「おはよ、エマ」
馴染みの声に、微睡む意識が引き戻される。
ハッとして目を開けて、声のした方を仰いだ。
「おはようございます、ミラ」
ミランダ・マルロウ。
今日も、パーマがかったセミロングの、スカーレット色をした髪が楽し気に揺れている。
「また眠そうね。ほんと、癒術の勉強に余念がないんだから」
「あぁ、いえ、昨夜は――」
言いかけたところで、
「ンナーオ!」
カーテンの裏から現れた何者かの影が、ミラの肩へと飛び乗った。
元気いっぱいなその様子は、満足に遊び、満足に睡眠をとった後の子どもさながらだ。
「っとと。あーなるほど、ラピアと遊んでたんだ?」
「はい。なかなか寝かせてくれなくて」
困り顔で答えつつ、友人の肩に乗っている子を眺める。
淡い翡翠色の毛並みがまた随分と立派になった、小動物型の精霊ラピア。
古来より共存してきた人と精霊だが、ここまで特定の個人に懐き、また甘えるというのは、珍しい例である。
「なーにあんた、家族の言うことは聞かなきゃダメでしょ? ん?」
「ンナ!」
元気な鳴き声一つ上げ、ラピアはエマの肩へと飛び移ったかと思うと、そのまま頭の方へと登り、丸まってしまった。
「特例って言っても、あんたも苦労してんね。こんな自由な子と一緒でさ」
「あ、はは……」
まったくもってその通りだと、エマは苦笑することしか出来ないでいた。
幼少の頃、ひょんなことから仲良くなったふたりは、以来、寝食に外出さえも共にして来た。
じっとしていればただの愛らしい精霊なのだが、なかなかにやんちゃで行動派な性格故に、そればかりではいられないのが実情。
けれどもそんな実情は、エマひとりだけの知るところ。
エマの通うここ、バーランド魔術院にいる時だけは、大人しく、また利口な対応で以って生活している為、他クラスからも一目見んと学生らが集まる、束の間の癒しを得る為の愛玩の対象とさえなってしまっている。
皆騙されてるよ。この子、こんなに大人しくないからね。
そう思うのは、心の中でだけ。
根が臆病なエマは、群がる隣人たちを拒むことも、そもそも迎え入れるようなことさえしていない。
自然と、そうなっていってしまったのだった。
「てかエマさ、この間の課題って分かった? あたしさっぱりでさ」
「この間のって、縫合癒術の基礎ですか?」
エマは頭を上げ、ミラの方へと向き直る。
その揺れでふらふらと足元の覚束なくなったラピアは、机の上へと降り立つのだった。
「そうそう。どうやってマナを極細の糸状に収束させるかってやつ。教材も知識もまだなのに予想しておけって、えぐいこと言ってるよね」
自然にも体内にも流れる、数多有る魔術の源であるマナ。
エマたちの学ぶ魔術は、体内を巡るマナを用いて術を練り、それを自然のマナに連結させることで発される。
中でも、創傷や病気の治癒を目的とした癒術は、マナのコントロールが繊細さの極致とまで言われる程に難しく、修めるには努力だけでは足りないセンスまでも要求される。
「マナを細糸収束させる為には、普通とは異なる量のマナコントロールが必要になるんです」
「どゆこと?」
「ミラは、基礎癒術を使う時、癒術とは違う魔術を使う時、同じだけのマナを練り上げているのではありませんか?」
「量っていう話を当てはめるなら、それぞれで使ってるマナ量は違うわよ?」
「量だけですか?」
「それ以外に何かあんの?」
やっぱり。
エマは、コホンと一つ咳払い。
「発火魔術を例えにあげます。使うマナが少なければ小さな火、反対にマナを使えば使う程に火は大きく強くなります。魔術によっても異なりますが、基本的には、マナの出力差によってマナの魔術の強弱も変わるというわけです」
「うんうん」
「しかし、マナを細糸収束させる為には、マナの使用量を変えるだけでは意味がないんです。必要なのは密度。例を挙げますと――あっ」
