放課後の空気は、少しだけ軽いはずなのに。
凛にとっては、まだ教室の延長みたいだった。
人の声。笑い声。廊下に広がるざわめき。
全部が、少し遠く感じる。
鞄の紐を握りしめたまま、昇降口を出る。
イヤホンを耳に差し込む。
再生ボタンを押すと、音楽が流れ込んできた。
昨日と同じ曲。
でも、今日は少し違う。
足取りが、ほんの少しだけ軽い。
理由はわかっていた。
――ユウト。
名前を思い浮かべただけで、胸の奥がわずかに揺れる。
画面越しに話しただけの人。
顔も、本名も、何も知らない。
それなのに。
「……あの人、本当にいるんだよね」
小さく呟く。
自分でもおかしいと思う。
昨日の会話が、現実だったのか、夢だったのか。
境目が曖昧になる。
信号待ちの間、無意識にスマホを取り出す。
通知は、来ていない。
わかっているのに、確認してしまう。
画面を閉じて、また歩き出す。
でも数歩進んだところで、また開いてしまう。
そんな自分に、少しだけ苦笑した。
家に着くまでに、何度同じことを繰り返したかわからない。
玄関のドアを開ける。
「ただいま」
小さな声。
「おかえり」
リビングから返事が返ってくる。
それだけ。
それ以上の会話はない。
靴を脱いで、自室に向かう。
ドアを閉めた瞬間、やっと一人になれる。
ベッドに鞄を放り出して、机に向かう。
ノートを開く。
ペンを持つ。
でも、文字が頭に入ってこない。
問題文を読んでも、意味が滑っていく。
視線が、何度もスマホに向かう。
まだ、何も来ていない。
わかってる。
でも、気になる。
また確認する。
やっぱり何もない。
「……はぁ」
小さく息を吐く。
こんなことで、こんなに落ち着かなくなるなんて。
昨日までは、こんなことなかったのに。
ペンを置く。
ベッドに倒れ込む。
天井を見上げる。
白い天井。
何も変わらないはずなのに、どこか違って見える。
イヤホンをつける。
音楽を流す。
でも、今日は曲に集中できない。
頭の中に浮かぶのは、ひとつだけ。
「……また話したい」
思わず、口に出ていた。
言った瞬間、少しだけ顔が熱くなる。
自分で自分に驚く。
こんなふうに思うなんて。
ただの、ネットの相手なのに。
それでも。
その気持ちは、消えなかった。
体を起こす。
スマホを手に取る。
少しだけ迷ってから、電源ボタンを押した。
画面が光る。
何もない。
――やっぱり。
少しだけ肩が落ちる。
そのまま、アプリを開く。
オンラインゲーム。
ログイン画面。
指が、迷いなく動く。
IDとパスワードを入力する。
――Rin_17
その名前を見た瞬間、少しだけ呼吸が楽になる。
現実の自分じゃない場所。
でも、ここにいる自分は、ちゃんと存在している気がする。
ログイン。
画面が切り替わる。
夜のフィールド。
青く静かな世界が広がる。
キャラクターが表示される。
白い衣装の少女。
現実よりも少しだけ整った姿。
マウスを握る手が、自然と軽くなる。
背筋が少し伸びる。
さっきまでの重さが、少しだけ消える。
「……ここなら」
小さく呟く。
「大丈夫」
誰も、自分のことを知らない。
誰も、何も期待しない。
でも、ちゃんと役割はある。
戦うこと。
支えること。
それだけで、必要とされる。
パーティー募集を開く。
野良パーティに参加する。
無言のまま、戦闘が始まる。
スキルを使う。
敵を倒す。
ただ、それだけ。
でも。
現実よりも、ずっとわかりやすい。
敵がいて、味方がいて、やることがある。
それだけでいい。
途中、敵の攻撃を受ける。
HPが減る。
その瞬間、回復が飛んできた。
味方の誰か。
すぐに体力が戻る。
画面に、小さなスタンプが表示される。
――ナイス!
