【Web版】無華の花嫁2~花開く乙女は、お妃教育の先で黒薔薇の殿下に溺愛される~

「すみれお嬢様。巾着はよろしかったんですか?よいものがたくさんありましたのに」
「はい。……どれも可愛すぎて、今の私にはまだ選べなくて」

百貨店を出ると、ひんやりとした空気が頬に触れた。
建物の中の、春のような暖かさに慣れていた身体が、不意の寒さに思わず小さく身を竦める。
吐息が白くなるほどではない。けれど、秋の終わりは確実に近づいていた。

街路樹の葉はすっかり深みを増して色づき、赤や橙のグラデーションが、傾きかけた午後の光を受けて静かに輝いている。
行き交う人々の足取りはどこか浮き立って軽く、色とりどりの紙袋を抱えた姿や、楽しげな笑い声があちこちに散りばめられていた。

——街は、こんなにも賑やかで、色彩に溢れていたのか。

蔵にいた頃は、季節が鮮やかに移ろうことも、街が装いを変えることも、すべては格子窓の向こう側の、遠いおとぎ話でしかなかった。
あの頃の私にとって、世界は『見えるのに触れられないもの』だった。
けれど今は、私は確かにここに立っている。
風の冷たさも、光の眩しさも、誰かの笑い声も——私に届く。

……この幸せを、ちゃんとあのお邸まで持ち帰れるかしら。
帰っても、また奪われたりしないかしら。
そんな根拠のない不安が、胸の底で小さく蠢く。

そんな漠然とした心配を打ち消すように、榊原様と共に駐車場の方へ歩き出した。
百貨店の裏手に回ると、先ほどまでの喧騒が嘘のように人通りは落ち着き、遠くの車の往来と、舗道を踏み締める自分たちの足音だけが鼓膜に残った。
包みを抱える腕に、自然と力が入る。
落としたくない。——壊したくない。

「……お姉さま?」

低く、けれど鋭く、はっきりとした声が背後から突き刺さった。

一瞬、空耳だと思いたかった。
けれど、私をそんな風に冷ややかな響きで呼ぶ人間は、この世で一人しかいない。

膝から下が、氷に浸されたように動かなくなる。
息が止まり、心臓だけが乱暴に跳ねた。

ゆっくりと振り返った先に立っていたのは、見慣れたはずの——けれど久しく会っていない、今は異質なほど遠く感じる姿だった。

「……百合」

きちんと整えられた身なり。
一点の曇りもない、自信に満ちた立ち姿。
私よりも少しだけ高い位置から、まっすぐにこちらを見下ろすその瞳には、隠しきれない棘が宿っている。
以前の百合のままなのに、私の方が変わってしまったのだと痛いほど分かった。