エマは、遠くに見つけた席に座る生徒へと、ミラの視線を向けさせる。
そこでは今、資料か課題用紙か、何かしらの紙が丸められていた。
「丁度良いです。例えば、あの紙を縦に伸ばして、横からチョップしたとします」
「ちょ、チョップ?」
「はい。こう、えいっ、って」
ミラにとっては馴染みのない言葉だったらしい。小首を傾げる友人に、平手を中空で振ってみせたことでようやく、ああ、と頷かれた。
「あの人が丸めているあの程度の強度だと、これで簡単にやぶれることでしょう。しかし、あれをもっともっと、限界までギューって細めて詰めて丸めたら、ひしゃげても、そう簡単にはやぶれなくなります」
「そっか、マナを過剰に出し過ぎると、それを細く強く纏めるのが難しく、というか不可能になるんだ」
「そういうことです」
エマは、微笑み頷いた。
「大は小を兼ねると言いますが、癒術に於いては、必要以上の大は小を兼ねることが出来ません。必要な最低限且つ最大限の少量のマナを、限界まで密度高く、頑丈にする。それを極めたのが、細糸収束です。自在にコントロールが出来るようになるまでには、頭がおかしくなっちゃう程の時間が必要になりますけれど」
「ほえぇ。さすが、二個年下の貫禄ってやつだね」
「も、もう、揶揄わないでください……」
「あはは! 真っ赤になっちゃって、かーわいっ!」
羞恥に縮こまるエマを、ミラは容赦なくむぎゅーと抱き締める。
豊満な膨らみにすっぽり収まるくらいエマが小柄なのは、体躯差があるだけでなく、年齢も二つ離れているからだ。
ここバーランド魔術院は、通常の高等教育を修了した18歳から入学するのが一般的だが、中には、何かしらの理由からそれよりも若年で入学する者もいる。
エマは正にその一人だ。
しかしてその境遇たるや、また更に一風変わったものではあるのだけれど――。
「必要なのは、量じゃなくて密度……なるほど、それを保ち続けながら処置にあたるのが、縫合癒術ってわけだ。えぐいむずそうだね、それ」
「はい、えぐいむずいです。ただ、その基礎さえしっかり出来るようになれば、やれることの幅はぐっと広がります」
そう話しながらエマは、指先をくるり。
生み出した糸状のマナで、机の上で呑気に寝転がる悪戯精霊の毛並みを縛り上げ、立派なツインテールへと組み上げた。
「このような具合に」
最後に、マナを籠めた指先でちょん切って留めてあげれば、マナを利用した簡易的な髪留めの完成だ。
「すっご!」
「ありがとうございます。しかし、この細さでは、縫合には使えません。これの半分の半分の、そのまた半分くらいまでは収束させないといけませんから」
「へぇ。てか当たり前に出来るのやばいね。将来の有望株と見込んで結婚してくんない?」
「いえいえ、丁重にお断りさせていただきます」
ふわふわ笑って往なしながらエマは、
「ンナー!!」
憤慨しきったラピアの振るう尻尾攻撃を、はいはいと笑顔で躱し続けるのだった。
「あ、そだ。帰りさ、どっか寄ってかない? あたし今日の夜ちょー暇なんだよね」
「帰り――ごめんなさい、ミラ。今日だけは……」
「ん? あれ、何か用事でも——」
あったのか、と尋ねかけて。
「——ああ、そゆこと」
ミラは、溜め息交じりに笑う。
「それは邪魔出来ないね。ごめん、行っといで」
「うぅ……ごめんなさい、ミラ。今度、うんと美味しいお菓子を作って来ますから」
「あはは! いいよいいよ、大丈夫。憧れの君と会える、唯一の時間だもん。大事にしなきゃね」
ミラは、エマのこれからの予定について知っている。
それも、数日置きか週に一度か、長い時には月に一度しか訪れないものなのだということも。
「ありがとうございます、ミラ。結婚は、結婚だけは、出来ませんけれど、大好きです!」
「ん、さっすが傷口を抉るのが上手だねぇ」
