数日後。
朝霧家では、探霊一族による集まりが行われていた。
客間には、探霊一族の各当主が十名集まった。
今日のまとめ役は玲司。
呪いが解けて体調が回復したことで、当主になって初めての大役に脈拍は早くなっていった。
発言する文言を小さな声でブツブツと繰り返していれば、ポンと肩に手を置かれビクッと体が跳ね上がった。
「朝霧。肩に力が入りすぎだ」
「あ…朝比奈。当主の集まりで仕切るのは初めてなんだ…仕方ないだろう」
「相変わらず真面目だな」
玲司の緊張を解したのは、朝比奈 奏斗。
玲司の幼馴染で、つい先日朝比奈家の当主となった男だ。
「今まで、他の当主に迷惑をかけてきたんだ。しっかりと恩を返さないと」
「いやぁ、朝霧殿はお若いのにしっかりとしてますなぁ! それにしても、噂は耳にしておりましたが…本当、随分回復されましたな?」
隣にいた別の当主がそう言うと、玲司は深々と頭を下げた。
「その節はご迷惑をお掛けしました」
「気になさるな。回復してよかった」
「そうだ。済んだことを何度も謝るな」
二人にそう言われると、玲司は改めて頭を下げた。
そして、キリッとした表情になった。
「それでは、そろそろ始めさせてもらいます」
全員が集まり、世間話が落ち着いたところで恒例の会議が始まった。
「ちゃんとできていたじゃないか。思い詰めたようだったのに、見掛け倒しだな」
「始まってみれば意外と…なんとかなるものだな」
「だから言っただろ。肩の力を入れすぎだと」
二時間ほどの会議を終え、当主達を見送っている玲司をからかう奏斗。
会議が始まる頃には、先ほどまで早鐘を打っていた鼓動も、不思議と落ち着いていた。
「ところで朝霧。聞きたいことがある」
「どうしたんだ、改まって」
「お前の病状の回復、どこの名医に診てもらったんだ?」
途端に真面目な顔をして尋ねる奏斗。
そんな彼の表情には頷けた。
奏斗には、病弱な弟がいる。
幼い頃から寝込む日が多く、今では屋敷の外へ出ることすら難しい。
ほとんどを布団で過ごしているという。
家族思いな彼の心情に、チクリと胸が痛む玲司。
しかし、玲司は答えられなかった。
妻が食霊した事で呪いが解けたなど、彼には信じてもらえないと思ったからだ。
答えに詰まっていた時、背後からジャリッと音がして二人がそちらに視線を向けると、そこには来客用に新調した着物姿の澪が立っていた。
「おはようございます、玲司様」
「あぁ、おはよう。澪さん」
「おはよう…?」
日が傾き始めた時刻にする挨拶に、奏斗は小首を傾げた。
「朝霧。その子、おはようって言ったぞ?」
「誤差だ、気にするな。…ところで澪さん、着物とてもお似合いですね。やはり貴女には淡い色がよく似合う」
奏斗との話を早々に切り上げて、澪の姿を早速褒めた。
澪は照れくさそうに少し頬を赤らめ、ぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます。それより、申し訳ありません。今日はお客様がいらっしゃったのに、ご挨拶できず…」
「いいですよ。貴女は夜、活動しているのですから。退魔師の方を迎えた時点で、ある程度その辺は理解してます」
「ちょっと待て、朝霧。もしかしてその方…お前が嫁に迎えたという…?」
奏斗を差し置いて話をする二人。
玲司がこくりと頷くと、澪を手招きして自分の隣に来させた。
「そう。嫁いでくれた澪だーー澪さん、こちらは探霊一族、朝比奈家当主の朝比奈 奏斗です」
「初めまして。朝比奈奏斗です。よろしくお願いします」
そう言うと、奏斗が手を差し出して握手を求めた。
