花嫁御寮の嘘つきな身の上 ~獅子の軍神は牡丹の乙女を手放せない

 帝の勅命で結ばれた縁組としては簡素な祝言を終え、ほたるは犬塚家の別館へと居を移した。庭池を渡る長い橋で本館とつながったその平屋が、新郎新婦の住まいとなる。

 そして迎えた初夜、慣れない正装や化粧による気疲れも抜けないままのほたるを四半刻ほど待たせて、偲が寝所に姿を現した。軍人としての習性か、右手に長刀を携えている。

 犬塚の跡取りは御歳二十四、ほたるより七つ年長と東都に来てから聞いた。子爵の家柄、近衛師団大尉の位に相応しい、清冽な面差しと凛々しい眼光を兼ね備えた、過不足なく精悍な長躯の持ち主である。そして――――

「……不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」

 ほたるは褥の脇に額づき、硬い声で口上を述べる。その耳が、耳慣れない冴え冴えとした音を拾った。

「顔を上げろ」

 同じく夜を裂くような声がほたるに命じる。言われるがまま身を起こしたほたるの眼前に、抜刀した切っ先が突きつけられた。

「――――!」

 俄かな敵意に、ほたるは声もなく息を呑む。先程の耳慣れない音は、刀身を鞘から走らせた音だったのだ。

 新婚初夜、新妻に愛撫ではなく刃先を向けた偲は、その刃よりなお冷ややかで鋭い声を投げつける。


「――――おまえはいったい、何者だ」


 祝言を挙げたばかりの相手を根底から否定する詰問に、ほたるは激しく動揺する。名取家の嫡女ではないと気取られてはならない、という初音の忠告が虚しく脳裏を駆け抜けた。

 それでもどうにか事態を取り繕うべく、ほたるは忙しなく舌を動かす。

「……何者、と仰せられましても。わたしは帝の勅命により嫁いでまいりました、名取家の女にございます」
「半分は真かもしれんが半分は嘘だな。名取家の女ではあっても、勅命を受けた嫡女ではないだろう」
「……!」

 にべもなく一蹴されてほたるは言葉を失った。軍人の勘などではない、彼は完全に、名取家の欺瞞を見抜いている。

 どうして露見したのか。両家は顔合わせどころか釣書すら交わしていない。東都と西京という距離で、「名取家の嫡女」を事前に把握するすべはなかったはずだ。名取家側も、偲の顔どころか名前も知らなかったのだから。

「畏れ多くも帝の宸襟を騒がせ、温情による勅命にも背くか」

 冷酷に鍔が鳴る。眼差しの厳しさに言い逃れは通用しないと悟ったほたるは、一か八か、守勢から一転して反撃に出た。

「……あなたこそ、いったい何者」
「詭弁で煙に巻くつもりか、見苦しいぞ」

 一笑に付した偲の反応を、今度はほたるが一刀両断する。

「あなたは人じゃない。人ならぬものの血を引く人でなし。――――そうでしょう?」
「……戯言を」

 偲はそう返したが、僅かな躊躇と、胸中を映したように揺れた刃先をほたるは見逃さなかった。一気に畳み掛ける。

「近衛師団に物の怪が紛れていることを帝はご存知なのかしら? ご存知ないわよねえ、文明開化の都に、そんな御伽話の存在がいるはずもないのだから」

 この国の近代化は前時代を否定するところから始まった。仙術も霊獣もすべてまやかし、仙境ではなくなったこの島にいるべきではない、いてはならない。

「…………」

 遂に切っ先が落ちた。刀身を鞘に納めた偲は、やや渋い面構えのままどかりと腰を下ろす。やがてその顔に自嘲の笑みが浮かんだ。

「……どうやらお互い、後ろめたい事情を抱えているらしいな。この際、腹を割って話し合おうじゃないか」

 行灯の仄暗い明かりの中、口火を切るよう促す夫の眼差しに、観念したほたるは一部始終を語った。そして最後に疑念をぶつける。

「……旦那様はどうして、わたしが名取の嫡女ではないと気づかれたんですか」
「俺は人より遥かに鼻も耳も利く。意識を研ぎ澄ませば、この姿(丶丶丶)でも屋敷内の音すべて拾うことは造作もない」

 つまり、偲は控えの間でのほたると初音の会話を聞いていたのだ。迂闊と言えば迂闊な種明かしであった。

「それで、君はどうやって、俺がそんなバケモノだと見抜いた?」
「祝言前の話を聞いていたのであればお察しでしょうけれど……」

 事の次第を聞いた偲の口調からは刺々しさが拭われていた。ほたるは一度言葉を区切り、膝をいざって刀に近づく。鞘から僅かに刀身を引き抜き、左掌に滑らせると、掌を横断した傷口から鮮やかに血が滴った。