馴染みの声に、微睡む意識が引き戻される。
ハッとして目を開けて、声のした方を仰いだ。
「おはようございます、ミラ」
ミランダ・マルロウ。
今日も、パーマがかったセミロングの、スカーレット色をした髪が楽し気に揺れている。
「また眠そうね。ほんと、癒術の勉強に余念がないんだから」
「あぁ、いえ、昨夜は――」
言いかけたところで、
「ンナーオ!」
カーテンの裏から現れた何者かの影が、ミラの肩へと飛び乗った。
元気いっぱいなその様子は、満足に遊び、満足に睡眠をとった後の子どもさながらだ。
「っとと。あーなるほど、ラピアと遊んでたんだ?」
「はい。なかなか寝かせてくれなくて」
困り顔で答えつつ、友人の肩に乗っている子を眺める。
淡い翡翠色の毛並みがまた随分と立派になった、小動物型の精霊ラピア。
古来より共存してきた人と精霊だが、ここまで特定の個人に懐き、また甘えるというのは、珍しい例である。
「なーにあんた、家族の言うことは聞かなきゃダメでしょ? ん?」
「ンナ!」
元気な鳴き声一つ上げ、ラピアはエマの肩へと飛び移ったかと思うと、そのまま頭の方へと登り、丸まってしまった。
「特例って言っても、あんたも苦労してんね。こんな自由な子と一緒でさ」
「あ、はは……」
まったくもってその通りだと、エマは苦笑することしか出来ないでいた。
幼少の頃、ひょんなことから仲良くなったふたりは、以来、寝食に外出さえも共にして来た。
じっとしていればただの愛らしい精霊なのだが、なかなかにやんちゃで行動派な性格故に、そればかりではいられないのが実情。
けれどもそんな実情は、エマひとりだけの知るところ。
エマの通うここ、バーランド魔術院にいる時だけは、大人しく、また利口な対応で以って生活している為、他クラスからも一目見んと学生らが集まる、束の間の癒しを得る為の愛玩の対象とさえなってしまっている。
皆騙されてるよ。この子、こんなに大人しくないからね。
そう思うのは、心の中でだけ。
根が臆病なエマは、群がる隣人たちを拒むことも、そもそも迎え入れるようなことさえしていない。
自然と、そうなっていってしまったのだった。
「てかエマさ、この間の課題って分かった? あたしさっぱりでさ」
「この間のって、縫合癒術の基礎ですか?」
エマは頭を上げ、ミラの方へと向き直る。
その揺れでふらふらと足元の覚束なくなったラピアは、机の上へと降り立つのだった。
「そうそう。どうやってマナを極細の糸状に収束させるかってやつ。教材も知識もまだなのに予想しておけって、えぐいこと言ってるよね」
自然にも体内にも流れる、数多有る魔術の源であるマナ。
エマたちの学ぶ魔術は、体内を巡るマナを用いて術を練り、それを自然のマナに連結させることで発される。
中でも、創傷や病気の治癒を目的とした癒術は、マナのコントロールが繊細さの極致とまで言われる程に難しく、修めるには努力だけでは足りないセンスまでも要求される。
「マナを細糸収束させる為には、普通とは異なる量のマナコントロールが必要になるんです」
「どゆこと?」
「ミラは、基礎癒術を使う時、癒術とは違う魔術を使う時、同じだけのマナを練り上げているのではありませんか?」
「量っていう話を当てはめるなら、それぞれで使ってるマナ量は違うわよ?」
「量だけですか?」
「それ以外に何かあんの?」
やっぱり。
エマは、コホンと一つ咳払い。
「発火魔術を例えにあげます。使うマナが少なければ小さな火、反対にマナを使えば使う程に火は大きく強くなります。魔術によっても異なりますが、基本的には、マナの出力差によってマナの魔術の強弱も変わるというわけです」
「うんうん」
「しかし、マナを細糸収束させる為には、マナの使用量を変えるだけでは意味がないんです。必要なのは密度。例を挙げますと――あっ」
