正月の賑わいも落ち着いた頃、ほたるは軍部帰りの偲と共に本館へと呼び出された。
別館に音々を残し夫婦揃って本館へ出向くと、二階にある子爵の書斎へと通される。身内とは言え、あまり客を招き入れる場所ではない。
昨年古稀を迎えた犬塚子爵直秀は、老いてなお貧相という言葉とは無縁の壮健な御仁であった。下座に並んだ孫夫婦に対し、無言で一通の書簡を畳の上に差し出す。それきり説明しようとはしない祖父に、軍服姿のままの偲が怪訝そうに伺った。
「……これは?」
「西京よりの、婚約披露宴の招待状だ。――――名取伯爵令嬢のな」
「!」
直秀の無駄を省いた台詞に、ほたるは偲の隣で凍りついた。その様子をじろりと睨み、直秀は舌鋒鋭く詰問する。
「名取家の嫡女は我が家の嫁としてここにいる。では此度婿取りが決まったという、この伯爵令嬢は何者だ?」
それとも、と、壮年期から些かの衰えもないと思われる眼光がひときわ険しさを増した。
「ここにいる我が家の嫁に、そなたは何者だ、と尋ねるほうが正しいか?」
「……わ、たし、は」
「おじいさま」
「おぬしは黙っておれ」
声を絞り出せずにいるほたるを庇う素振りを見せた偲を、かつて将帥の地位にあった直秀は一喝で跳ね除ける。
「疾く答えよ。そなたはまこと、名取家の嫡女であったのか、否か」
獅子にも匹敵するであろう眼差しに射竦められ、ほたるは全面降伏を認めざるを得なかった。どんな嘘偽りも、動乱を生き抜いたこの老人には通用しない。真実を以てしか、彼と相対することはできなかった。
「……わたしは間違いなく、名取伯爵の娘です。――――ただし、伯爵夫人の娘では、ありません」
あとは、初夜に夫に説明した来歴と経緯を繰り返すだけだった。
「……子爵様を始め、犬塚家の皆々様を騙していたこと、申し訳ありませんでした」
最後をそう締め括り、ほたるは深く平伏した。フン、と直秀は鼻を鳴らす。
「『子爵様を始め』、か。もしや、おぬしはとっくに知っておったか」
「ええ、存じておりました」
察しのいい祖父の目線を真っ向から受け、偲は短く是と応じた。その語気に後ろめたさは微塵もない。視線を切り結ぶことしばし、先に肩の力を抜いたのは老人のほうだった。
「――――おぬしがよいと言うならそれでよいわ。五十鈴も嫁を気に入っておる。……偲の本性を知ってなお妻として添い遂げてくれる女子も、そうはおるまい」
師走の夜の出来事を夫人から聞き及んでいたらしい直秀はそう言って、偽者を犬塚家の花嫁として認めた。
しかし、話はそこで終わらなかった。
「我が家はそれでよい。……しかしこの書簡は、帝の勅命に逆らったという証拠だ。このまま捨て置くわけにもいくまい」
ほたるは、初夜の翌日に偲が言っていた言葉を思い出す。本物の伯爵令嬢はどういう身の振り方をするつもりなのか。その答えがこれだ。あの若菜が、何より伯爵夫人が、日陰者としてひっそりと暮らすことなど受け入れるはずがなかった。
東夷には偽者を差し出し、その隙に西京で相応しい婿を探す。そして騙された犬塚家を嘲笑い、帝すら軽んじるように、わざわざ招待状を送りつけてきた。
「先方から招いてきたのです、堂々と乗り込みましょう」
偽りの嫁を押し付けられた道化の婿ではなく、近衛将校としての顔で、偲は挑発を受けて立つ。
こうしてほたるは、夫と共に西京の名取家へと里帰りすることになったのだった。
別館に音々を残し夫婦揃って本館へ出向くと、二階にある子爵の書斎へと通される。身内とは言え、あまり客を招き入れる場所ではない。
昨年古稀を迎えた犬塚子爵直秀は、老いてなお貧相という言葉とは無縁の壮健な御仁であった。下座に並んだ孫夫婦に対し、無言で一通の書簡を畳の上に差し出す。それきり説明しようとはしない祖父に、軍服姿のままの偲が怪訝そうに伺った。
「……これは?」
「西京よりの、婚約披露宴の招待状だ。――――名取伯爵令嬢のな」
「!」
直秀の無駄を省いた台詞に、ほたるは偲の隣で凍りついた。その様子をじろりと睨み、直秀は舌鋒鋭く詰問する。
「名取家の嫡女は我が家の嫁としてここにいる。では此度婿取りが決まったという、この伯爵令嬢は何者だ?」
それとも、と、壮年期から些かの衰えもないと思われる眼光がひときわ険しさを増した。
「ここにいる我が家の嫁に、そなたは何者だ、と尋ねるほうが正しいか?」
「……わ、たし、は」
「おじいさま」
「おぬしは黙っておれ」
声を絞り出せずにいるほたるを庇う素振りを見せた偲を、かつて将帥の地位にあった直秀は一喝で跳ね除ける。
「疾く答えよ。そなたはまこと、名取家の嫡女であったのか、否か」
獅子にも匹敵するであろう眼差しに射竦められ、ほたるは全面降伏を認めざるを得なかった。どんな嘘偽りも、動乱を生き抜いたこの老人には通用しない。真実を以てしか、彼と相対することはできなかった。
「……わたしは間違いなく、名取伯爵の娘です。――――ただし、伯爵夫人の娘では、ありません」
あとは、初夜に夫に説明した来歴と経緯を繰り返すだけだった。
「……子爵様を始め、犬塚家の皆々様を騙していたこと、申し訳ありませんでした」
最後をそう締め括り、ほたるは深く平伏した。フン、と直秀は鼻を鳴らす。
「『子爵様を始め』、か。もしや、おぬしはとっくに知っておったか」
「ええ、存じておりました」
察しのいい祖父の目線を真っ向から受け、偲は短く是と応じた。その語気に後ろめたさは微塵もない。視線を切り結ぶことしばし、先に肩の力を抜いたのは老人のほうだった。
「――――おぬしがよいと言うならそれでよいわ。五十鈴も嫁を気に入っておる。……偲の本性を知ってなお妻として添い遂げてくれる女子も、そうはおるまい」
師走の夜の出来事を夫人から聞き及んでいたらしい直秀はそう言って、偽者を犬塚家の花嫁として認めた。
しかし、話はそこで終わらなかった。
「我が家はそれでよい。……しかしこの書簡は、帝の勅命に逆らったという証拠だ。このまま捨て置くわけにもいくまい」
ほたるは、初夜の翌日に偲が言っていた言葉を思い出す。本物の伯爵令嬢はどういう身の振り方をするつもりなのか。その答えがこれだ。あの若菜が、何より伯爵夫人が、日陰者としてひっそりと暮らすことなど受け入れるはずがなかった。
東夷には偽者を差し出し、その隙に西京で相応しい婿を探す。そして騙された犬塚家を嘲笑い、帝すら軽んじるように、わざわざ招待状を送りつけてきた。
「先方から招いてきたのです、堂々と乗り込みましょう」
偽りの嫁を押し付けられた道化の婿ではなく、近衛将校としての顔で、偲は挑発を受けて立つ。
こうしてほたるは、夫と共に西京の名取家へと里帰りすることになったのだった。



