エルディーテが目にしたのは人で賑わう王都のマーケットだった。
状況を把握すべく視線を周囲へ向ければ、軽快な音楽と共に舞う踊り子や、甘い香りが立ち込める焼き菓子の屋台、串焼きを頬張る人々、藁で編まれた剣を持って走る子供の姿があった。
――春祭りだ。
豊穣の女神に祈りを捧げる春の催事、藁の剣が何よりの証拠。
火傷を負う前の幼少期に何度かエルディーテも出向いたことがある。
様々な民族が集まる帝国には、出店する屋台も様々だ。
雑貨や軽食、吟遊詩人が貴族の恋愛物語や武勇伝を唄い、それらを目当てにこの祭りの期間は多くの人間が集まる。
その場所に、エルディーテは大きな川の流れを切り裂く岩石のように立っていた。
次元を跨いだような感覚も三度目になれば戸惑いは薄れつつあるが、緊張は解けず疑念は未だ抱えたまま。
自分が何をさせられているのか定かでなく、あくまで推測しているだけの手掛かりから何を得ればいいのかは分からない。
ふと、足元に新聞が落ちていることに気付き拾い上げると、その日付欄に目を止めると息を呑んだ。
三十七年も前の暦が印字されてあったのだ。
過去の幻を見せられているのだろうか。
混乱し微かに頭の傷みを覚える。
先ほどは、きな臭い受験者でなく、手がかりかもしれないオルディスを追うべきだったかと、エルディーテは自分の判断に少し後悔していた。
しかしその後悔はすぐに払拭される。
誰かと肩がぶつかり、その相手がオルディスだったのだ。
「っと、すみません」
走っていた子供を避けようとしたオルディスがエルディーテにぶつかる形で二人は再会した。
「いや、こちらこそ……」
「あなたは……昨日、王宮で会った……」
「エルディーテだ。よろしく、スナイプ殿」
オルディスの”昨日”という発言が少し引っかかったが、すかさず手を差し出し握手を求めた。
接触して何か引き出す必要があると焦ったからだ。
「もしかして上官の方だったのですか?昨日はお見苦しい姿を見せてしまってお恥ずかしい限りです」
オルディスは爽やかな笑みを浮かべたあとに、眉尻を下げ言う。
帝国騎士団の紋章が入った装備を身に着けていたためか、オルディスはエルディーテを自分より階級の高い相手だと勘違いしたらしい。
それを訂正するべきか迷ったが、しかしエルディーテは僅かに視線を彷徨わせたのち訊ねた。
「いや、……試験のことだが、剣に細工がされていたんじゃないか?」
ここは邸が生み出した過去の幻覚かもしれないのだ。
一々誠実に取り合っていては答えなど見つかるはずがない。
「……どうしてそれを?」
オルディスは瞠目し双眸を瞬くと、戸惑いがちに言った。
その反応で確信を得る。やはりあのあと細工は施されたのだ。
現場こそ見ていないが、レイヴン達の会話と今のオルディスの発言を擦り合わせれば試験で不正が行われたことは明白。
レイヴンという男が帝国騎士団団長の公爵家と関わりある人物かは定かでないが、しかし顔を思い浮かべればどことなく面影が似ていることに今更ながら気付く。
親類か、あるいは本人か。
無意識に考えたが、しかしエルディーテの知っている団長と重ねてみたが類似点は少ない。
「きな臭い会話を聞いてしまって、スナイプ殿の試験に影響があるのじゃないかとすぐに追いかけたんだが……間に合わなかったんだ」
本当は不正を見つけたところでどうするかなど決めていなかったが、不自然にならぬよう答えた。するとオルディスは納得した様子で表情を和らげる。
「そうでしたか。確かに影響はありましたが大丈夫ですよ。それにもう済んだことなので」
少し影のある笑みを落としたが、しかしオルディスは極めてはっきりと告げた。
こざっぱりとして、正々堂々とした声に人の良さが滲み出ていた。
「本当に、気にかけてくださってありがとうございます……私のことはぜひオルディスとお呼びください」
