照陽が優しく微笑む。白瞑が口を引き結んだ。
「でも、何もしないで、合意するのでは、時の神が許してくれないわ」
「それは! 御厨守の合意を得たあとでも間に合う話で……」
腰を浮かせた白瞑に、照陽が首を振った。
「その狸では、時の神の合意は得られないだろうけどな」
ふん、と夜見が鼻を鳴らす。ちょっとだけ涙目だ。
「時の神様……?」
晴は時の神を知らない。短冊も、一度も降って来なかった。
「神世全体を統べる神でね。実体がないから御饌も食さない。だから、晴は知らないよね」
白瞑の問い掛けに、晴は頷いた。
「伴侶の契りを固めてくれる神なんだ。時の神に認められないと、伴侶にはなれない。絆を試す神だよ」
「絆……」
呟いた晴を、夜見が横目に睨んだ。
「神の伴侶として添い遂げる覚悟を試すんだ。腑抜けた狸のお前に、その覚悟があるとは思えないけどな」
「覚悟……」
今までの白瞑の言葉の数々が思い浮かんだ。
(僕の心が決まるまで待つって言っていたのは、時の神様に認めていただくためだったんだ)
どうして、好きだけでは伴侶になれないのか、やっとわかった。晴の心の霧が晴れた気がした。
「夜見様、ありがとうございます。お陰で今までの白瞑の言葉の意味が、わかりました」
白瞑がどれだけ晴を大事にしてくれているのかも、手放したくなと思ってくれているのかも、よくわかった。
「晴……」
白瞑の手を握る。
「ありがとう、白瞑」
白瞑が、晴の手を握り返してくれた。
「どうして僕に礼を言う流れになるんだ。睦み合うな……いたっ」
照陽が、夜見にデコピンした。
「晴くんが白瞑の屋敷で御厨守をしたいのは、将来的に白瞑の伴侶になりたいからよね」
「はい、そうです」
照陽の問い掛けに、晴は迷わず返事した。今なら、躊躇わずに受け入れられる。
「だから、私たちがプレテストをするわ」
照陽が小瓶をテーブルの上に置いた。透明な小瓶の中で、七色の光がオーロラのように輝く。
晴の目は小瓶に釘付けになった。
「月の雫という、希少な食材よ。これで、私と夜見に一品ずつ、御饌を作ってちょうだい。白瞑と一緒にね」
「私も?」
白瞑が驚いた顔をした。
「伴侶になるのを見越した試験だもの。二人で協力しなければね」
「そういう試験なんだね」
「勿論、御厨守の試験でもあるわ。月の雫は神世の食材の中でも扱いが難しいの。晴くんが神世の難しい食材を使える御厨守なのか、判断する試験でもあるわよ」
照陽が、がっしりと夜見の腕を掴んだ。
「二人が料理を作っている間は、邪魔しないように私が夜見を見張っておくから」
「邪魔などするか。どうせ御厨守ごときに月の雫は使いこなせない。何せ、この僕が、集めるだけで十日も有した食材だぞ」
夜見が勝ち誇った笑みを浮かべている。だが、今の晴にはそんなこと、どうでもいい。
「晴、大丈夫? できそう?」
白瞑が心配そうに問い掛ける声も、遠くに聴こえる。
「はわ……はわわぁ。月の雫……まさか、本物を使えるなんて……!」
晴は震える手で小瓶を手に取った。
「本当に、本当に……使っていいのですか?」
自分の手の中に月の雫があるなんて、触れていても信じられない。
「晴くんに料理して欲しくて持ってきたのよ。使ってちょうだいな。ただし、希少だってことは、忘れずにね。私たち、これを集めていて、来るのが遅くなったのよ」
照陽の言葉に、晴は何度も頷いた。
「はい……はい……! 大事に使います。ありがとうございます。凄い……本物だ。僕、今……月の雫に、触ってる……うわぁ、何を作ろう。作りたいもの、いっぱいある!」
