神々の食卓――御厨守をしていたら神様に求婚されました

 神世に来て十日ほどが過ぎた。晴は変わらず、白瞑と穏やかな日々を過ごしていた。
 神世のことも、少しずつわかってきた。
 神世には神様とその眷属が暮らしていること。日の神と月の神が一日を作り、それを軸に神世が成り立っていること。四季の神々が作る四つの区画があり、それを間と呼ぶこと。神々はそれぞれ過ごしやすい季節の間に暮らしていること。
 夕暮の神である薄明の屋敷は、秋の間にある。屋敷内には白瞑と晴の他に、眷属のリスが仕事をしている。

「リスさん、お洗濯物お願いしてもいい?」

 晴は衣服を抱えて、リスに声をかけた。リスがコクコク頷いて、小さな手で衣服を受け取った。

「ありがとう」

 鼻をヒクヒクさせて、リスが洗濯室に入って行った。

「晴、おはよう」

 廊下の向こうから白瞑が歩いてきた。その顔色が、何やら曇って見える。

「おはよう、白瞑。何かあったの?」

 白瞑が思い悩むような顔をした。

「うん……今朝、ね。報せがあったんだ。今日これから、秋の神が屋敷に来る」
「秋の神様が? どうして?」

 白瞑の屋敷に晴が来たから、顔を見に来るのだろうか。

「ちょっとね、大変なことになっているみたいで」
「大変なこと? 何があったの?」

 白瞑が言いづらそうに目を逸らした。その表情に不安になった。

「神々が御饌を受け取れず、神力が弱っているのですよ」

 後ろから声がして、晴は振り返った。線が細い長髪の神様が、物憂げな顔で立っている。

「:湫憂(しゅうう)……」

 白瞑が息を飲んで、晴の肩を引き寄せた。その姿を、男性の神が困った顔で眺めた。

「子リスに案内してもらって、勝手に入らせてもらいましたよ、白瞑」

 男性の神が晴に歩み寄った。

「君が御厨守の晴ですね。初めまして、私は秋の神、湫憂。いつも美味しい御饌をありがとう」

 湫憂が、柔らかく笑んだ。

(優しい笑顔だ。雰囲気が白瞑に似ているかも。悪い神様ではなさそう)

 秋の神は豆のスープが好きな神様だ。マンネリしないように、いつも味を変えて出していた。

「こちらこそ、食べていただいて、ありがとうございます」

 晴はぺこりと頭を下げた。晴の頭を、湫憂がふわりと撫でた。その仕草も、白瞑に似ている。

「あの……神力が弱っているって、どういうことですか?」

 不安な気持ちで問う。湫憂の視線が白瞑に向いた。

「やはり、話していないのですね」
「これから話そうと思っていたところで……ごめん」

 湫憂が困った顔で息を吐いた。

「仕方のない子ですね。私から話しましょう」
「いや、ちゃんと私から……」
「悠長に構えていられる事態ではないのですよ」

 湫憂の空気が、ピリッと張り詰めた。

「そんなに大変なことが、起きちゃったんですか?」
「えぇ、君がここにいることが問題です」
「……え?」

 驚く晴の肩を引き寄せて、白瞑が晴を抱いた。

「うわっ」

 晴の体が白瞑の胸に倒れ込んだ。

「晴は悪くない。私が狭間から無理につれてきたんだから!」

 白瞑が声を荒げた。

「無理にじゃないよ。僕が白瞑と一緒にいたいから、付いてきたんだよ」
「晴……」

 白瞑が眉を下げて、目を潤ませる。

「合意であっても、同じです。御厨守が消えて、御饌を作る者がいなくなった。神々に御饌が届かず、皆が困っています」
「え……? 新しい御厨守が、来たんじゃないんですか?」

 湫憂の視線がまた、白瞑に向いた。

「晴は伴侶候補として連れてきた。これまでだって、神の伴侶になった御厨守はいた。その度、御厨守の補充があったじゃないか」
「伴侶になった御厨守はね、確かにいました。伴侶になれば、中央から新しい御厨守が補充されますよ」