 微かに顔をしかめたほたるは、痛みをこらえ、溢れる鮮血を拭うように唇を寄せる。――――唇が離れると、傷は跡形もなく消え失せていた。

 軽く挙手するように無傷の掌を偲に見せ、淡々と説明する。

「ご覧のように、わたしには名取家由来の異能があります。……おそらく、伯爵様やお嬢様よりも強い通力が」

 異母姉の実験体であったほたるの袖や裾の下には、昨日まで、若菜が完全に癒せなかった古傷が無数に刻まれていた。祝言までの世話役として初音が派遣されたのも、犬塚家への発覚を遅らせるためである。だが「名取家の御令嬢」が傷だらけでは不審に思われると判断し、白無垢の着付け前にすべて消したのだ。

 いつからか発現したほたるの通力を知るのは、ほたると初音の二人きりだった。半端な治癒のせいで膿んだ火傷をこっそりと治すほたるの姿を見咎めた初音に、底意地の悪い半笑いで口止めされたのだ。

『総領娘として奥様が一心に期待を寄せている若菜お嬢様、そのお嬢様よりも、卑しい女中の娘に名取家の血が濃く顕れていると知ったら、お二人からの扱いはますます苛烈になるでしょうねえ。半殺し、いえそれでは済まなくなる日も来るやも』

 だからほたるは徹底して無能を装った。罵声も生傷も、心と体の痛みを甘んじて受け入れてきた。

「その霊眼で、俺の本性を看破したというわけか。……君の眼に、俺はどう映っている?」

 偲の口ぶりは、ほたるを試すような響きを帯びていた。挑発を受けたほたるが眼を凝らすと、偲の半身に、陽炎の如く別の像が重なる。

「狛犬……いえ、獅子でしょうか」
「……御明察」

 白旗を揚げると同時に、偲の姿が熱した金属のように熔ける。ほたるが思わず息を呑む間に、東都の守護者は鬣を持つ勇猛な霊獣へと変貌していた。

「…………だいたい何考えてるか解るからな」
「え?」

 ()塚なのに獅子なんだ、と漠然と思っていたほたるは軽く目を泳がせた。 
 
 溜め息をひとつ吐き、獅子の姿のまま、偲は己の事情を語って聞かせた。

 ――――偲の母・庚子(こうこ)は犬塚子爵家の一人娘であり、密かにあやかしの仙人と情を通じて偲を身籠った。婿取り前の懐妊に、当然、子爵夫妻は父親の素性を娘に問い詰めたが、明かしたところで信じてもらえるとも思えない。庚子は白状ではなく出奔を選び、仙窟で偲を産んだ。

 しばらくは親子三人の暮らしが営まれたが、やがて仙人は妻子の前から姿を消した。会敵して命を落としたか、単に愛情尽きたのか偲は知らない。庚子は残された息子と共に実家に戻り、子爵夫妻も娘と孫の帰還を受け入れた。……出奔から八年後、今から十九年前の話である。庚子は二度と夫にまみえることなく、夫が消えた真相を息子に明かすこともなく、偲の士官学校入学直前に静かに息を引き取った。

「……では、子爵様も刀自様も、旦那様の素性をご存じないのですね」

 語りの区切りがついたところで、ほたるはそう尋ねた。短い首肯が返ってくる。

「ああ。母は何も語らなかったし、祖父母も何も聞かなかった。それでも俺を、この家の跡継ぎとして認めてくれた」

 その言葉には、祖父母に対する深い感謝と敬愛の意が込められていた。彼らに人でなしの本性を知られることは、ほたるが女中の娘だと暴かれること以上に回避せねばならない事態なのだろう。

 ならば、交渉の余地はある。

「――――では旦那様、こうしませんか。お互い、相手の正体は明かさず、『犬塚の跡取り』と『名取の令嬢』としての演技を続けましょう」
「……脅迫か」
「いえ、取引です。互いに『秘密』を知らないふりで夫婦を続ける、それが一番丸く収まると思いません?」

 獅子の喉の唸りを受け流し、ほたるは契約を持ちかける。偲が折れるまでに、そう時間はかからなかった。女中の娘だてらに獅子の軍神と対等に渡り合おうとする度胸を、生意気ではなく好敵手と受け取ったようだ。

 そこに愛は必要ない。肝要なのは、互いの利害が一致したこと。

「――――いいだろう。所詮は政略、この結婚は俺たちにとっても取引、契約だ。俺は君が偽者であることに目を瞑る。だから」
「ええ。わたしも、旦那様が化物であることに口を噤みましょう」


 こうして、人でなしの花婿と身代わりの花嫁の新婚生活は幕を開けた。