一瞬だけ、息が止まる。
たったそれだけなのに。
胸の奥が、じんわり温かくなる。
「……あ」
思わず、声が漏れる。
誰も聞いていないのに。
それでも、嬉しい。
現実では、こんなふうに認められることなんてないのに。
「……ここなら、いられる」
ぽつりと呟く。
その言葉は、画面の中に溶けていった。
戦闘が終わる。
パーティーが解散する。
静かなフィールドに戻る。
その瞬間。
画面の端が光った。
通知。
心臓が、跳ねる。
確認する。
――ユウト
『何してる?』
それだけのメッセージ。
なのに。
一瞬で、世界が変わる。
胸が、強く鳴る。
指先が、少し震える。
すぐに、返信を打つ。
『ゲームしてた』
送信。
数秒後。
『へえ、どんなの?』
早い。
それだけで、少し嬉しい。
『協力するやつ』
『いいじゃん。俺もそういうの好き』
その一文で、距離が一気に縮まる。
同じ、という安心感。
知らない人なのに、少しだけ近くなる。
少し間があって。
『一緒にやる?』
画面を見つめたまま、動けなくなる。
誘われた。
嬉しい。
でも。
怖い。
知らない人とゲーム。
しかも、通話とかするかもしれない。
頭の中で、いろんな考えがぐるぐる回る。
「……どうしよう」
小さく呟く。
断る理由もある。
でも。
断りたくない理由の方が、ずっと大きい。
――ユウトだから。
その言葉が、自然に浮かぶ。
数秒の沈黙。
でも、体感ではもっと長い。
ゆっくりと、指が動く。
『……いいよ』
送信する。
その瞬間、胸が少しだけ軽くなる。
そして、少しだけ怖くなる。
『じゃあ通話いい?』
すぐに返信が来る。
心臓が、また跳ねる。
でも、もう引き返せない。
『……うん』
通話がかかってくる。
イヤホンをしっかりつける。
指でタップする。
繋がる。
「……もしもし」
自分の声が、少しだけ小さい。
少しだけ震えている。
『聞こえる?』
低くて、落ち着いた声。
昨日と同じ。
でも、少しだけ近く感じる。
「……うん」
『よかった』
その一言で、緊張が少しほどける。
「ゲーム、どうする?」
『さっきのやつでいいよ』
「うん」
パーティーを組む。
画面の中で、二人のキャラクターが並ぶ。
それだけで、安心する。
戦闘開始。
最初は少しぎこちない。
でも、ユウトが自然にリードしてくれる。
『大丈夫、俺が見るから』
その一言で、肩の力が抜ける。
スキルを使う。
敵を倒す。
少しミスをする。
「ごめん」
『いいよ、全然』
すぐにフォローが入る。
責められない。
それだけで、安心する。
次の敵。
今度はうまくいく。
『いいじゃん』
褒められる。
それだけで、少し嬉しくなる。
戦闘が続く。
気づけば、自然に動けている。
会話も、少しずつ増える。
「そっち危ない」
『ナイス』
「いけた」
『いけたな』
小さな成功。
でも、それを共有できることが嬉しい。
ミッション達成。
画面にクリアの文字が表示される。
「……楽しい」
思わず、口に出る。
一瞬、静かになる。
『でしょ』
少し笑った声。
それだけで、胸が温かくなる。
――この人といると、大丈夫。
その感覚が、はっきり形になる。
現実よりも、ずっと楽しい。
ずっと、楽だ。
時間があっという間に過ぎる。
『そろそろ終わる?』
「……うん」
本当は、まだ続けたい。
でも、言えない。
『またやろ』
「……うん」
それだけで、十分だった。
少し間があって。
『凛とやると楽しい』
心臓が、止まりそうになる。
言葉が出ない。
「……私も」
やっと、それだけ言えた。
通話が切れる。
静かな部屋に戻る。
でも。
さっきまでの温度が、まだ残っている。
スマホの画面を見つめる。
イヤホンを外さないまま、ベッドに横になる。
天井を見上げる。
静かな夜。
でも、寂しくない。
胸の奥が、じんわりと温かい。
でも。
少しだけ、怖い。
この感覚。
この気持ち。
全部、画面の中の出来事なのに。
「……現実じゃないのに」
