命令ではない。取引でもない。自由になった棗へ、ただ残ってほしいと願っている。
百日前なら、迷わず立ち去っただろう。
この屋敷の外に行く場所がなくても、支配されるよりはよいと思ったはずだ。
今なら、自分の力でどこへでも行ける。
妖は棗を恐れ、藤宮家はもう棗を所有できない。
だからこそ、ここへ残ることが初めて自分の選択になる。
「俺を喰いたくなったら喰っても構わない」
「……いいのですか?」
「言っただろう。お前になら本望だ」
けれど今は、朝の食卓を知っている。
戸を叩く音を知っている。
自分の意思を守るために傷ついた蛍の手を知っている。
「……では」
棗は立ち上がり、蛍のそばへ一歩近づいた。
蛍の肩が、わずかに強張る。拒絶されると思っているのだろう。
棗は身をかがめ、無防備に待つ蛍の耳元へ、そっと唇を寄せた。
百日前なら、迷わず立ち去っただろう。
この屋敷の外に行く場所がなくても、支配されるよりはよいと思ったはずだ。
今なら、自分の力でどこへでも行ける。
妖は棗を恐れ、藤宮家はもう棗を所有できない。
だからこそ、ここへ残ることが初めて自分の選択になる。
「俺を喰いたくなったら喰っても構わない」
「……いいのですか?」
「言っただろう。お前になら本望だ」
けれど今は、朝の食卓を知っている。
戸を叩く音を知っている。
自分の意思を守るために傷ついた蛍の手を知っている。
「……では」
棗は立ち上がり、蛍のそばへ一歩近づいた。
蛍の肩が、わずかに強張る。拒絶されると思っているのだろう。
棗は身をかがめ、無防備に待つ蛍の耳元へ、そっと唇を寄せた。



