放課後アクスタ部(部員二名)

 龍牙がずっと俺の手を摩ってくれている。
 目の前には龍牙がいて、その向こうには水浸しになった絵が見える。

「八坂、平野、ごめんね」

 矢代先輩が、泣きそうな顔で頭を下げた。

「あの人、何なんすか」

 龍牙が俺の肩を摩りながら矢代先輩に問い掛けた。

「イラスト同好会の部長なんだけど。今年は文化祭のポスターの依頼が来なかったからって美術部に様子を見に来たの。イラスト同好会に行くはずだった依頼は、アクスタ部にきちゃったから」
 
 矢代先輩が、気まずそうに話す。

「つまり、最初からアクスタ部を探しに来たんですね」
「多分、そう。峰岸の八坂に対する嫉妬、尋常じゃないの。止められなくて、ごめん」
「先輩のせいじゃないっす。むしろ、ありがとうございました」

 龍牙が、隠すように俺の前に立った。

「もう大丈夫なんで、先輩は美術部に戻ってください」
「うん……速水先生に事情を聴かれたら、私も証言するからね」
「ありがとうございます」

 龍牙の声を聴いて、矢代が美術部に戻っていった。

「見えてないと思う、大丈夫」
「うん……ごめ……」

 俺はさっきから、情けないくらい涙が止まらなくて。
 ずっと龍牙にしがみ付いていた。

「今日さ、急にシフト交換になって、バイトなくなった。だから途中から引き返してきた。戻ってきて、良かった」

 龍牙の手が、ゆっくり背中を撫でてくれる。
 
「もうちょっと早く来たら、良かったけど」

 俺は首をフルフルと横に振った。

「来てくれて、嬉しかった……けど。絵が、あんなん、なっちゃって。ごめ……折角、構図考えてくれた、のに。ごめん」

 あの状態だけは、龍牙に見せたくなかった。

「もう一回、描けばいい。透馬は描くの早いじゃん。構図はもう頭に入ってるだろうし、締め切りまで全然、時間ある。間に合う」

 今日の龍牙は、いつもよりいっぱい喋ってくれる。
 きっと気を遣ってくれている。

「描く、絶対描く。何があっても完成させる。でも」

 俺は龍牙に縋り付いて、その胸に額を押し当てた。

「俺と龍牙で作った絵、水浸しにされて、悔しい。何にもできなくて、耐えてるだけだった自分が、情けない」

 言葉にしたら余計に悔しくなって、また涙が溢れてきた。

「守れなくて、ごめん」

 謝ることしかできない自分が、恥ずかしい。
 龍牙の手が、背中に回った。
 くいと、強く引き寄せられた。

(あれ……? 龍牙の胸に抱かれてる?)

 俺があんまりにも泣くから、抱きしめてくれているんだろうか。

(友達にこういうことって、あんまりしないんじゃ)

 そう思うけど、嫌ではない。
 むしろ安心する。だから、離れる気になれなかった。

「自分が辛い目に遭ったのに、俺にごめんて、思ってくれんだ」
「だって、二人で描いている絵なのに」
「二人で描いてるって、思ってくれんだ」

 抱きしめる腕が強くなった。
 これはもう完全に抱き合っている姿勢だ。

(え……え? あれ……なんで?)

 疑問に思うのに、すんなり受け入れている。自分もよくわからない。
 龍牙の指が、俺の目に溜まった涙を拭きとってくれた。

「もう、悪いって思わなくていいから。二人で描き上げることだけ、考えよう」
「……うん」

 頷いたら、龍牙が微笑んでくれた。
 その笑みが優しくて、胸に沁みた。

「だからもう、泣かなくていいよ」

 龍牙の顔が近付く。
 目尻に唇が触れそうなところで、止まった。

「それ以上、泣いたら、キスする」
「えぇ! 何で?」

 慌てて顔を離したら、龍牙が笑った。

「冗談。しないって」
「そういう冗談、良くないよ」

 ぷくっと頬を膨らませて見せる。

「もう言わない。いつもの透馬に戻って良かった」

 龍牙が、俺の頬を指で突いた。
 情けない音がして、頬から空気が抜けた。

「ふっ……ふふ」
「くふふ」

 何だかおかしくなってきて、二人して笑った。
 いっぱい笑ったら、どうでもいい気になった。

「片付け、しようか」
「うん。雑巾かりてくる」

 龍牙が俺から離れた。
 温もりが遠ざかる。それを、少しだけ悲しいと思った。

「優しかったな」

 美術室に入っていった龍牙の背中を見送って、俺はぽつりと零していた。