鉄姫の嫁入り~妖狐の暗殺に失敗し、契約花嫁になりました~

「ですが、今宵はどうぞおそばに……」

 恐れも媚びもない、ただ従順で美しくしとやかな花嫁。
 長年、そうあるよう仕込まれてきた声。
 頭を下げる角度も、視線の落とし方も、幾度も稽古させられた通りに。

 答えながら、座敷の造りを目で辿っていた。
 柱の位置、灯りの数、逃げ道になりうる障子の向き。

 染み付いた癖は、こんな時にこそ働く。
 床の間には、一輪の花が生けられているだけで、余計な装飾は何もない。
 花の名も、この時はまだ知らなかった。

 褥は、既に一つだけ敷かれていた。

 妖狐は、多くを語らない。
 触れる指先も、纏う気配も、思っていたよりずっと静かに、厳かに触れてくる。
 荒々しさを覚悟していた身には、それが少し意外だった。

 傷つかぬこの身体に、痛みとは違う何かが灯る夜もあるのだと、この時初めて知った。

 褥を共にした後、隣で目を閉じる横顔を、しばらく見つめていた。
 整った顔立ちに、束の間、見惚れそうになる自分を戒める。
 これは、油断ではない。好機に他ならないのだから。

 規則正しい寝息が、闇の中に静かに満ちていく。
 障子の隙間から漏れていた灯りも、とうに消えている。

 衣擦れの音を殺し、髪の毛を纏めていた簪を抜く。
 妖狐の喉元へ切っ先を向ける手に、迷いはひとつもない。
 心臓の音さえ、私は殺し方を知っている。

 喉元まで、あと僅か。

 その瞬間、手首を鉄の輪のように掴まれた。

「えっ!?」

 考えるよりも早く世界が反転し、金色の瞳がすぐ側にあった。
 眠ってなどいなかったのだと、遅れて悟る。
 呼吸の音すら、私は聞き分けられなかった。
 妖狐という生き物の底知れなさを、この時生まれて初めて肌で知る。

「和平の花嫁が」

 耳元で、声がした。

「ずいぶん物騒なものを、持っているな」