花嫁御寮の嘘つきな身の上 ~獅子の軍神は牡丹の乙女を手放せない

「お帰りなさいませ、旦那様」
「お勤めご苦労様でした。お食事になさいますか、お風呂になさいますか」

 情ではなく密約を交わした初夜の翌日、偲は普段どおり軍部に出仕し、ほたるは早速、女中の音々(ねね)と共に別館の掃除や洗濯などに励んだ。

 別館に遣わされた女中は年配の音々一人だったが、若夫婦二人の住まいには充分であった。夫婦で子爵家に仕え、その雇用歴は偲の居住歴よりも長い。いずれは命令しやすい若い女中と交代させてもいいけれど、まずは子爵家の家風に馴染んでもらいたいという子爵夫人の采配であった。

 そして日暮れに遅れること半刻、帰宅した偲を、ほたるは音々と共に玄関に三つ指ついて出迎える。

 二択に対して僅かに思案した偲は、簡潔に「夕飯を先に頼む」と応じた。更に、立ち上がったほたるに軍帽を渡しながらも、視線は外套を脱がせる音々に流して、想定外の指示を下す。

「その間に、風呂の準備をしておいてくれ。夕飯の片付けと朝飯の仕込み、それが終われば本館に戻って、明日の朝また来てくれればいい。明日以降もな」
「え?」

 別館に起居するつもりであった音々は目を丸くする。そのための小部屋も整えてあり、ほたるも同様の認識でいたのだが、偲は翻意しなかった。

「風呂の後始末程度は任せてもいいだろう?」
「え? あ、はい」

 話の鉾先を向けられ、ほたるは素直に頷く。令嬢ではなく女中育ち、子爵家の勝手に慣れれば、別館暮らしの間は女中も必要ないほどである。

「ですが、伯爵家のお嬢様には何かとご不便をおかけするのでは」
「野暮だな」

 音々の懸念を最後まで言わせず、偲は唐突にほたるの肩を抱き寄せた。目を白黒させるほたるに構わず堂々と宣う。

「俺たちは新婚なんだ、愛らしい新妻と夫婦水入らずで過ごしたいと願うのは当然だろう?」
「!」

 その過剰なまでの惚気は、夫婦の「秘密」を知らない第三者を遠ざけるための口実に過ぎないと正確に理解してなお、ほたるの頬は紅潮した。軍服から、微かに煙草の残り香が漂う。

 逆に建前を本音として受け取った音々は「あらあらまあまあ」と口許を緩めた。

「そうでございますね、気が利かず失礼いたしました」

 若夫婦を微笑ましげに見遣る顔に、にんまりと笑みが広がる。

「でも若旦那様の溺愛も納得です。さすが伯爵令嬢、立ち振舞いは淑やかなのにきびきびとなさっていて。まさに『立てば芍薬座れば名取草(牡丹)、歩く姿は百合の花』ですよ」

 今日一日の様子を絶賛され、ほたるは内心胸を撫で下ろした。洗練された伯爵夫人や異母姉の見様見真似の所作、出来損ないの偽者でもどうにか誤魔化しきれたようだ。

 音々は上機嫌でほたるに外套を渡し、うきうきと言う。

「では私は膳を整えますから、若奥様は若旦那様のお着替えを手伝ってくださいな」
「いや別に着替えくらい一人で」
「お頼み申しましたよ」

 今度は音々が偲の言を遮り、弾むような足取りで台所へと向かっていった。その背を見送り、ほたるを振り返った偲がにやりと笑う。

「……なかなか見事な猫かぶりだったようじゃないか」

 初音とは違う、陰険さを感じさせない皮肉めいた小声に、外套を抱いたほたるも裏のある満面の笑みで応じた。

「いえいえ、旦那様の化かしっぷりには及びませんよ」