次に見たのは幼いエルディーテが休憩中の騎士らに混じり談笑する姿だった。
季節は移り変わり、木々の枝葉には赤や黄色が混じっている。
この頃のエルディーテは、もうすっかりオルディスの演習を見に行くことが常習化しており、そのことについて父ユークから騎士らに迷惑をかけていないか度々問われる事があった。
当初こそ口出しされなかったが、熱心に通い詰めていることがバレたのだ。
刺繍の件では待機場まで赴いた事を知られ「迷惑だから止めなさい」とはっきり注意されたこともある。
それもエルディーテが行動に移した翌々日の話だった。
王都近郊とはいえ、仕事を中断してわざわざ別邸までやってきたほどで、あれほど早く父の耳にまで入っていたのは意外だった。
王都のタウンハウスで離れて暮らしている父は、だいたい決まって週末にエルディーテ達の元へ帰ってくるのだが、あの日は予定にない帰宅だった。
「宿舎は待機所でもあり、プライベートな空間だ。雇い主の娘に訪問されては騎士らの気が休まらないだろう」といった趣旨の𠮟りつけだった。
そんなこともあって騎士らの宿舎まで押しかけたのはあの一度きり。
さすがに反省し、あれからエルディーテは宿舎への訪問は止め、オルディスが護衛の担当でない日は休憩時間を見計らって演習所まで赴き話しかけに行く程度にとどめた。
ただ、”刺繍を完成させたら自分だけの騎士になって欲しい”という要求に関しては、なぜか一切触れられなかった。
そして現在、目にしているこの光景。
幼き日のエルディーテは刺繍の進み具合の報告と、とあるおねだりを目的に訪れていた。
差し入れはサンドイッチ。料理人に頼みローストした肉を厚めに切って挟んでもらい、それを騎士らに振る舞いながら、ちゃっかりオルディスの隣を死守している姿があった。
黙って食べているオルディスを幼い自分は満足げに眺めている。
この光景は皆が慣れつつあるが、蘇ってくるのは初めてオルディスに隣に着座させたときの面食らった表情である。
初めこそ陰ながらこっそり見つめる程度だったが、彼を見に行くたび休憩時間にも殆ど休まず、水分補給だけ済ませ自主的に鍛錬を続けるといった姿が目立っていた。
さらにオルディスはあまり他の騎士らと関わろうとしておらず、後日団長のリックに聞けば悪い奴でないがあまり馴染めていないという。
そこでエルディーテは差し入れを持ちオルディスを呼びつけることにしたのだ。
『皆と一緒に休憩しましょう。あなたは私の隣ね』
命令同然の誘いに対し、あの時のオルディスは仏頂面を困惑させていた。
本意でないといった感じだったが、とはいえ雇い主の娘には逆らえない。
『どうしたの?差し入れもあるのよ。私の隣は嫌?』
無邪気に問えば、オルディスは観念したように着座して、その姿を他の騎士らに揶揄われていた気がする。
そんなことを何度か繰り返すうちに、オルディスは皆と休憩を取るようになって、そして少しずつだが入団時よりも他の騎士らと言葉を交わす姿を見るようになった。
そして季節は移り変わり、エルディーテの熱い視線を一身に受けながらも、今や慣れたものとして一切動じることなくサンドイッチを頬張っている。
オルディスの一口は大きい。年を重ねて改めて見ても、やはり他よりも多く口に押し込んでいる気がして、それは早食いというよりも喋らない時間を確保しているように見えた。
六歳のエルディーテは、そんなオルディスの咀嚼を根気強く待って話しかけた。
「――ねぇ、もうすぐ私の七歳の誕生日なのよ」
第一声は直接的な言葉を避けて選んでいる。
慎重に切り出す姿はまさに恋する乙女そのものだ。
しかし対するオルディスは視線のみで一瞥すると話題を閉ざすように静かに告げた。
「……えぇ、存じています」
この頃のオルディスは能動的に絡んでくるエルディーテの好意を受け流すといった術を身に着けたようで、多くを語らず必要最低限の会話に留めることに徹していたのだ。
それでもエルディーテはめげず、今度ははっきりと希望を伝える。
「あのね、高価な物が欲しくて言ってるわけじゃないんだけど、ディートから何か欲しいの。本当に、なんでもいいから」
ここまで言えば逃げられないだろうと、あえて他の騎士らの前で言っている。
しかし勇気を出したおねだりに対し、返ってきたのは肩透かしな返事。
「私のような者からお嬢様に何か差し上げるなど、扱いに困るだけでしょう」
「そんなことないわ。ディートが選んでくれるものが欲しいのに……」
「あまり私にばかり構っていると皆が拗ねてしまいますよ」
人の目があれば何か確約できるかもというエルディーテの目論みは見事に外れ、逆手に取られる始末。
エルディーテはそのやり取りを見て如何ともしがたいむず痒さから溜息を零した。