感極まって、泣きそうだ。
晴の顔を眺めた白瞑が、表情を緩めた。
「大丈夫そうだね」
「白瞑、早く料理を始めよう!」
白瞑の袖を引っ張って、晴は台所に向かった。
「二人はゆっくりしていてね」
白瞑が照陽と夜見に声をかけた。
今の晴の耳は、その声すらすり抜ける。頭の中は月の雫でいっぱいだった。
夜見は晴を睨んでいるし、そんな夜見を白瞑が牽制している。
(どうしよう。こんなにピリピリしている白瞑は、初めてだ)
晴は困った心持で照陽に助けを求めた。初対面だが、この場では一番頼りになる気がする。
「え……えっと、そうね。まずは自己紹介しましょうか」
晴の視線に気が付いた照陽が口火を切ってくれた。
「どうして僕らが先に? そこの狸がするのが筋だろう。神の伴侶候補になって、神より偉くなったつもりなのか」
夜見が鋭く晴を睨む。
白瞑が前のめりになった。晴は慌てて白瞑を引張った。
「僕からご挨拶します。御厨守の晴です。白瞑の伴侶候補です。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる。照陽がパチパチと拍手してくれた。
「晴くんの御饌、いつも美味しくいただいているわぁ。お日様大豆のミートパイも、とても美味しかったわ」
「喜んでいただけて、嬉しいです。こちらこそ、食べていただいて、ありがとうございます」
とりあえず、照陽だけでも喜んでくれて良かった。
「御厨守なんだ。美味い御饌が作れて当然だろう」
夜見が、そっぽを向いた。
「もう、夜見ったら。いい加減にしなさい。貴方も自己紹介なさい」
夜見がそっぽを向いたきり、口を閉ざした。
困った顔をしながら、照陽が晴に向き直った。
「私は日の神の照陽よ。こっちは月の神の夜見。私たちは姉弟なの」
「そうなんですね。あまり似てない……」
夜見に睨まれて、晴は自分の口を手で覆った。
「夜見だって、本当は晴くんの御饌が大好きなのよ。星屑のキラキラゼリーなんか、一番のお気に入りよ」
「黙れ、照陽」
夜見が照陽を威嚇した。
「僕はお前が白瞑の屋敷にいるのが気に入らない。だから、ここで御厨守をするなんて、絶対に認めない」
夜見がぴしゃりと言いきった。
「私は大賛成なんだけどねぇ」
「黙っていろ、照陽」
小さな声で合意をくれた照陽を、夜見が制した。
「たった一人でも合意が得られなければ、お前は狭間に戻るしかないのだろう。さっさと帰れ」
夜見の言い草に、白瞑が大仰なほどの溜息をついた。
「あまりに横暴だよ、夜見。まるで子供の屁理屈だ。今の意見が本気なら、私は夜見を神として軽蔑する」
白瞑が淡々と返す。夜見が、ぐっと唇を噛んだ。
「ぼ……僕だって、私怨でこんなこと、言っている訳じゃない。狭間で仕事をすべき御厨守が神世にいること自体、おかしいんだ。神でも、その眷属でもない者が神世にいるなんて前例がない。神世の秩序を乱す行為だ」
それは、湫憂も話していた。夜見の言っていることは正論なのだろう。
「その点は、湫憂とも話し合っている。だから、役割を得ようと、こうして神々の合意を求めているんだ」
白瞑の背中で、ビリっと神力が響いた。
「私は夜見の求婚を断った。その八つ当たりを晴にしているのなら、許さないよ」
白瞑が夜見を見据える。夜見が泣きそうな目で白瞑を睨む。
二人を眺めて、照陽が息を吐いた。
「確かに、夜見の言葉は横暴だし横柄よね。八つ当たりって言われても仕方がない。でもね、白瞑。異例であることは事実なのよ。慎重にならなければいけないのは、間違いないの」
照陽が困った顔で釘を刺した。