エマは、遠くに見つけた席に座る生徒へと、ミラの視線を向けさせる。
そこでは今、資料か課題用紙か、何かしらの紙が丸められていた。
「丁度良いです。例えば、あの紙を縦に伸ばして、横からチョップしたとします」
「ちょ、チョップ?」
「はい。こう、えいっ、って」
ミラにとっては馴染みのない言葉だったらしい。小首を傾げる友人に、平手を中空で振ってみせたことでようやく、ああ、と頷かれた。
「あの人が丸めているあの程度の強度だと、これで簡単にやぶれることでしょう。しかし、あれをもっともっと、限界までギューって細めて詰めて丸めたら、ひしゃげても、そう簡単にはやぶれなくなります」
「そっか、マナを過剰に出し過ぎると、それを細く強く纏めるのが難しく、というか不可能になるんだ」
「そういうことです」
エマは、微笑み頷いた。
「大は小を兼ねると言いますが、癒術に於いては、必要以上の大は小を兼ねることが出来ません。必要な最低限且つ最大限の少量のマナを、限界まで密度高く、頑丈にする。それを極めたのが、細糸収束です。自在にコントロールが出来るようになるまでには、頭がおかしくなっちゃう程の時間が必要になりますけれど」
「ほえぇ。さすが、二個年下の貫禄ってやつだね」
「も、もう、揶揄わないでください……」
「あはは! 真っ赤になっちゃって、かーわいっ!」
羞恥に縮こまるエマを、ミラは容赦なくむぎゅーと抱き締める。
豊満な膨らみにすっぽり収まるくらいエマが小柄なのは、体躯差があるだけでなく、年齢も二つ離れているからだ。
ここバーランド魔術院は、通常の高等教育を修了した18歳から入学するのが一般的だが、中には、何かしらの理由からそれよりも若年で入学する者もいる。
エマは正にその一人だ。
しかしてその境遇たるや、また更に一風変わったものではあるのだけれど――。
「必要なのは、量じゃなくて密度……なるほど、それを保ち続けながら処置にあたるのが、縫合癒術ってわけだ。えぐいむずそうだね、それ」
「はい、えぐいむずいです。ただ、その基礎さえしっかり出来るようになれば、やれることの幅はぐっと広がります」
そう話しながらエマは、指先をくるり。
生み出した糸状のマナで、机の上で呑気に寝転がる悪戯精霊の毛並みを縛り上げ、立派なツインテールへと組み上げた。
「このような具合に」
最後に、マナを籠めた指先でちょん切って留めてあげれば、マナを利用した簡易的な髪留めの完成だ。
「すっご!」
「ありがとうございます。しかし、この細さでは、縫合には使えません。これの半分の半分の、そのまた半分くらいまでは収束させないといけませんから」
「へぇ。てか当たり前に出来るのやばいね。将来の有望株と見込んで結婚してくんない?」
「いえいえ、丁重にお断りさせていただきます」
ふわふわ笑って往なしながらエマは、
「ンナー!!」
憤慨しきったラピアの振るう尻尾攻撃を、はいはいと笑顔で躱し続けるのだった。
「あ、そだ。帰りさ、どっか寄ってかない? あたし今日の夜ちょー暇なんだよね」
「帰り――ごめんなさい、ミラ。今日だけは……」
「ん? あれ、何か用事でも——」
あったのか、と尋ねかけて。
「——ああ、そゆこと」
ミラは、溜め息交じりに笑う。
「それは邪魔出来ないね。ごめん、行っといで」
「うぅ……ごめんなさい、ミラ。今度、うんと美味しいお菓子を作って来ますから」
「あはは! いいよいいよ、大丈夫。憧れの君と会える、唯一の時間だもん。大事にしなきゃね」
ミラは、エマのこれからの予定について知っている。
それも、数日置きか週に一度か、長い時には月に一度しか訪れないものなのだということも。
「ありがとうございます、ミラ。結婚は、結婚だけは、出来ませんけれど、大好きです!」
「ん、さっすが傷口を抉るのが上手だねぇ」