オルディスは真っ当な対応をしてくれている。
エルディーテがよくとも、侍女達が困るのではと暗に告げていたのだ。
そして芋づる式に掘り起こされるのは父の叱責の意図。
あれだって、騎士のプライベートを侵害するなというもっともらしい正論と同時に、エルディーテを守るためでもあったに違いない。
子供の戯れとはいえ、公爵令嬢が私兵の騎士に秋波を送っているなど外聞が悪い。
ただでさえ噂話に飢えている社交界で、尾ひれがつくことなど珍しい話ではないのだ。口の堅い者しか雇っていないグラウス家とて、人の口に完全に枷を付けることは出来ない。
悪意なく零れた話題が雪だるま式に脚色され醜聞に変わる可能性は十分あった。
しかし、はじめての恋に浮かれた当時のエルディーテはそんなことを考える余裕はなかった。
その証拠に、エルディーテの視線の先に居る六歳の自分はあからさまに拗ねている。
「分かったわよ……」
口を尖らせ沈黙し、思うようにならなかったことへの不満をどこへ捨てればいいのか考えあぐねている姿があった。
しかし沈黙は落ちたものの、子供らしく切り替えは早かった。
「じゃあディートの生まれはいつ?どんな子供だったの?」
口にしたのは純粋な興味。しかしその何気ない問いがオルディスを一瞬固まらせた。
その意味を当時の自分は違和感程度にしか察することは出来なかったが、今なら分かる。
この時期のオルディスには過去を懐かしむような家族が居ない。
かつて兄の後を追って邸の階段を走り降りていた光景は彼の中で過去の遺物となっているのだろう。
この時、彼はなんと答えていたのだろう。
しかしオルディスが言葉を紡ぐよりも先に、侍女のマリアが気が気でない様子でエルディーテに呼びかけた。
「お嬢様、そろそろお戻りになられた方が……マナーの講義の時間になるかと」
「あら、もうそんな時間だったかしら」
そうだ。結局、オルディスがエルディーテの問いに答えることはなかった。
この日は普段よりも長居し過ぎたせいで、騎士らの前で恥ずかしくも説教をされた日である。
のんびりとマリアに問い返すエルディーテは周囲がざわついていることに一足遅れて気付くが、時すでに遅し。
唐突に気の強そうな芯の通った声が響いた。
「――そんな時間です。またこちらにいらしたのですね」
声の主はローゼ・コールマン伯爵令嬢。
娼館の女がオルディスに明かしたもう一人の間者だった。
季節は移り変わり、木々の枝葉には赤や黄色が混じっている。
この頃のエルディーテは、もうすっかりオルディスの演習を見に行くことが常習化しており、そのことについて父ユークから騎士らに迷惑をかけていないか度々問われる事があった。
当初こそ口出しされなかったが、熱心に通い詰めていることがバレたのだ。
刺繍の件では待機場まで赴いた事を知られ「迷惑だから止めなさい」とはっきり注意されたこともある。
それもエルディーテが行動に移した翌々日の話だった。
王都近郊とはいえ、仕事を中断してわざわざ別邸までやってきたほどで、あれほど早く父の耳にまで入っていたのは意外だった。
王都のタウンハウスで離れて暮らしている父は、だいたい決まって週末にエルディーテ達の元へ帰ってくるのだが、あの日は予定にない帰宅だった。
「宿舎は待機所でもあり、プライベートな空間だ。雇い主の娘に訪問されては騎士らの気が休まらないだろう」といった趣旨の𠮟りつけだった。
そんなこともあって騎士らの宿舎まで押しかけたのはあの一度きり。
さすがに反省し、あれからエルディーテは宿舎への訪問は止め、オルディスが護衛の担当でない日は休憩時間を見計らって演習所まで赴き話しかけに行く程度にとどめた。
ただ、”刺繍を完成させたら自分だけの騎士になって欲しい”という要求に関しては、なぜか一切触れられなかった。
そして現在、目にしているこの光景。
幼き日のエルディーテは刺繍の進み具合の報告と、とあるおねだりを目的に訪れていた。
差し入れはサンドイッチ。料理人に頼みローストした肉を厚めに切って挟んでもらい、それを騎士らに振る舞いながら、ちゃっかりオルディスの隣を死守している姿があった。
黙って食べているオルディスを幼い自分は満足げに眺めている。
この光景は皆が慣れつつあるが、蘇ってくるのは初めてオルディスに隣に着座させたときの面食らった表情である。
初めこそ陰ながらこっそり見つめる程度だったが、彼を見に行くたび休憩時間にも殆ど休まず、水分補給だけ済ませ自主的に鍛錬を続けるといった姿が目立っていた。
さらにオルディスはあまり他の騎士らと関わろうとしておらず、後日団長のリックに聞けば悪い奴でないがあまり馴染めていないという。
そこでエルディーテは差し入れを持ちオルディスを呼びつけることにしたのだ。
