空が茜に色付き始めた頃、ようやく御饌の供えが終わった。
「川の神の元へ」
最後の御饌を白瞑が送り届ける。
「終わったぁ」
晴はその場に座り込んだ。
「お疲れ様、晴」
「えへへ、さすがに疲れた」
白瞑が手を差し出す。その手を握って、晴は立ち上がった。
「白瞑も、お疲れ様でした。ありがとう、一人じゃ無理だった」
「私は晴が動きやすいように、ほんの少し助けただけだよ」
晴は窓の外を眺めた。
「もう夕暮れだ。白瞑のお勤めの刻限だよ」
「そうだね。私は縁側にいるけど、晴はゆっくり休んで」
晴は台所をきょろきょろと見回した。
「先に行っていて。お茶を淹れていくから」
「疲れているだろ、無理しなくていいよ」
晴はブンブンと首を振った。
「とびきり美味しいの、淹れるから。一緒にお茶しながら、僕も空を見上げたい」
白瞑が微笑んだ。
「わかった。じゃぁ、待っているね」
「うん!」
縁側に出る白瞑を見送ると、晴は早速、お茶の準備をした。
(白瞑は、全体的に薄味が好きなんだよね。甘味も飲み物も、甘すぎるのは苦手)
カフェオレに花の蜜を一匙と、フワフワの綿あめ雲をトッピングする。それを持って、縁側に急いだ。
「お待たせ、白瞑……」
縁側に白瞑の姿を見付けた晴は、声を潜めた。
黄昏に照らされる白瞑の横顔が儚くて、物悲しく映ったからだ。
(今までずっと、こうやって一人で夕暮れを守ってきたんだ)
白瞑がどんな気持ちだったか、晴にはわからない。なのに、どうしようもない感情が込み上げた。
(この気持ちって、何だろう。今すぐ隣に行きたいのに、もう少し見ていたい)
自分の矛盾した気持ちの正体が、わからない。
白瞑が、晴の姿を見付けた。こちらを向いた白瞑が、晴に向かって笑った。
(あ……溶ける)
込み上げてきた感情が溶けて、自分の中に沁み込んだ。晴の足が、自然と白瞑に向かった。
「カフェオレを淹れたよ」
「フワフワ雲だ。可愛いね」
白瞑が嬉しそうにカフェオレを飲んだ。
「疲れているから、いつもよりちょっと甘めだよ」
「うん、ちょうどいい。美味しいよ」
白瞑の笑顔が、晴の心に溶ける。
(一緒にいたい、もっと、ずっと)
空を見上げる白瞑の横顔が、美しい。自然とそう思えた。
「白瞑、あのね」
「うん?」
空から目を離さずに、白瞑が返事した。
「僕、神世で御厨守を続けたい。今日みたいに、白瞑の御屋敷で御饌を作るのは、ダメかな」
白瞑と一緒にいるため今の晴にできることは、それしかないと思った。白瞑の目が、空の雲を追う。
「そうだね。それがいいかもしれない」
夕の茜を吸い込んだ瞳が、晴に向いた。
「けど、勝手には決められないんだ」
「そうなの? 今日みたいには、できないの?」
また湫憂に相談したりするべきなんだろうか。
「今日は緊急事態だったから、湫憂の許しだけで動けたけど。神世で新しいことを始めるには、神々の合意が必要なんだ。四季の神々と日の神、月の神。全員の合意が要る」
「そうなんだね」
そんなにたくさんの神様の許しがないとできないのなら、難しいのだろうか。晴の耳が、シュンと寝た。
「湫憂に相談してみよう。明日以降、話をしに来ると思うから」
ピクリと、狸の耳が起き上がった。
「相談、していいの?」
「晴にその気があるなら神世で御厨守を続けて欲しいと、私も思っていたんだ。皆の合意も、もらえると思う」
晴は、白瞑を見詰めた。
「僕ね、白瞑とずっと一緒にいたいよ。この気持ちだけで伴侶になっちゃ、いけないの?」
白瞑が眉を下げて笑った。
「湫憂に言われたこと、気にしてる?」
図星を突かれて、晴は俯いた。
「だって、白瞑が叱られちゃったら、嫌だから」
白瞑の指が、晴の鼻の頭を、ちょんと押した。
「そういう気持ちの内は、ダメ」
「どういう気持ちなら、いいの?」
「それは……晴が自分で見付けないと、意味がないよ」
白瞑の返事が、ちょっと意地悪だ。晴は俯いたまま考え込んだ。
「よいしょ……っと」
白瞑が晴に身を寄せた。触れた指先を、白瞑の手が包み込んだ。
「こうして晴が隣にいてくれるだけで、私は幸せだよ。一緒にいたいと思って、その為に努力してくれるだけで、充分……今はね」
「でも、御厨守の許しが、もらえなかったら」
もし、神世で御饌を作る合意をもらえなければ、晴は狭間に戻されるかもしれない。
「離れるくらいなら、伴侶になっちゃったほうが……気持ちは、後からでも見付けられるかも」
「ダメだよ」
白瞑が、はっきりと言いきった。
「伴侶になったら、死ぬまで離れられない。解消もできない。後悔しても遅いんだ」
晴は息を飲んだ。
「そこで、後悔しないって即答できないなら、今は決めないほうがいいよ」
白瞑が悲しそうに笑う。胸が痛くて、苦しい。
(離れたら後悔するって、即答できるもん)
そう思っても、言葉にできなかった。
空の茜が夜の群青に飲まれる。フワフワ雲の綿あめは、いつの間にかカフェオレに蕩けてなくなっていた。
