視線には、いつからか慣れた。
庭木の陰から。井戸の底から。天井裏の暗がりから。障子の向こうの、誰もいないはずの廊下から。
藤宮棗は、物心ついた頃にはもう、自分を見つめる無数の気配に囲まれて生きていた。
人の姿をしたものは、ひとつもない。それでも、確かにそこにいる。
息を潜め、瞬きもせず、棗という娘がどう育ち、いつ喰べ頃を迎えるのかを、じっと待っている。
庭を渡る風の中で、葉擦れの音がひとつだけ多い。井戸を覗けば、底の暗闇が笑うように歪む。夜になると、天井裏を爪が引っ掻く。
妖たちは、棗が生贄として差し出される日を待っている。
それを棗自身が、誰よりもよく知っていた。
藤宮家は、代々、妖との盟約を取り持ってきた旧家だった。
百鬼を束ねるぬらりひょんが人里を荒らす妖を抑える代わりに、藤宮家は強い霊力を持つ娘を差し出す。
公には決して記されない、外法の約定。
その対価として生まれたのが棗だと、幼い頃から繰り返し教えられてきた。
強すぎる霊力は、藤宮家にとって祝福ではない。人の身に収まるはずのない、不吉な力。
双子の妹として生まれたことも忌まれ、棗は屋敷の奥にある離れへ押し込められた。食事は戸口へ置かれ、家族と同じ席につくこともない。ただ十八歳の誕生日まで、傷をつけずに生かされてきた。
離れの窓には細い格子が嵌められていた。庭へ出られるのは、女中が見張る昼のわずかな時間だけ。冬は隙間風が畳を這い、夏は湿気が襖へまとわりつく。
誕生日まで、あと一週間。
十八になる日、棗は百鬼の主のもとへ送られる。
それが帰ることのない道行きだと、家の誰もが知っている。
悲しむ声も、惜しむ声もなかった。
それが、この家における棗の値打ち。
誰かと温かな食事を囲んだことも、誰かと手をつないで笑ったこともない。
自分の人生には捧げ物としての価値しかないのだと、冷えた指先を見つめるたびに思い知らされた。
その日の午後、離れの障子が音もなく開いた。
庭木の陰から。井戸の底から。天井裏の暗がりから。障子の向こうの、誰もいないはずの廊下から。
藤宮棗は、物心ついた頃にはもう、自分を見つめる無数の気配に囲まれて生きていた。
人の姿をしたものは、ひとつもない。それでも、確かにそこにいる。
息を潜め、瞬きもせず、棗という娘がどう育ち、いつ喰べ頃を迎えるのかを、じっと待っている。
庭を渡る風の中で、葉擦れの音がひとつだけ多い。井戸を覗けば、底の暗闇が笑うように歪む。夜になると、天井裏を爪が引っ掻く。
妖たちは、棗が生贄として差し出される日を待っている。
それを棗自身が、誰よりもよく知っていた。
藤宮家は、代々、妖との盟約を取り持ってきた旧家だった。
百鬼を束ねるぬらりひょんが人里を荒らす妖を抑える代わりに、藤宮家は強い霊力を持つ娘を差し出す。
公には決して記されない、外法の約定。
その対価として生まれたのが棗だと、幼い頃から繰り返し教えられてきた。
強すぎる霊力は、藤宮家にとって祝福ではない。人の身に収まるはずのない、不吉な力。
双子の妹として生まれたことも忌まれ、棗は屋敷の奥にある離れへ押し込められた。食事は戸口へ置かれ、家族と同じ席につくこともない。ただ十八歳の誕生日まで、傷をつけずに生かされてきた。
離れの窓には細い格子が嵌められていた。庭へ出られるのは、女中が見張る昼のわずかな時間だけ。冬は隙間風が畳を這い、夏は湿気が襖へまとわりつく。
誕生日まで、あと一週間。
十八になる日、棗は百鬼の主のもとへ送られる。
それが帰ることのない道行きだと、家の誰もが知っている。
悲しむ声も、惜しむ声もなかった。
それが、この家における棗の値打ち。
誰かと温かな食事を囲んだことも、誰かと手をつないで笑ったこともない。
自分の人生には捧げ物としての価値しかないのだと、冷えた指先を見つめるたびに思い知らされた。
その日の午後、離れの障子が音もなく開いた。



