すみれの手を離さぬまま、夜の闇に沈む車のドアを開けた。
榊原が運転する車に乗り込み、夜の帳が下りた街をしばらく走らせる。
車内には静寂が満ちていたが、それは鷹宮家で感じた刺すような沈黙ではない。
窓ガラス一枚の向こうに街灯の流れがあり、俺の隣にすみれの呼吸がある——
それだけで、守られたような安堵が生まれてしまう。
「……ここで、いいか」
何度か訪れたことのある、ひっそりと灯りの残る喫茶店の前で車を止めさせた。
扉を開けて中に入ると、外の冷え冷えとした夜気とは対照的な、珈琲の香りとほっとする温度が肌を包み込む。使い込まれた木の床。丁寧に磨き上げられた無垢材の卓。
そして、どこか懐かしく食欲を刺激する、甘酸っぱい匂い。
椅子を引いてやると、すみれは戸惑いながら、壊れ物を扱うような仕草で腰を下ろした。
指先が、まだ硬い。視線が、まだ揺れる。
鷹宮家の広間に置いてきたはずの緊張が、彼女の皮膚に薄く張り付いているのが見て取れる。
——茶会はついでだ。
出発前、確かにそう口にした。
彼女の肩から少しでも力を抜くための、半ば冗談のつもりだった。
だが今は、違う。
『ついで』なのは茶会の方で、俺にとって本当にほしいのは、こうして彼女の表情がほどけていく時間だ。
「何か食べよう。晩餐の席では、ほとんど何も口にしていなかっただろう」
「……すみません。……機会を逃してしまって」
すみれは申し訳なさそうに一瞬だけ目を伏せる。
謝る必要などないのに、彼女の口は反射で謝罪を吐く。
やはり、か。
あのような場所で、彼女が食事を楽しめるはずもない。
俺はメニューを一瞥し、ウェイターを呼ぶと、迷わず告げた。
榊原が運転する車に乗り込み、夜の帳が下りた街をしばらく走らせる。
車内には静寂が満ちていたが、それは鷹宮家で感じた刺すような沈黙ではない。
窓ガラス一枚の向こうに街灯の流れがあり、俺の隣にすみれの呼吸がある——
それだけで、守られたような安堵が生まれてしまう。
「……ここで、いいか」
何度か訪れたことのある、ひっそりと灯りの残る喫茶店の前で車を止めさせた。
扉を開けて中に入ると、外の冷え冷えとした夜気とは対照的な、珈琲の香りとほっとする温度が肌を包み込む。使い込まれた木の床。丁寧に磨き上げられた無垢材の卓。
そして、どこか懐かしく食欲を刺激する、甘酸っぱい匂い。
椅子を引いてやると、すみれは戸惑いながら、壊れ物を扱うような仕草で腰を下ろした。
指先が、まだ硬い。視線が、まだ揺れる。
鷹宮家の広間に置いてきたはずの緊張が、彼女の皮膚に薄く張り付いているのが見て取れる。
——茶会はついでだ。
出発前、確かにそう口にした。
彼女の肩から少しでも力を抜くための、半ば冗談のつもりだった。
だが今は、違う。
『ついで』なのは茶会の方で、俺にとって本当にほしいのは、こうして彼女の表情がほどけていく時間だ。
「何か食べよう。晩餐の席では、ほとんど何も口にしていなかっただろう」
「……すみません。……機会を逃してしまって」
すみれは申し訳なさそうに一瞬だけ目を伏せる。
謝る必要などないのに、彼女の口は反射で謝罪を吐く。
やはり、か。
あのような場所で、彼女が食事を楽しめるはずもない。
俺はメニューを一瞥し、ウェイターを呼ぶと、迷わず告げた。