小さく呟く。
「どうしてこんなに、安心するんだろう」
答えは出ない。
でも。
ひとつだけ、確かなことがある。
スマホの光が、暗い部屋を照らす。
イヤホンから、かすかに残る音。
その中で、凛は思った。
――この場所だけは、嘘でも本物だった。
凛にとっては、まだ教室の延長みたいだった。
人の声。笑い声。廊下に広がるざわめき。
全部が、少し遠く感じる。
鞄の紐を握りしめたまま、昇降口を出る。
イヤホンを耳に差し込む。
再生ボタンを押すと、音楽が流れ込んできた。
昨日と同じ曲。
でも、今日は少し違う。
足取りが、ほんの少しだけ軽い。
理由はわかっていた。
――ユウト。
名前を思い浮かべただけで、胸の奥がわずかに揺れる。
画面越しに話しただけの人。
顔も、本名も、何も知らない。
それなのに。
「……あの人、本当にいるんだよね」
小さく呟く。
自分でもおかしいと思う。
昨日の会話が、現実だったのか、夢だったのか。
境目が曖昧になる。
信号待ちの間、無意識にスマホを取り出す。
通知は、来ていない。
わかっているのに、確認してしまう。
画面を閉じて、また歩き出す。
でも数歩進んだところで、また開いてしまう。
そんな自分に、少しだけ苦笑した。
家に着くまでに、何度同じことを繰り返したかわからない。
玄関のドアを開ける。
「ただいま」
小さな声。
「おかえり」
リビングから返事が返ってくる。
それだけ。
それ以上の会話はない。
靴を脱いで、自室に向かう。
ドアを閉めた瞬間、やっと一人になれる。
ベッドに鞄を放り出して、机に向かう。
ノートを開く。
ペンを持つ。
でも、文字が頭に入ってこない。
問題文を読んでも、意味が滑っていく。
視線が、何度もスマホに向かう。
まだ、何も来ていない。
わかってる。
でも、気になる。
また確認する。
やっぱり何もない。
「……はぁ」
小さく息を吐く。
こんなことで、こんなに落ち着かなくなるなんて。
昨日までは、こんなことなかったのに。
ペンを置く。
ベッドに倒れ込む。
天井を見上げる。
白い天井。
何も変わらないはずなのに、どこか違って見える。
イヤホンをつける。
音楽を流す。
でも、今日は曲に集中できない。
頭の中に浮かぶのは、ひとつだけ。
「……また話したい」
思わず、口に出ていた。
言った瞬間、少しだけ顔が熱くなる。
自分で自分に驚く。
こんなふうに思うなんて。
ただの、ネットの相手なのに。
それでも。
その気持ちは、消えなかった。
体を起こす。
スマホを手に取る。
少しだけ迷ってから、電源ボタンを押した。
画面が光る。
何もない。
――やっぱり。
少しだけ肩が落ちる。
そのまま、アプリを開く。
オンラインゲーム。
ログイン画面。
指が、迷いなく動く。
IDとパスワードを入力する。
――Rin_17
その名前を見た瞬間、少しだけ呼吸が楽になる。
現実の自分じゃない場所。
でも、ここにいる自分は、ちゃんと存在している気がする。
ログイン。
画面が切り替わる。
夜のフィールド。
青く静かな世界が広がる。
キャラクターが表示される。
白い衣装の少女。
現実よりも少しだけ整った姿。
マウスを握る手が、自然と軽くなる。
背筋が少し伸びる。
さっきまでの重さが、少しだけ消える。
「……ここなら」
小さく呟く。
「大丈夫」
誰も、自分のことを知らない。
誰も、何も期待しない。
でも、ちゃんと役割はある。
戦うこと。
支えること。
それだけで、必要とされる。
パーティー募集を開く。
野良パーティに参加する。
無言のまま、戦闘が始まる。
スキルを使う。
敵を倒す。
ただ、それだけ。
でも。
現実よりも、ずっとわかりやすい。
敵がいて、味方がいて、やることがある。
それだけでいい。
途中、敵の攻撃を受ける。
HPが減る。
その瞬間、回復が飛んできた。
味方の誰か。
すぐに体力が戻る。
画面に、小さなスタンプが表示される。
――ナイス!