「勿論、充分わかっているよ」
白瞑の背中の神力が大きくなる。それを、晴はハラハラしながら見詰めた。
「今、ここで合意することもできる。でも、それじゃ六人の神の合意を得る意味がないのよ」
「意味とは、何?」
白瞑が問い掛ける。照陽の目が、晴に向いた。
「晴が神世にふさわしい存在かを見極める意味ね。もっと言うなら、白瞑の伴侶にふさわしいかを見極めるのが、私たちの役目でもあるわ」
「それって、どういう……」
「今の段階で、そこまでしないといけない?」
晴の言葉を白瞑が遮った。切羽詰まった声が、白瞑から漏れた。
「白瞑は、夕暮の神だからな」
夜見が、当然のように言い切った。
「昼と夜のあわい、日の神と月の神を繋ぐ神、それが夕暮の神だ」
「照陽様と夜見様を繋ぐ神様……」
この神世を作る軸である日と月を繋ぐ神。とても重要なお務めであると、晴でも感じ取れた。
「白瞑は、神世の誰よりも美しく、儚い。だからこそ孤高で、神すらも寄せ付けない。白瞑こそが、完成された美だ」
夜見の言葉が熱を帯びていく。
「美しさを体現した存在である薄明の伴侶が、狸の獣人なんぞでいいはずがない。満天の星が瞬く夜空で、美しく輝く月を統べる僕こそが相応しい!」
「それ以上、言ったら夜見を嫌いになる」
白瞑が無表情に吐き捨てた。
夜見が息を飲んだ。その目が泣きそうに歪む。
「どうして、わからないんだ、白瞑。僕は白瞑をこんなにも愛して、大切に思っているのに」
夜見の必死の訴えから、白瞑が目を逸らした。
一瞬、悲しそうに歪んだ夜見の目に、悔しさが灯った。
そんな二人を、晴はどこか遠巻きに眺めていた。
(夜見様は夜見様なりに、白瞑のことが本気で好きなんだ)
白瞑もまた、本気で迷惑に感じている。それがわかるから、何も言えない。
(でも、負けたくないな)
白瞑を好きな気持ちで夜見に負けたくない。それだけは確かに晴の中にあった。
「考え直せ、白瞑。僕ならいつでも白瞑を迎える準備がある。狸なんか、白瞑の伴侶には……痛っ」
照陽が夜見の頭を、ぽかりと叩いた。
「貴方は少し黙りなさい、夜見。白瞑が迷惑しているわ。本当に嫌われたいの?」
照陽に叱られて、夜見の肩がしゅんと下がった。
「晴くんも、ごめんなさいね」
「いえ、僕は、何とも」
白瞑をちらりと見上げる。いつになく不機嫌な顔だ。
同じように白瞑を眺めた照陽が苦笑した。
「話が逸れちゃったけど、白瞑が神世において重要な神であるのは、その通りなの。晴くんが獣人だからとかでは、決してなくてね。相応しい相手かどうかを見極める必要が、私たちにはあるのよ」
照陽が優しく教えてくれた。けれど、その内容が優しくないのは、晴にも感じ取れた。
今更になって、麗良と立夏の含みのある言い方や押し黙っている白瞑の表情がわかった気がした。
(てっきり、夜見様の片想いの話かと思っていたけど。それだけじゃないんだ)
白瞑は晴が思っているより、ずっと権威も立場もある神なのだ。それを照陽の言葉で実感した。
「それでも、照陽は合意してくれるんだよね」
白瞑が、低く問う。
「そうね。私は晴くん、良いと思うわ。決まり事を破ってまで白瞑が狭間に行った気持ち、わかる気がするもの」
照陽が優しく微笑む。白瞑が口を引き結んだ。
「でも、何もしないで、合意するのでは、時の神が許してくれないわ」
「それは! 御厨守の合意を得たあとでも間に合う話で……」
腰を浮かせた白瞑に、照陽が首を振った。
「その狸では、時の神の合意は得られないだろうけどな」
ふん、と夜見が鼻を鳴らす。ちょっとだけ涙目だ。
