至高の一匙――オッサン料理人、人生後半で獣人の子供を育てる

 ガルガル猪を店裏の食糧庫に仕舞う。
 タツキは子供を連れて店に入った。

「よーし、じゃあ、おじさんが美味しい唐揚げ、作ってやるぞぉ」

 服を着替えてエプロンを締めると、タツキはキッチンに立った。
 獣人の子供が隣に立つ。

「そういや、坊。名前、何いうんだ?」

 子供が俯いて、フルフルと首を振った。

「名前、ない。起きたら、誰もいなかった」
「あー……そっか」

 獣人には、よくあるケースだ。
 生み過ぎて育てられない子供を置き去りにして、間引く。
 自分でも、置いていかれたと気付いているのだろう。そういう子供は、親を追いかけない。
 タツキは子供の頭を撫でた。

「坊は運がいいぜ。何せ、俺と出会えたんだ。これからは人生、毎日晴れだ」
「毎日、晴れ?」

 子供が上目遣いにタツキを覗く。
 タツキは、うんうんと頷いた。

「そう、晴れ。だから、今日から坊の名前は晴《はる》だ」
「晴……僕の、名前?」
「いい名前だろ? 空が晴れる。心が晴れる。気持ちが晴れる。笑顔が晴れる。晴は、皆を幸せにするんだよ」
「僕が、皆を幸せに……できるかな」
「きっと、できるさ。そのためには、自分が笑わないとな」
「笑う……うん、やってみる」

 その顔には、まだ笑顔が乗らない。けれど、さっきまでとは違って、硬くはない表情だ。

「晴って、名前、嬉しい」

 俯き加減にモジモジする顔が、はにかんでいる。

「よぉし、晴。一緒に唐揚げ、作ろうかね」
「一緒に?」
「料理もやってみたら、きっと楽しいぜ」

 タツキはキッチンの隅に置きっぱなしにしていた踏み台を取り出した。

「だいぶ古いけど、使えるだろ」

 ガタガタ揺れないのを確認して、その上に晴を乗せる。

「これで、調理台の上が見えるだろ?」

 晴が頷いた。まな板やら包丁やらが乗った調理台を、興味深そうに眺めている。
 タツキは冷蔵庫からホゥホゥ鳥のモモ肉を取り出した。

 久し振りに踏み台を取り出したら、あの頃の仁を思い出した。

「俺には一人、息子がいてさ。晴くらいの年の頃にゃ、その台に乗って、俺が料理する手元をよく見ていたもんだよ」
「子供、いるの?」

 晴がタツキを見上げた。

「でっかくなってからは、冒険者になって世界中、飛び回っているけどなぁ。もう何年も会っていねぇが、元気でやってんだろ」

 息子の仁は、料理師と冒険者の二択で後者を選んだ。タツキとは真逆の選択だ。本人が望む人生なら、それでいい。

「お母さんは?」

 晴の問い掛けに、タツキの肉を切る手が止まった。

「おじさんの奥さんは、随分前に亡くなったんだ。病気で、どうしようもなくてなぁ」

 魔法全盛のこの世界でも、抗えない病はある。この世界で出会い、タツキを支え続けてくれた妻の死は、何よりも辛かった。

(勇者の剣を抜けなかった俺に愛想も尽かさず付いてきてくれた、たった一人の仲間だったな)

 今でも思い出すと目頭が熱くなる。

「う……うっく」

 しゃくりあげる声が聞こえて、タツキは振り返った。
 晴が、大粒の涙を流して泣いている。

「なんだ、どうした。どこか痛いのか? 腹が減り過ぎたのか?」

 慌てるタツキに、晴が首を振った。

「辛いこと聞いて、ごめんなさい。悲しい気持ちになったよね」

 ボロボロ泣く晴の耳が寝ている。尻尾もすっかり下がっている。

(しまった。自分のこと、重ねたのかな)

 寝ている間に親に置き去りにされた晴だ。気持ちを考えれば、家族の話はするべきではなかった。
 タツキは包丁を置いて、晴の肩を抱いた。

「おじさんは、もう悲しくねぇよ。俺こそ、ごめんな」

 ポロポロ流れる晴の涙を拭う。

「晴は優しいな。いい子、いい子」

 ゆっくり、晴の頭を撫でる。

「僕、いい子?」
「あぁ、いい子だよ。晴が良けりゃ、いつまででもウチにいな」
「いいの?」

 ぴくぴくと、晴の耳が動いた。

「俺は、気ままに食堂やってんだ。晴一人くらい、養ってやれるぜ」

 連れ帰った時点で、そのつもりだった。名前まで付けた子供を今更、見放す気はない。

(長いこと一人だったしな。また家の中が賑やかになっていいや。晴は獣人だ。俺が年老いて死ぬ前に、独り立ちできるだろ)

 獣人は人間より成長が速い。きっと、あっという間だ。

「ここに、いても、いいんだ」

 晴の狸の尻尾が、ピンと立った。
 タツキの服に顔を埋める。涙が染み込む温かさを感じた。

「あ、ありがと」

 囁くような声が、耳元で聞こえた。
 泣き止むまで、タツキは晴の頭を撫でてやった。