花嫁御寮の嘘つきな身の上 ~獅子の軍神は牡丹の乙女を手放せない

 晴天に恵まれた吉日、名取伯爵家の広大な庭は、往年の花見の宴を髣髴とさせる賑わいに溢れていた。

 婚約式でこれなのだから、結婚式はそれこそ、西京に残る華族をすべて招く勢いで盛大に執り行うのだろう。和装の紳士淑女が笑いさざめく気品と華やぎは、東都の洋館で開催される舞踏会にも一歩も引けを取らない。

 ゆえに、殆ど唯一と言っていい洋装……軍人の礼服で参列した偲と、その連れであるほたるの姿は、ある意味本日の主役たちより目立っていた。

 ほたるは洋装ではなく和装、かつて庚子が着ていた振袖を仕立て直した、犬塚家の家紋である蝶の飛び違う色留袖を身に纏っていた。きりりとした軍人と清楚な淑女の組み合わせに、咲き初めた梅にも目もくれず、人々は袖や扇の陰でひそひそと囁き合う。

「ねえ、あのお二人って」
「女中から生まれた名取家の恥晒しと、それをありがたがって嫁に迎えた間抜けな東夷、の、はずですけれど……」
「嘘でしょう……?」

 招待客たちは、名取家が身代わりの花嫁を東に嫁がせたことも、その夫婦に敢えて今日の招待状を送ったことも知っていて、二人を嘲笑うために待ち構えていたのだろう。野蛮な軍人と卑しい女中、どんな風采の上がらない夫婦が場違いに紛れ込むかと思っていたのに、偲の鮮烈な存在感は他を圧倒し、ほたるの凛とした佇まいは花のように芳しく目を惹く。

「挨拶が遅れてごめんなさい、来てくれて嬉しいわ」

 異母妹たちを笑いものにするという余興の当てが外れた悔しさか、若干引き攣った笑顔で、若菜は妹夫婦に上っ面の感謝を示した。振袖は勿論牡丹の意匠だが、極彩色と隙間なく描かれた大振りの花弁のせいで、上品さよりも派手さが際立つ。

「このたびはご婚約、おめでとうございます」

 儀礼的に祝辞を述べるほたるを殆ど無視して、若菜は初めて姿を見た偲に露骨な秋波を送る。

「あなたが犬塚子爵の跡取りでいらっしゃいますの?」
「如何にもそうだが」
「本当は若菜が、子爵家に嫁ぐはずでしたのよ。だけど若菜が知らない遠い土地に行くのは怖いと怯えているうちに、この子が図々しく抜け駆けして」

 しゃあしゃあと都合のいい嘘を吹き込む異母姉に、ほたるは怒るより先に呆れてしまった。それでも、若菜の愛らしさを前に、もし偲が真に受けてしまったらどうしようという懸念が胸を掠めたが、杞憂に終わった。この感情の欠落した表情は、間違いなく馬耳東風である。

「帝の勅命に背いて伯爵家の嫡女を名乗るなんて無謀、良識ある者にはとてもできないですもの。無知とは恐ろしいものですわ。子爵家でも、さぞ迷惑をおかけしていることでしょう。姉としてお詫びいたします」
「そんなことはない。祖父母も、いい嫁をもらったと喜んでいる」

 断言して妻の肩を抱く偲に、ほたるはうっすら頬を染め、逆に若菜はどす黒く顔を歪めた。

「……そうでしょうか? もしかしてまだご存じないのかしら、この子の腕や脚は」

 更にほたるを貶める言葉を続けようとした若菜の背に、甲走った声がかかる。

「若菜さん、婚約者を置いて、いつまでそんな下賤の者どもに関わっているの」
「お母様」

 同じく薬仙華族出身の伯爵夫人・葵子(あおいこ)であった。驕慢な若菜でさえ一目で骨抜きになった偲に対し、一貫して見下した視線を保っていられるのは、ある意味さすがである。黒の留袖姿に、偲が僅かに鼻を寄せた。

 彼女の後方で、招待客の一人を相手に談笑している黒の紋付袴の青年が、本日の主役の片割れ、若菜の婚約者だろう。帝の従甥、即ちれっきとした皇族であり、立場に相応しい高貴な佇まいであったが、偲の風格の前ではやや霞んでしまう。

 その婚約者の父、帝の従弟は今年に入ってから、居を再び東都から西京へ戻したと聞く。……つまり、名取伯爵家を筆頭とする西京派は、帝を東から呼び戻すことを諦め、新たな帝を西に擁立しようとしているのではないか。転居や婚約はそのための布石、かつてこの島を南北に割った争いがあったように、東西に未だ燻る火種を再燃させるつもりか。

 だが伯爵夫人はそのような陰謀の有無に関わらず、かつてのように女中の娘をひたすら目の仇にして蔑む。

「追い出したはずの鬱陶しい小虫が、また性懲りもなく名取家に入り込んできたようね。まったく、このめでたい日に、どの面下げてやって来たのかしら。これだから、世辞の通じない無教養な下民は嫌なのよ」

 招いたのはそっちでしょうに、と言いたげなほたるの視線に対し、莫迦正直に来る莫迦がどこにいるのよ、とばかりに葵子は悪態をついた。

 伯爵夫人と伯爵令嬢と女中の娘。そのいびつな三者が揃ったのを見計らったかのように、女中頭の初音が人波を掻き分けて現れ嫣然と微笑む。

「奥方様にお嬢様。本日はお日柄もよく、まことにめでたい日でございますこと」
「そなたなどに祝われたくはないわ。その目障りな顔、早くあたくしたちの視界から消してちょうだい」

 女中頭と伯爵夫人、異なる立場から共にほたるを虐げ抜いた初音と葵子であったが、敵の敵は味方とはならず、妾と妻でもある二人は火花を散らし合った。

 不意に、初音の蠱惑的な唇が更に捩れた愉悦を浮かべる。

「――――本当、奥方様が実のお嬢様を小虫と誹謗し、女中の娘の晴れ姿を言祝ぐ、これほどおめでたくて愉快な見世物はございませんわ」