笑みをうかべ丁寧に謝辞を並べるオルディスは、きっと誠実な男なのだろう。
――こういう人間は嫌いではない。
しかもエルディーテに対し、なんの隔たりなく受け答えするのだから希少だった。
だいたいの人間は爵位や騎士団内の階級よりも先に、女という点でエルディーテを線引きするのだ。
そして扱い辛そうにするか、勝手に上下関係を決めつけて舐めた口をきくか二分される。
初対面からオルディスのように丁寧に取り合う人間など殆ど居なかった。
「ではオルディスと呼ばせていただくよ」
オルディスの笑みにつられて、エルディーテも思わず口端が緩む。
「はい。ではエルディーテ様、私はこれで失礼します。幼馴染を待たせていまして……」
そう告げる視線の先には、屋台の傍で使用人らしき人物と共に居る年若い少女が居た。
こちらを窺っている不安気な丸い瞳が庇護欲を煽る。そんな愛らしい娘だった。
「あぁ。引き留めてしまってすまない」
さすがに邪魔しては悪い。
「では訓練塔でお会いした際はぜひお相手をよろしくお願いします、エルディーテ様」
敬礼をして去ってゆくオルディスの背を見送りながらエルディーテは新聞を握り締め考える。
オルディス・スナイプ……スナイプといえば男爵家でそのような性がいたが、目立った存在ではなかった。
しかし三度出くわしたということは、きっと何かがある。
その可能性が高まりつつあるということだ。
やはり追跡すべき。そう考えをまとめたエルディーテは、婚約者らしき令嬢と祭りを共にするオルディスを少し離れて追うため人をかき分け進み始める。
しかし小さな子供がいきなり前に現れエルディーテに訴えた。
「剣、買ってくれませんか?」
藁で編まれた小さな剣が入った籠を背負っている。
売り子をしているのは年端もいかない少年だ。
「いまなら腕輪もついてくるよ」
そう言って断りもなしにエルディーテの手に藁の輪っかを嵌め、刹那またあの降下してゆく感覚に襲われた。
状況を把握すべく視線を周囲へ向ければ、軽快な音楽と共に舞う踊り子や、甘い香りが立ち込める焼き菓子の屋台、串焼きを頬張る人々、藁で編まれた剣を持って走る子供の姿があった。
――春祭りだ。
豊穣の女神に祈りを捧げる春の催事、藁の剣が何よりの証拠。
火傷を負う前の幼少期に何度かエルディーテも出向いたことがある。
様々な民族が集まる帝国には、出店する屋台も様々だ。
雑貨や軽食、吟遊詩人が貴族の恋愛物語や武勇伝を唄い、それらを目当てにこの祭りの期間は多くの人間が集まる。
その場所に、エルディーテは大きな川の流れを切り裂く岩石のように立っていた。
次元を跨いだような感覚も三度目になれば戸惑いは薄れつつあるが、緊張は解けず疑念は未だ抱えたまま。
自分が何をさせられているのか定かでなく、あくまで推測しているだけの手掛かりから何を得ればいいのかは分からない。
ふと、足元に新聞が落ちていることに気付き拾い上げると、その日付欄に目を止めると息を呑んだ。
三十七年も前の暦が印字されてあったのだ。
過去の幻を見せられているのだろうか。
混乱し微かに頭の傷みを覚える。
先ほどは、きな臭い受験者でなく、手がかりかもしれないオルディスを追うべきだったかと、エルディーテは自分の判断に少し後悔していた。
しかしその後悔はすぐに払拭される。
誰かと肩がぶつかり、その相手がオルディスだったのだ。
「っと、すみません」
走っていた子供を避けようとしたオルディスがエルディーテにぶつかる形で二人は再会した。
「いや、こちらこそ……」
「あなたは……昨日、王宮で会った……」
「エルディーテだ。よろしく、スナイプ殿」
オルディスの”昨日”という発言が少し引っかかったが、すかさず手を差し出し握手を求めた。
接触して何か引き出す必要があると焦ったからだ。
「もしかして上官の方だったのですか?昨日はお見苦しい姿を見せてしまってお恥ずかしい限りです」
