至高の一匙――オッサン料理人、人生後半で獣人の子供を育てる

 幾重にも重なる木の葉が陽射しを遮る、薄暗い森の中。
 料理師キジムラ・タツキは獲物の巣穴を探しながら歩いていた。

「ガルガル猪《しし》の縄張りは、この辺か」

 中津公国、春待国。
 自然豊かで動物が多い国だ。人族と獣人がほぼ半々に暮らす国でもある。
 春待国は食の国でもある。風土が良く土が肥沃だから野菜が育つ。広い海も豊かな山もあるから、食材に困らない。

「随分、奥まで入ってきたけどなぁ」

 生い茂る森の奥深く、人の気配などこの場所にはない。
 獰猛な魔獣が生息する危険地帯だ。

「五十路近いオッサンにはキツいけど。良質な食材のためには、多少の危険は覚悟しねぇとな」

 全盛期に比べたら痛む膝や腰は、今回ばかりは我慢だ。

 この国では食材を集めるために冒険者まがいの技術を要求される。食材ハントは命懸けだ。嫌でもある程度の剣技や魔法が身に付く。だからこそ、年齢を重ねるとさすがに堪える。

 昔の感覚を思い出しながら、タツキは森の中を走った。

「良質な肉、持って帰りたいからねぇ」

 春待国で食堂を営むタツキが久々の食材ハントに乗り出したのには、理由がある。
『至高の一匙』を決める料理大会が今年、開催される。数年から十数年に一度、豊穣祭の年にだけ行われる特別な大会だ。

(俺が参加できるのは、体力的に考えて今年が最後だろ。過去の栄光にならねぇように、華々しくフィナーレ飾りてぇからな)

 二十代の頃、タツキは日本から突然、この国に異世界召喚された。だが、国に期待された勇者にはなれなかった。
 路頭に迷ったタツキにできた唯一の仕事が料理師だった。日本からの異世界召喚者が多い春待国では、日本食の料理がウケた。

 前回の料理大会で『至高の一匙』という称号を勝ち取ったことは、料理師としてこの国で生きる糧となった。
 タツキにとってはこれ以上ない誉だ。引退する前に、もう一度取っておきたい。
 今回は、大会に備えた食材探しだ。

 木と木の隙間を走り抜け、ガルガル猪の巣穴を探す。
 木々の隙間の洞穴に、巣穴を見付けた。中を覗き込む。

「お留守ですかねぇ。その辺で餌でも探して……」
「きゅぅ」

 空気が抜けるような鳴き声が聞こえた。
 タツキは目を凝らして暗い巣穴を覗き込んだ。
 巣穴の奥で、小さく縮こまった毛玉が震えている。

「きゅ、きゅ」

 タツキの姿を窺うように見詰める。

「……狸?」

 体の大きさからして、子供のようだ。少なくともガルガル猪ではない。

「どうして、こんなところに。ガルガル猪に食われるぞ」

 タツキは巣穴に手を伸ばした。小さな毛玉が身を震わせて巣穴の奥に潜った。

「取って食ったりしねぇから、出てきな。ここにいたら、お前が餌になるぞ」
「きゅぅ……ぼく、ぼく……」

 毛玉が言葉を喋った。

「なんだ、獣人か」

 春待国には獣人が多い。だから、珍しくはない。
 獣人は人より早く親元を離れる種族が多い。だが、幼いうちに放り出されて命を落とす者も少なくない。

 ぐるるるぅ。

 気の抜けた音が響いた。
 獣人の子供の腹が、豪快に鳴った。

「小せぇ体の割にでけぇ音が出るじゃねぇの。ホラ、これ食いな」

 タツキは懐に忍ばせていた握り飯を巣穴に放り込んだ。

「俺はここから先に行かねぇから。安心して食えよ」

 笹の葉に包まれた握り飯を、獣人の子供が見詰めた。
 タツキと握り飯を交互に見比べる。

「まだ怖ぇか? 俺は離れているから、ゆっくり食いな」

 タツキは巣穴の入口から身を離した。

「きゅ! きゅきゅっ!」

 子供が激しく鳴き始めた。慌てたような表情だ。

「途中で奪ったりしねぇから、心配すんなって……」
「後ろ! ガルガル猪が来てる」

 強い殺気を感じて、タツキは振り返った。
 怒気を顕わにしたガルガル猪が、タツキの真後ろに迫っていた。

「しまった。獣人の子供に気を取られたな」

 ガルガル猪が突進してくる。深く折った膝をバネにして、大きく飛び上がった。
 背負った剣を鞘ごと振りかぶる。ガルガル猪の額を狙い、振り下ろす。

「獣ってのは大概、額が弱点……」

 タツキに向かってきたガルガル猪が、鼻をひくつかせた。
 突然、軌道を変えた。
 振り下ろしたタツキの剣が空を切った。

「は? なんだ……?」

 ガルガル猪の視線が探すように巣穴を睨む。
 突然、巣穴に向かって走り出した。

「何で急に……獣人の坊主か」

 自分の巣穴に別の獣の匂いを感じて、標的を変えたらしい。

「おい、坊主! 飛び出して来い」

 ガルガル猪は肉食だ。獰猛な性格で、一度怒ると一帯の木々を薙ぎ倒しても収まらない。

(高級食材だけどな。今はそれどころじゃねぇ)

