鉄姫の嫁入り~妖狐の暗殺に失敗し、契約花嫁になりました~

 祝言までの日々は、穏やかに過ぎた。
 朝、廊下で琥珀に会えば、眠れたかと訊かれる。
 食事を残せば、口に合わなかったかと気にされる。

「昨夜は眠れたか」
「はい」
「嘘だな」
「なぜ分かるのですか」
「明け方まで部屋の灯りがついていた」
「見張っておられるのですか」
「妻の様子を気にしただけだ」
「……それ、琥珀様も眠れてないのでは?」

 琥珀は答えず、私の前へ温かい茶を置く。
 そういうことが増えた。ここにくるまでは、誰も私の朝や食事など見ていなかった。

「……琥珀様は、狐の癖に化かし合いが、お下手ですね」
「言ったな」

 母と妹が救われれば、契約は終わる。
 自由になるはずなのに、この屋敷を去る自分を思うと、胸の奥が冷えた。

「母君たちが助かれば、どこへ行く」

 庭先で、琥珀が尋ねた。

「三人で安心して暮らせる場所を探します」
「あては」
「ありません。今までは、助け出した後のことまで考えられませんでした」
「この地に残る道もある」

 思わず見上げる。
 ……ここに残る?私が……?

「契約は終わります」
「契約がなくなれば、ここにいてはならぬのか」
「いても、よいのですか?」
「それを俺に聞くのか」
「決めるのは、琥珀様でしょう」
「お前の行き先を俺が決めてしまえば、それは一族の者と変わらぬ」
「では、私が決めるのですか」
「それが普通だ」

 普通。普通とは何だろう。
 このような体の女が、普通を求めてよいのだろうか。
 『普通』という、たった二文字が、私には最も遠い言葉に聞こえてしまう。

「……私は、母と妹を守る以外に、望みを持ったことがありません」
「なら、これから探せ」
「琥珀様には、望みがありますか」
「あった。今も、ある」
「それは、教えていただけませんか」
「今は言えぬ」
「なぜですか?」
「契約があるうちに言えば、お前は命令だと思うだろう」

 契約があるから望みを言えない。
 つまりは、琥珀の望みは私に関わること……なのではないだろうか。

「命令ではないと仰れば」
「お前は、それでも従う」
「……そうかもしれません」
「だから言わぬ」

 返す言葉がなかった。
 彼は、私を引き留めようとしているのだろうか。
 そう考えた途端に胸が騒いだが、確かめる勇気はない。