「川の神の元へ」
最後の御饌を白瞑が送り届ける。
「終わったぁ」
晴はその場に座り込んだ。
「お疲れ様、晴」
「えへへ、さすがに疲れた」
白瞑が手を差し出す。その手を握って、晴は立ち上がった。
「白瞑も、お疲れ様でした。ありがとう、一人じゃ無理だった」
「私は晴が動きやすいように、ほんの少し助けただけだよ」
晴は窓の外を眺めた。
「もう夕暮れだ。白瞑のお勤めの刻限だよ」
「そうだね。私は縁側にいるけど、晴はゆっくり休んで」
晴は台所をきょろきょろと見回した。
「先に行っていて。お茶を淹れていくから」
「疲れているだろ、無理しなくていいよ」
晴はブンブンと首を振った。
「とびきり美味しいの、淹れるから。一緒にお茶しながら、僕も空を見上げたい」
白瞑が微笑んだ。
「わかった。じゃぁ、待っているね」
「うん!」
縁側に出る白瞑を見送ると、晴は早速、お茶の準備をした。
(白瞑は、全体的に薄味が好きなんだよね。甘味も飲み物も、甘すぎるのは苦手)
カフェオレに花の蜜を一匙と、フワフワの綿あめ雲をトッピングする。それを持って、縁側に急いだ。
「お待たせ、白瞑……」
縁側に白瞑の姿を見付けた晴は、声を潜めた。
黄昏に照らされる白瞑の横顔が儚くて、物悲しく映ったからだ。
(今までずっと、こうやって一人で夕暮れを守ってきたんだ)
白瞑がどんな気持ちだったか、晴にはわからない。なのに、どうしようもない感情が込み上げた。
(この気持ちって、何だろう。今すぐ隣に行きたいのに、もう少し見ていたい)
自分の矛盾した気持ちの正体が、わからない。
白瞑が、晴の姿を見付けた。こちらを向いた白瞑が、晴に向かって笑った。
(あ……溶ける)
込み上げてきた感情が溶けて、自分の中に沁み込んだ。晴の足が、自然と白瞑に向かった。
「カフェオレを淹れたよ」
「フワフワ雲だ。可愛いね」
白瞑が嬉しそうにカフェオレを飲んだ。
「疲れているから、いつもよりちょっと甘めだよ」
「うん、ちょうどいい。美味しいよ」
白瞑の笑顔が、晴の心に溶ける。
(一緒にいたい、もっと、ずっと)
空を見上げる白瞑の横顔が、美しい。自然とそう思えた。
「白瞑、あのね」
「うん?」
空から目を離さずに、白瞑が返事した。
「僕、神世で御厨守を続けたい。今日みたいに、白瞑の御屋敷で御饌を作るのは、ダメかな」
白瞑と一緒にいるため今の晴にできることは、それしかないと思った。白瞑の目が、空の雲を追う。
「そうだね。それがいいかもしれない」
夕の茜を吸い込んだ瞳が、晴に向いた。
「けど、勝手には決められないんだ」
「そうなの? 今日みたいには、できないの?」
また湫憂に相談したりするべきなんだろうか。
「今日は緊急事態だったから、湫憂の許しだけで動けたけど。神世で新しいことを始めるには、神々の合意が必要なんだ。四季の神々と日の神、月の神。全員の合意が要る」
「そうなんだね」
そんなにたくさんの神様の許しがないとできないのなら、難しいのだろうか。晴の耳が、シュンと寝た。
「湫憂に相談してみよう。明日以降、話をしに来ると思うから」
ピクリと、狸の耳が起き上がった。
「相談、していいの?」
「晴にその気があるなら神世で御厨守を続けて欲しいと、私も思っていたんだ。皆の合意も、もらえると思う」
晴は、白瞑を見詰めた。
「僕ね、白瞑とずっと一緒にいたいよ。この気持ちだけで伴侶になっちゃ、いけないの?」
白瞑が眉を下げて笑った。
「湫憂に言われたこと、気にしてる?」
図星を突かれて、晴は俯いた。
「だって、白瞑が叱られちゃったら、嫌だから」
白瞑の指が、晴の鼻の頭を、ちょんと押した。
「そういう気持ちの内は、ダメ」
「どういう気持ちなら、いいの?」
「それは……晴が自分で見付けないと、意味がないよ」
白瞑の返事が、ちょっと意地悪だ。晴は俯いたまま考え込んだ。
「よいしょ……っと」
白瞑が晴に身を寄せた。触れた指先を、白瞑の手が包み込んだ。
「こうして晴が隣にいてくれるだけで、私は幸せだよ。一緒にいたいと思って、その為に努力してくれるだけで、充分……今はね」
「でも、御厨守の許しが、もらえなかったら」
もし、神世で御饌を作る合意をもらえなければ、晴は狭間に戻されるかもしれない。
「離れるくらいなら、伴侶になっちゃったほうが……気持ちは、後からでも見付けられるかも」
「ダメだよ」
白瞑が、はっきりと言いきった。
「伴侶になったら、死ぬまで離れられない。解消もできない。後悔しても遅いんだ」
晴は息を飲んだ。
「そこで、後悔しないって即答できないなら、今は決めないほうがいいよ」
白瞑が悲しそうに笑う。胸が痛くて、苦しい。
(離れたら後悔するって、即答できるもん)
そう思っても、言葉にできなかった。
空の茜が夜の群青に飲まれる。フワフワ雲の綿あめは、いつの間にかカフェオレに蕩けてなくなっていた。



