強引に彼の手を引こうとする千鶴様を、暁臣様が静かに制止する。
「俺はすみれと行く。場所は分かっているから、お前は先に行っていろ」
「……!分かりましたわ。暁お兄様も、すぐいらしてくださいね!」
一瞬、千鶴様の視線が私に向けられた気がした。
微笑みの形は崩れないのに、瞳の奥だけがすっと冷えたような——そんな錯覚。
けれど彼女はすぐに優雅に向き直り、軽やかな足取りで歩き出す。
遠ざかっていくその後ろ姿でさえ、ただただ美しかった。
私はその背中を見送ったまま、袖の中で握った指をそっと解けないでいる。
——暁臣様の手が、まだ私の背を支えてくれていることを確かめるように。
「すみれ。千鶴が失礼を言った。すまない」
「……いえ。そんな……もったいないお言葉です」
「あれは幼い頃からああして、実の兄のように俺に懐いているだけだ。気にするな」
幼い頃から……。
千鶴様は、私のまったく知らない『遠い日の暁臣様』を知っている。
私が出会えたのは、大人になった今の暁臣様だけ。
けれど彼女は、きっと——笑っていた頃も、怒っていた頃も、弱さを見せた頃も、当たり前のように隣にいたのかもしれない。
先ほど、並んで立っていた二人の姿が脳裏から離れない。
言葉にするのも怖いほど、お似合いだった。
『華』の有無だけじゃない。
育ち。血筋。積み重ねた時間。
私には決して埋められない、絶対的な差。
胸の奥で、黒い靄がゆっくりと濃くなる。
嫉妬だと認めてしまえば、もっと醜くなる気がして、私はそれに名前を与えられないまま飲み込んだ。
暁臣様に促されるまま、静寂に満ちた広間へ足を踏み入れる。
扉を抜けた瞬間、ふわりと上品で甘い香りが鼻先をくすぐった。
磨き抜かれた長卓に白磁の茶器が整然と並び、淡い花模様の最高級の卓布には、午後の光が宝石のように散っている。
銀のティースプーンは一分の乱れもなく揃えられ、砂糖壺の蓋にすら指紋一つない。
遠くで微かに鳴る柱時計の音さえ、この場の一部として計算されているようだった。
清らかな水音。陶器が触れ合うかすかな音。遠くの席で交わされる、控えめで品格のある笑い声。
すべてが作り物みたいに整いすぎていて、穏やかなのに——その完璧さが、逆に私の居場所のなさを際立たせた。
「俺はすみれと行く。場所は分かっているから、お前は先に行っていろ」
「……!分かりましたわ。暁お兄様も、すぐいらしてくださいね!」
一瞬、千鶴様の視線が私に向けられた気がした。
微笑みの形は崩れないのに、瞳の奥だけがすっと冷えたような——そんな錯覚。
けれど彼女はすぐに優雅に向き直り、軽やかな足取りで歩き出す。
遠ざかっていくその後ろ姿でさえ、ただただ美しかった。
私はその背中を見送ったまま、袖の中で握った指をそっと解けないでいる。
——暁臣様の手が、まだ私の背を支えてくれていることを確かめるように。
「すみれ。千鶴が失礼を言った。すまない」
「……いえ。そんな……もったいないお言葉です」
「あれは幼い頃からああして、実の兄のように俺に懐いているだけだ。気にするな」
幼い頃から……。
千鶴様は、私のまったく知らない『遠い日の暁臣様』を知っている。
私が出会えたのは、大人になった今の暁臣様だけ。
けれど彼女は、きっと——笑っていた頃も、怒っていた頃も、弱さを見せた頃も、当たり前のように隣にいたのかもしれない。
先ほど、並んで立っていた二人の姿が脳裏から離れない。
言葉にするのも怖いほど、お似合いだった。
『華』の有無だけじゃない。
育ち。血筋。積み重ねた時間。
私には決して埋められない、絶対的な差。
胸の奥で、黒い靄がゆっくりと濃くなる。
嫉妬だと認めてしまえば、もっと醜くなる気がして、私はそれに名前を与えられないまま飲み込んだ。
暁臣様に促されるまま、静寂に満ちた広間へ足を踏み入れる。
扉を抜けた瞬間、ふわりと上品で甘い香りが鼻先をくすぐった。
磨き抜かれた長卓に白磁の茶器が整然と並び、淡い花模様の最高級の卓布には、午後の光が宝石のように散っている。
銀のティースプーンは一分の乱れもなく揃えられ、砂糖壺の蓋にすら指紋一つない。
遠くで微かに鳴る柱時計の音さえ、この場の一部として計算されているようだった。
清らかな水音。陶器が触れ合うかすかな音。遠くの席で交わされる、控えめで品格のある笑い声。
すべてが作り物みたいに整いすぎていて、穏やかなのに——その完璧さが、逆に私の居場所のなさを際立たせた。