一瞬だけ、息が止まる。
たったそれだけなのに。
胸の奥が、じんわり温かくなる。
「……あ」
思わず、声が漏れる。
誰も聞いていないのに。
それでも、嬉しい。
現実では、こんなふうに認められることなんてないのに。
「……ここなら、いられる」
ぽつりと呟く。
その言葉は、画面の中に溶けていった。
戦闘が終わる。
パーティーが解散する。
静かなフィールドに戻る。
その瞬間。
画面の端が光った。
通知。
心臓が、跳ねる。
確認する。
――ユウト
『何してる?』
それだけのメッセージ。
なのに。
一瞬で、世界が変わる。
胸が、強く鳴る。
指先が、少し震える。
すぐに、返信を打つ。
『ゲームしてた』
送信。
数秒後。
『へえ、どんなの?』
早い。
それだけで、少し嬉しい。
『協力するやつ』
『いいじゃん。俺もそういうの好き』
その一文で、距離が一気に縮まる。
同じ、という安心感。
知らない人なのに、少しだけ近くなる。
少し間があって。
『一緒にやる?』
画面を見つめたまま、動けなくなる。
誘われた。
嬉しい。
でも。
怖い。
知らない人とゲーム。
しかも、通話とかするかもしれない。
頭の中で、いろんな考えがぐるぐる回る。
「……どうしよう」
小さく呟く。
断る理由もある。
でも。
断りたくない理由の方が、ずっと大きい。
――ユウトだから。
その言葉が、自然に浮かぶ。
数秒の沈黙。
でも、体感ではもっと長い。
ゆっくりと、指が動く。
『……いいよ』
送信する。
その瞬間、胸が少しだけ軽くなる。
そして、少しだけ怖くなる。
『じゃあ通話いい?』
すぐに返信が来る。
心臓が、また跳ねる。
でも、もう引き返せない。
『……うん』
通話がかかってくる。
イヤホンをしっかりつける。
指でタップする。
繋がる。
「……もしもし」
自分の声が、少しだけ小さい。
少しだけ震えている。
『聞こえる?』
低くて、落ち着いた声。
昨日と同じ。
でも、少しだけ近く感じる。
「……うん」
『よかった』
その一言で、緊張が少しほどける。
「ゲーム、どうする?」
『さっきのやつでいいよ』
「うん」
パーティーを組む。
画面の中で、二人のキャラクターが並ぶ。
それだけで、安心する。
戦闘開始。
最初は少しぎこちない。
でも、ユウトが自然にリードしてくれる。
『大丈夫、俺が見るから』
その一言で、肩の力が抜ける。
スキルを使う。
敵を倒す。
少しミスをする。
「ごめん」
『いいよ、全然』
すぐにフォローが入る。
責められない。
それだけで、安心する。
次の敵。
今度はうまくいく。
『いいじゃん』
褒められる。
それだけで、少し嬉しくなる。
戦闘が続く。
気づけば、自然に動けている。
会話も、少しずつ増える。
「そっち危ない」
『ナイス』
「いけた」
『いけたな』
小さな成功。
でも、それを共有できることが嬉しい。
ミッション達成。
画面にクリアの文字が表示される。
「……楽しい」
思わず、口に出る。
一瞬、静かになる。
『でしょ』
少し笑った声。
それだけで、胸が温かくなる。
――この人といると、大丈夫。
その感覚が、はっきり形になる。
現実よりも、ずっと楽しい。
ずっと、楽だ。
時間があっという間に過ぎる。
『そろそろ終わる?』
「……うん」
本当は、まだ続けたい。
でも、言えない。
『またやろ』
「……うん」
それだけで、十分だった。
少し間があって。
『凛とやると楽しい』
心臓が、止まりそうになる。
言葉が出ない。
「……私も」
やっと、それだけ言えた。
通話が切れる。
静かな部屋に戻る。
でも。
さっきまでの温度が、まだ残っている。
スマホの画面を見つめる。
イヤホンを外さないまま、ベッドに横になる。
天井を見上げる。
静かな夜。
でも、寂しくない。
胸の奥が、じんわりと温かい。
でも。
少しだけ、怖い。
この感覚。
この気持ち。
全部、画面の中の出来事なのに。
「……現実じゃないのに」
小さく呟く。
「どうしてこんなに、安心するんだろう」
答えは出ない。
でも。
ひとつだけ、確かなことがある。
スマホの光が、暗い部屋を照らす。
イヤホンから、かすかに残る音。
その中で、凛は思った。
――この場所だけは、嘘でも本物だった。



