母には、答えが分かっているのかもしれない。
廊下の向こうから琴の音が聞こえてくる。
祝言の始まりを告げる曲。
当主たちの意識が本殿へ向いた隙に、侍女が障子を開ける。
「花嫁の御母堂と妹君は、こちらへ。お席へご案内いたします」
母が私を見る。
小さく頷きながら、視線を向ける。
砂都は何か言いたそうにしていたが、母に手を引かれ、侍女とともに廊下の角を曲がっていく、後姿を見送る。
一分一秒がこれほど長いとは……早く白布が上がらないか。
もしかしたらどこかで見つかってしまったのではないか。
自分の鼓動ばかりが耳鳴りのように響く。
しばらくして、庭の向こうで白布がもう一度翻る。
膝から力が抜けそうになる。
十八年のうち、何をされても耐えられたのは、二人を生かすためだった。
ようやく、その悲願が達成された瞬間だった。
私は当主へ向き直ると、綿帽子を外しながら、ゆっくりと立ち上がる。
「鉄姫?」
「もう、あなた方の命令に従う理由はありません」
当主の顔から笑みが消えた。
「何だと」
「母と妹は、琥珀様の配下が保護しました。二人を人質にはできません」
廊下にいた一族の者たちが走り出す。
二人を追う者、全ての戸を外から閉める者。
けれど、もう遅い。
今頃二人は、一族が手の出せない安全な場所に向かっている。
これで終われる。
そう思った私を見て、当主は怒鳴るでもなく、ゆっくり口元を歪めた。
「……なるほど。本当に妖狐はお前を妻に迎えるつもりだったか」
「……何を?」
「妖狐が、鉄姫を手放したくないほど気に入った。ならば、人質はまだ残っている」
「人質なんて……どこに……」
袖から取り出された香炉に、見覚えがあった。
幼い頃、暴れる私を眠らせるために使われた香。
「押さえろ」
「っ何を!!」
一族の男たちが背後から腕を取る。
「はっ!こういう時のために、護身術すら身につけさせておらんことに気が付かないとはな!」
「琥珀様の屋敷で、私を連れ出せるとでも?」
「この客殿は、人の使者を迎えるために我らが建てたものだ。抜け道の一つや二つ、残してある」
鼻と口を塞ごうとしたが、腕を封じられている。
甘い煙が肺へ入った。
「妖狐を殺せぬのなら、妖狐を呼ぶ餌になれ」
「……い、やっ!」
床が傾いたように感じた。
外では祝言の琴が鳴り続けている。
琥珀は、本殿で私を待っている。私がいなければ、すぐに異変へ気づくはずだ。
それでも、声が出なかった。
薄れていく視界の中で、隠し戸が開く。
湿った地下の匂いが流れ込んでくる。
最後に浮かんだのは、母でも砂都でもない。
祝言の席で、私を待っている琥珀の顔だった。
廊下の向こうから琴の音が聞こえてくる。
祝言の始まりを告げる曲。
当主たちの意識が本殿へ向いた隙に、侍女が障子を開ける。
「花嫁の御母堂と妹君は、こちらへ。お席へご案内いたします」
母が私を見る。
小さく頷きながら、視線を向ける。
砂都は何か言いたそうにしていたが、母に手を引かれ、侍女とともに廊下の角を曲がっていく、後姿を見送る。
一分一秒がこれほど長いとは……早く白布が上がらないか。
もしかしたらどこかで見つかってしまったのではないか。
自分の鼓動ばかりが耳鳴りのように響く。
しばらくして、庭の向こうで白布がもう一度翻る。
膝から力が抜けそうになる。
十八年のうち、何をされても耐えられたのは、二人を生かすためだった。
ようやく、その悲願が達成された瞬間だった。
私は当主へ向き直ると、綿帽子を外しながら、ゆっくりと立ち上がる。
「鉄姫?」
「もう、あなた方の命令に従う理由はありません」
当主の顔から笑みが消えた。
「何だと」
「母と妹は、琥珀様の配下が保護しました。二人を人質にはできません」
廊下にいた一族の者たちが走り出す。
二人を追う者、全ての戸を外から閉める者。
けれど、もう遅い。
今頃二人は、一族が手の出せない安全な場所に向かっている。
これで終われる。
そう思った私を見て、当主は怒鳴るでもなく、ゆっくり口元を歪めた。
「……なるほど。本当に妖狐はお前を妻に迎えるつもりだったか」
「……何を?」
「妖狐が、鉄姫を手放したくないほど気に入った。ならば、人質はまだ残っている」
「人質なんて……どこに……」
袖から取り出された香炉に、見覚えがあった。
幼い頃、暴れる私を眠らせるために使われた香。
「押さえろ」
「っ何を!!」
一族の男たちが背後から腕を取る。
「はっ!こういう時のために、護身術すら身につけさせておらんことに気が付かないとはな!」
「琥珀様の屋敷で、私を連れ出せるとでも?」
「この客殿は、人の使者を迎えるために我らが建てたものだ。抜け道の一つや二つ、残してある」
鼻と口を塞ごうとしたが、腕を封じられている。
甘い煙が肺へ入った。
「妖狐を殺せぬのなら、妖狐を呼ぶ餌になれ」
「……い、やっ!」
床が傾いたように感じた。
外では祝言の琴が鳴り続けている。
琥珀は、本殿で私を待っている。私がいなければ、すぐに異変へ気づくはずだ。
それでも、声が出なかった。
薄れていく視界の中で、隠し戸が開く。
湿った地下の匂いが流れ込んでくる。
最後に浮かんだのは、母でも砂都でもない。
祝言の席で、私を待っている琥珀の顔だった。