 タツキは巣穴に向かい、走った。
 体勢を低くして、ガルガル猪の足元をスライディングで滑り込む。
 獣人の子供の首根っこを掴まえた。

「きゅっ!」

 プルプル震える体を抱える。
 巣穴の前には、ガルガル猪が立ちはだかっていた。
 怒りを昂らせたガルガル猪は地面を蹴って、突進する助走をしている。

(突っ込んでくるのと同時に出るか。一か八かの賭けになるな)

 ガルガル猪は意外と賢い。猪の割に、軌道を変えた移動も得意だ。
 タツキは腕の中の子供を眺めた。
 プルプルと震えながらタツキにしがみ付いている。

「仕方ねぇ。最初から、食材ハントだからな」

 タツキは右手に持った剣を抜くと、ガルガル猪に向けた。

「悪ぃな。お前の命に感謝して、美味しくいただくぜ」

 剣の先に魔力の光が集まる。

「白刃一閃」

 剣の先に溜まった魔力が一本の線になって飛び出した。
 一直線に走った閃光が、ガルガル猪の額を割った。

「ぎっ!」
 
 短い悲鳴を上げて、ガルガル猪の巨体が傾いた。 
 大きな地響きと土埃を立てて、ガルガル猪が地面に沈んだ。

「すごい」

 腕の中で子供が呟いた。タツキを尊敬の眼差しで見上げている。
 いつの間にか、狸から人型に変わっている。耳と尻尾の形からして、やっぱり狸らしい。

「泣かなくて偉かったなぁ、坊主」

 頭を撫でてやったら、くすぐったそうに俯いた。
 足元に、さっき投げ込んだ握り飯が転がっていた。

「握り飯が奇跡的に無事だな。坊主、食うか?」

 笹の葉包みは破れていない。握り飯を拾い上げて、子供に見せる。
 子供が頷いて、手を伸ばした。クンクンと笹の葉包みを嗅ぐ。自分から開いて、食べ始めた。
 その姿を眺めて、タツキは胸を撫で下ろした。

(さて、どうするかね。こんなところに一人でいる時点で親には捨てられてんだろうし)

 子供は七~八歳くらいに見える。獣人なら独り立ちできる歳ともいえる。

(あくまで、その歳まで親に育てられていればの話だけどな)

 仮に、生まれてすぐ捨てられたり親とはぐれたりしていたら、人の社会に馴染むのは難しい。

「坊主、親は?」

 念のため、軽く確認する。
 子供が首をフルフルと横に振った。目に涙が溜まっている。

(こんな小さい子供に、生い立ちを根掘り葉掘り聞くのも趣味じゃねぇなぁ。要は俺がどうするかだ)

 子供がタツキを見上げた。
 幼かった頃の息子の顔が重なった。

『俺、父ちゃんのおにぎりが一番好きだ!』

 口元に米粒を付けて笑う仁の顔が浮かぶ。

(あの頃みてぇに、また……)

 思い出の中で微笑む妻のサラが、頷いた気がした。
 タツキの、心が決まった。

(この子が独り立ちできるまで、育ててやるか)

 息子の仁は自立し、妻のサラには先立たれた。タツキも今は一人だ。
 タツキは子供を抱き直した。

「家に帰ったら、もっと上手いもん食わせてやるからなぁ」

 ガルガル猪に縄を掛ける。
 その縄を肩に引っ掛けて、引き摺りながら歩き出した。

「もっと? どんな?」
「そうだなぁ。ホゥホゥ鳥の唐揚げとか、どうだ?」
「ホゥホゥ鳥って、食べられるの?」

 子供が不思議そうに首を傾げた。

「食えるぜ。自然界にいるもんは、大抵食える。美味く作るのが、俺たち料理師の技だ」
「りょうりし?」
「美味しい飯を作る人だよ」
「このおにぎりも、おじさんが作ったの?」

 子供が握り飯を持ち上げた。小さな手で持つと、やけに大きく見える。

「そうだぜ。握り飯くらい、料理にも入らねぇけどな。坊主が喜んでくれたなら、良かったよ」

 微笑みかけたら、子供の目が輝いた。

「おにぎり、美味しい。料理師は、強くて美味しいができるんだね」
「俺は強くねぇけどな。美味いもん作るなら、負けねぇよ」

 頭を撫でてやると、嬉しそうに尻尾をフルフルさせた。

「二個、食べていい?」

 もう一個のおにぎりを持って、上目遣いに確認する。

「いいよ、全部食っとけ」

 子供が握り飯にぱくついた。

「今日の狩りは豊作だったなぁ」

 子供が食べる姿を眺めながら、ガルガル猪を引き摺って、タツキは帰路に就いた。