妖喰いの悪食花嫁〜喰われるはずの生贄は、百鬼の主と百日の契約結婚を結ぶ〜

 ようやくはっきりと見え始めた視界の中で、信じられないものを見るようにその姿を見つめた。
 ただ自分を縛る都合のよい器として、手元に置いておきたいだけなら、こんな身を削るような方法を選ぶ必要など、絶対にないはず。
 名前を無理やり呼ばせ、契約で雁字搦めにしてしまえば、それで全て解決するのだから。

「よかった……本当に……よかった」

 苦しげな顔で、それでも安堵したように笑う。
 棗自身を失わずに済んだことに、心から安堵している表情。
 胸の中で、凍りついていた何かが音を立てて緩んだ。

 食材として欲しいのなら、壊れない程度に力を奪えばいい。
 戦力として欲しいのなら、棗の意思を無視して契約を結べばいい。
 この蛍は、そのどちらも選ばなかった。
 初めて、誰かに自分の存在をそのまま望まれた。

「姉様は……」
「助けた。旧盟約も解き、因果も切った。お前はもう藤宮家へ何も渡さなくていい」
「そう……ですか」

 その言葉に、棗の肩から最後の力が抜けた。
 安心して目を閉じかけた棗を、蛍がもう一度抱き寄せる。

「眠るな。俺を見ろ」
「命令ですか」
「願いだ」

 棗は重い瞼を開いた。
 蛍の指から力が抜ける。

「ぬらりひょん様!」

 棗は倒れかけた身体を受け止める。
 初めて誰かを失いたくないと、喉が痛くなるほど強く願った。

 初めて、誰かに自分の存在そのものを、そのまま望まれた気がした。
 棗の冷え切っていた心の奥底に、これまで生きてきた中で一度も感じたことのない、痛いほどの温かい感情が、静かに、けれど消えない火を灯すように芽生え始めていた。