「時の神様……?」
晴は時の神を知らない。短冊も、一度も降って来なかった。
「神世全体を統べる神でね。実体がないから御饌も食さない。だから、晴は知らないよね」
白瞑の問い掛けに、晴は頷いた。
「伴侶の契りを固めてくれる神なんだ。時の神に認められないと、伴侶にはなれない。絆を試す神だよ」
「絆……」
呟いた晴を、夜見が横目に睨んだ。
「神の伴侶として添い遂げる覚悟を試すんだ。腑抜けた狸のお前に、その覚悟があるとは思えないけどな」
「覚悟……」
今までの白瞑の言葉の数々が思い浮かんだ。
(僕の心が決まるまで待つって言っていたのは、時の神様に認めていただくためだったんだ)
どうして、好きだけでは伴侶になれないのか、やっとわかった。晴の心の霧が晴れた気がした。
「夜見様、ありがとうございます。お陰で今までの白瞑の言葉の意味が、わかりました」
白瞑がどれだけ晴を大事にしてくれているのかも、手放したくなと思ってくれているのかも、よくわかった。
「晴……」
白瞑の手を握る。
「ありがとう、白瞑」
白瞑が、晴の手を握り返してくれた。
「どうして僕に礼を言う流れになるんだ。睦み合うな……いたっ」
照陽が、夜見にデコピンした。
「晴くんが白瞑の屋敷で御厨守をしたいのは、将来的に白瞑の伴侶になりたいからよね」
「はい、そうです」
照陽の問い掛けに、晴は迷わず返事した。今なら、躊躇わずに受け入れられる。
「だから、私たちがプレテストをするわ」
照陽が小瓶をテーブルの上に置いた。透明な小瓶の中で、七色の光がオーロラのように輝く。
晴の目は小瓶に釘付けになった。
「月の雫という、希少な食材よ。これで、私と夜見に一品ずつ、御饌を作ってちょうだい。白瞑と一緒にね」
「私も?」
白瞑が驚いた顔をした。
「伴侶になるのを見越した試験だもの。二人で協力しなければね」
「そういう試験なんだね」
「勿論、御厨守の試験でもあるわ。月の雫は神世の食材の中でも扱いが難しいの。晴くんが神世の難しい食材を使える御厨守なのか、判断する試験でもあるわよ」
照陽が、がっしりと夜見の腕を掴んだ。
「二人が料理を作っている間は、邪魔しないように私が夜見を見張っておくから」
「邪魔などするか。どうせ御厨守ごときに月の雫は使いこなせない。何せ、この僕が、集めるだけで十日も有した食材だぞ」
夜見が勝ち誇った笑みを浮かべている。だが、今の晴にはそんなこと、どうでもいい。
「晴、大丈夫? できそう?」
白瞑が心配そうに問い掛ける声も、遠くに聴こえる。
「はわ……はわわぁ。月の雫……まさか、本物を使えるなんて……!」
晴は震える手で小瓶を手に取った。
「本当に、本当に……使っていいのですか?」
自分の手の中に月の雫があるなんて、触れていても信じられない。
「晴くんに料理して欲しくて持ってきたのよ。使ってちょうだいな。ただし、希少だってことは、忘れずにね。私たち、これを集めていて、来るのが遅くなったのよ」
照陽の言葉に、晴は何度も頷いた。
「はい……はい……! 大事に使います。ありがとうございます。凄い……本物だ。僕、今……月の雫に、触ってる……うわぁ、何を作ろう。作りたいもの、いっぱいある!」
感極まって、泣きそうだ。
晴の顔を眺めた白瞑が、表情を緩めた。
「大丈夫そうだね」
「白瞑、早く料理を始めよう!」
白瞑の袖を引っ張って、晴は台所に向かった。
「二人はゆっくりしていてね」
白瞑が照陽と夜見に声をかけた。
今の晴の耳は、その声すらすり抜ける。頭の中は月の雫でいっぱいだった。