オルディスは爽やかな笑みを浮かべたあとに、眉尻を下げ言う。
帝国騎士団の紋章が入った装備を身に着けていたためか、オルディスはエルディーテを自分より階級の高い相手だと勘違いしたらしい。
それを訂正するべきか迷ったが、しかしエルディーテは僅かに視線を彷徨わせたのち訊ねた。
「いや、……試験のことだが、剣に細工がされていたんじゃないか?」
ここは邸が生み出した過去の幻覚かもしれないのだ。
一々誠実に取り合っていては答えなど見つかるはずがない。
「……どうしてそれを?」
オルディスは瞠目し双眸を瞬くと、戸惑いがちに言った。
その反応で確信を得る。やはりあのあと細工は施されたのだ。
現場こそ見ていないが、レイヴン達の会話と今のオルディスの発言を擦り合わせれば試験で不正が行われたことは明白。
レイヴンという男が帝国騎士団団長の公爵家と関わりある人物かは定かでないが、しかし顔を思い浮かべればどことなく面影が似ていることに今更ながら気付く。
親類か、あるいは本人か。
無意識に考えたが、しかしエルディーテの知っている団長と重ねてみたが類似点は少ない。
「きな臭い会話を聞いてしまって、スナイプ殿の試験に影響があるのじゃないかとすぐに追いかけたんだが……間に合わなかったんだ」
本当は不正を見つけたところでどうするかなど決めていなかったが、不自然にならぬよう答えた。するとオルディスは納得した様子で表情を和らげる。
「そうでしたか。確かに影響はありましたが大丈夫ですよ。それにもう済んだことなので」
少し影のある笑みを落としたが、しかしオルディスは極めてはっきりと告げた。
こざっぱりとして、正々堂々とした声に人の良さが滲み出ていた。
「本当に、気にかけてくださってありがとうございます……私のことはぜひオルディスとお呼びください」
笑みをうかべ丁寧に謝辞を並べるオルディスは、きっと誠実な男なのだろう。
――こういう人間は嫌いではない。
しかもエルディーテに対し、なんの隔たりなく受け答えするのだから希少だった。
だいたいの人間は爵位や騎士団内の階級よりも先に、女という点でエルディーテを線引きするのだ。
そして扱い辛そうにするか、勝手に上下関係を決めつけて舐めた口をきくか二分される。
初対面からオルディスのように丁寧に取り合う人間など殆ど居なかった。
「ではオルディスと呼ばせていただくよ」
オルディスの笑みにつられて、エルディーテも思わず口端が緩む。
「はい。ではエルディーテ様、私はこれで失礼します。幼馴染を待たせていまして……」
そう告げる視線の先には、屋台の傍で使用人らしき人物と共に居る年若い少女が居た。
こちらを窺っている不安気な丸い瞳が庇護欲を煽る。そんな愛らしい娘だった。
「あぁ。引き留めてしまってすまない」
さすがに邪魔しては悪い。
「では訓練塔でお会いした際はぜひお相手をよろしくお願いします、エルディーテ様」
敬礼をして去ってゆくオルディスの背を見送りながらエルディーテは新聞を握り締め考える。
オルディス・スナイプ……スナイプといえば男爵家でそのような性がいたが、目立った存在ではなかった。
しかし三度出くわしたということは、きっと何かがある。
その可能性が高まりつつあるということだ。
やはり追跡すべき。そう考えをまとめたエルディーテは、婚約者らしき令嬢と祭りを共にするオルディスを少し離れて追うため人をかき分け進み始める。
しかし小さな子供がいきなり前に現れエルディーテに訴えた。
「剣、買ってくれませんか?」
藁で編まれた小さな剣が入った籠を背負っている。
売り子をしているのは年端もいかない少年だ。
「いまなら腕輪もついてくるよ」
そう言って断りもなしにエルディーテの手に藁の輪っかを嵌め、刹那またあの降下してゆく感覚に襲われた。