 湫憂が確かめるような言い回しをした。

「伴侶候補という半端な状態では、中央に御厨守の不在は伝わらない。今でも御厨守は晴のままです」
「そんなわけ……いままでだって、伴侶候補はいたはず……」

 白瞑の顔色が変わった。

「伴侶予定の伴侶候補と、伴侶未定の伴侶候補では扱いが変わります」

 湫憂がぴしゃりと言いきった。
 白瞑が蒼白な顔で口を引き結ぶ。その顔を、晴は見上げた。

(白瞑、勘違いしちゃっていたのかな。僕が、ちゃんと伴侶になるって言わなかったから、白瞑にも神様たちにも迷惑かけたんだ)

 今この瞬間も、お腹を空かせた神様がいるのだと思うと、胸が痛い。
 湫憂がたくさんの短冊を手に出した。

「この十日で溜まった御饌の短冊です。神は御饌を食さなければ神力を維持できないのです。だからこそ、御厨守との契りは慎重でないといけません」

 湫憂が厳しい目を白瞑に向ける。

「私も軽率だったとは、思うよ。けれど、晴を手放すことだけは、できない」

 白瞑が悲痛な面持ちで俯いた。

「ならば、今すぐに伴侶の契りを交わしなさい。そうすれば、中央から新しい御厨守が来るでしょう」
「それも……できない」

 白瞑が唇を噛んだ。晴の胸が、ぎゅっと軋んだ。

(僕の気持ちが、まだ決まっていないから)

 白瞑は、晴の気持ちを優先してくれている。有難いと思う反面、居た堪れない。

「ならば、晴はいますぐ狭間にお戻りなさい。気持ちが決まらないまま、半端なままでは御厨守はいつまでも晴のままですよ」

 晴は息を飲み込んだ。湫憂の言葉は、きっと正しい。だからこそ、痛い。

「今、戻ったら……僕はもう一度、神世に来られるのですか?」

 恐る恐る問い掛ける。湫憂が首を横に振った。

「ここで狭間に戻れば、晴は白瞑の求婚を断ったことになります。二度と神世には上がれません」

 ドクっと、心臓が嫌な音で鳴った。

「だったら、今すぐ伴侶に……」
「ダメだよ、晴」

 晴の言葉を、白瞑が遮った。

「それは晴の本当の気持ちじゃない。私は、晴に後悔して欲しくない。気持ちが熟してから、私を選んでほしい」

 目線を合わせて、真っ直ぐに見詰められた。白瞑の気持ちが沁みてくる。

「そう思うなら、気持ちが熟してから連れてくるべきでしたね、白瞑」
「それは、そうだけど。そんなことしていたら……」

 湫憂の指摘に、白瞑が言い淀んだ。

「晴に関しては、目を付けていた神が他にもいましたから。焦る気持ちは、わからなくもないですが」

 湫憂が困った顔をした。

「だからこそ、反感を買うのです。自分の立場をわかっていますね」

 厳しい目が白瞑に向く。晴の気持ちが焦った。

(どうしよう。このままじゃ、白瞑ばかりが悪者になっちゃう。僕にできること。できること、なにか……)

 湫憂の手元にある短冊が、目に入った。

「ここで、御饌を作ります」
「え?」

 驚く白瞑の腕をすり抜ける。湫憂が持つ短冊を手に取った。

「白瞑の御屋敷には、立派な台所があるから。そこで神様たちの御饌を、僕が作ります」

 短冊を、ぎゅっと握り締める。懸命に湫憂を見上げた。

「作らせてください、お願いします」

 深く頭を下げた。頭の上で、湫憂が小さく息を吐いた。

「急に瀕した状況です。仕方がないですね」

 晴は、勢いよく頭を上げた。

「ありがとうございます!」
「しかし、短冊はこの数ですよ。一人で作れますか?」

 短冊は湫憂の手の中で山盛りだ。それでも、晴は頷いた。

「今日中に、作ります。きっとお届けします」
「私も手伝うよ」
「うん! ありがとう、白瞑」

 白瞑が手伝ってくれるなら、百人力だ。晴は湫憂に目を向けた。

「御饌は晴に託します。今後のことは、この短冊の御饌を作ってから話し合いましょう」
「わかった」

 白瞑が、真っ直ぐに返事した。
 晴は白瞑と目を合わせると、頷き合った。

「早速、始めます」

 湫憂から山盛りの短冊を受け取ると、晴は小走りに台所に向かった。