『皆と一緒に休憩しましょう。あなたは私の隣ね』
命令同然の誘いに対し、あの時のオルディスは仏頂面を困惑させていた。
本意でないといった感じだったが、とはいえ雇い主の娘には逆らえない。
『どうしたの?差し入れもあるのよ。私の隣は嫌?』
無邪気に問えば、オルディスは観念したように着座して、その姿を他の騎士らに揶揄われていた気がする。
そんなことを何度か繰り返すうちに、オルディスは皆と休憩を取るようになって、そして少しずつだが入団時よりも他の騎士らと言葉を交わす姿を見るようになった。
そして季節は移り変わり、エルディーテの熱い視線を一身に受けながらも、今や慣れたものとして一切動じることなくサンドイッチを頬張っている。
オルディスの一口は大きい。年を重ねて改めて見ても、やはり他よりも多く口に押し込んでいる気がして、それは早食いというよりも喋らない時間を確保しているように見えた。
六歳のエルディーテは、そんなオルディスの咀嚼を根気強く待って話しかけた。
「――ねぇ、もうすぐ私の七歳の誕生日なのよ」
第一声は直接的な言葉を避けて選んでいる。
慎重に切り出す姿はまさに恋する乙女そのものだ。
しかし対するオルディスは視線のみで一瞥すると話題を閉ざすように静かに告げた。
「……えぇ、存じています」
この頃のオルディスは能動的に絡んでくるエルディーテの好意を受け流すといった術を身に着けたようで、多くを語らず必要最低限の会話に留めることに徹していたのだ。
それでもエルディーテはめげず、今度ははっきりと希望を伝える。
「あのね、高価な物が欲しくて言ってるわけじゃないんだけど、ディートから何か欲しいの。本当に、なんでもいいから」
ここまで言えば逃げられないだろうと、あえて他の騎士らの前で言っている。
しかし勇気を出したおねだりに対し、返ってきたのは肩透かしな返事。
「私のような者からお嬢様に何か差し上げるなど、扱いに困るだけでしょう」
「そんなことないわ。ディートが選んでくれるものが欲しいのに……」
「あまり私にばかり構っていると皆が拗ねてしまいますよ」
人の目があれば何か確約できるかもというエルディーテの目論みは見事に外れ、逆手に取られる始末。
エルディーテはそのやり取りを見て如何ともしがたいむず痒さから溜息を零した。
オルディスは真っ当な対応をしてくれている。
エルディーテがよくとも、侍女達が困るのではと暗に告げていたのだ。
そして芋づる式に掘り起こされるのは父の叱責の意図。
あれだって、騎士のプライベートを侵害するなというもっともらしい正論と同時に、エルディーテを守るためでもあったに違いない。
子供の戯れとはいえ、公爵令嬢が私兵の騎士に秋波を送っているなど外聞が悪い。
ただでさえ噂話に飢えている社交界で、尾ひれがつくことなど珍しい話ではないのだ。口の堅い者しか雇っていないグラウス家とて、人の口に完全に枷を付けることは出来ない。
悪意なく零れた話題が雪だるま式に脚色され醜聞に変わる可能性は十分あった。
しかし、はじめての恋に浮かれた当時のエルディーテはそんなことを考える余裕はなかった。
その証拠に、エルディーテの視線の先に居る六歳の自分はあからさまに拗ねている。
「分かったわよ……」
口を尖らせ沈黙し、思うようにならなかったことへの不満をどこへ捨てればいいのか考えあぐねている姿があった。
しかし沈黙は落ちたものの、子供らしく切り替えは早かった。
「じゃあディートの生まれはいつ?どんな子供だったの?」
口にしたのは純粋な興味。しかしその何気ない問いがオルディスを一瞬固まらせた。
その意味を当時の自分は違和感程度にしか察することは出来なかったが、今なら分かる。
この時期のオルディスには過去を懐かしむような家族が居ない。
かつて兄の後を追って邸の階段を走り降りていた光景は彼の中で過去の遺物となっているのだろう。
この時、彼はなんと答えていたのだろう。
しかしオルディスが言葉を紡ぐよりも先に、侍女のマリアが気が気でない様子でエルディーテに呼びかけた。
「お嬢様、そろそろお戻りになられた方が……マナーの講義の時間になるかと」
「あら、もうそんな時間だったかしら」
そうだ。結局、オルディスがエルディーテの問いに答えることはなかった。
この日は普段よりも長居し過ぎたせいで、騎士らの前で恥ずかしくも説教をされた日である。
のんびりとマリアに問い返すエルディーテは周囲がざわついていることに一足遅れて気付くが、時すでに遅し。
唐突に気の強そうな芯の通った声が響いた。
「――そんな時間です。またこちらにいらしたのですね」
声の主はローゼ・コールマン伯爵令嬢。
娼館の女がオルディスに明かしたもう一人の間者だった。