戸惑いながらもその手を両手で握り返すと、澪の顔つきが変わり、奏斗をじっと見つめた。
「……朝比奈様」
澪は、何か言いたげに奏斗を見つめた。
「はい…? なんでしょう…?」
奏斗は不思議そうに首を傾げた。
澪は口をもごもごと動かすだけで首を横に振って終わった。
しばらくすると、握手を終え奏斗も玲司に軽く挨拶をして朝霧家の敷地を後にした。
ただじっとその背中を見ていた。
「…澪さんは、朝比奈のことが気になりますか?」
澪の視線が気になり、少しぶっきらぼうに尋ねるとこくりと頷いた。
「そうですね。とても気になります」
「……澪さん。俺たちは契約とはいえ夫婦です。他の男をそんなに気にするのは……その、あまり感心しません」
自分から聞いておいて見苦しいと思いながらも、言葉の方が先に出ていた。
玲司の言葉を遮るように、澪が口を開いた。
「手から、かなり薄いですが…悪霊の気配を感じました。でも、朝比奈様は探霊一族の当主…霊の気配に気付かないなんて…玲司様も、感じなかったですか? 朝比奈様から、霊の気配を」
玲司の言葉を全く聞いておらず、一人でブツブツと呟き出した。
そして、彼の方を見て尋ねたが、玲司は首を横に振った。
「いや…俺は何も感じなかったが…」
「それじゃあ、霊の気配じゃない…? たしか、どこかで…あっ」
顎に手を添えて考える澪が、ハッとして玲司の顔をじっと見つめた。
「以前の玲司様とまるで同じです…! あの、朝比奈様はどこかお身体を悪くされていませんか…!?」
「い、いや…朝比奈は至って健康だと思うが…でも、弟が不治の病で布団で過ごすことが多いとは聞いたが…まさか、弟が呪いにかかっている、というのか…?」
信じられない状況ではあるが、澪にそう尋ねるとしばし固まったが、ゆっくりと頷いた。
「いらっしゃい。朝霧、澪ちゃん」
「…ちゃん?」
「こんにちは、朝比奈さん」
後日、奏斗と連絡を取り朝比奈邸へ玲司と澪が訪ねた。
澪の呼び方に引っ掛かる玲司だが、こほん、と咳払いをして場を仕切り直した。
「急に悪いな。夫婦で押しかけてしまって」
「気にするな。ちゃんとした挨拶もなかったし、澪ちゃんともっと話してみたかったから」
ひらひらと手を振る気さくな奏斗に、慣れない様子で小さく頭を下げる澪。
「…おい」
「そんな敵意剥き出しにするなよ。幼馴染の奥さんに変な事なんてしないさ」
のらりくらりとかわす奏斗に、ため息をこぼす玲司。
屋敷の中へ案内されると、朝霧家とはまるで違う西洋造りを中心としたインテリアに澪は目を奪われた。
「好きに座ってて。お茶を淹れてくる」
「朝比奈様。私もお手伝い致します」
「いいよ。澪ちゃんはお客さんだから、座ってて。ところで、澪ちゃんは紅茶好き?」
「紅茶…ですか?」
初めて聞く言葉にこてんと小首を傾げる。
「初めて?」
「はい…初めてです」
「朝比奈。淹れてくれるなら茶にしてくれ。慣れてるものの方が性に合っている」
「ったく、朝霧は…」
ソファーに腰掛けていた玲司が、二人の会話を遮るように言った。
奏斗がお茶を淹れ始めると、部屋に漂う芳醇な香り。
おはぎを食べて以来、食に少しずつ興味があったので香りに胸がくすぐられた。
一度、飲んでみたかった。
「澪さん」
「はい…?」
玲司の隣に腰掛けると、真剣な顔をして澪に声をかけた。
奏斗に聞こえないよう、そっと耳元に顔を近付けた。
「ハイカラなものばかりで、物珍しいでしょうがあまり朝比奈の話に興味を示さないで下さい。これは、彼がよくやることですから」
「そう…なんですか?」
こてんと小首を傾げ、不思議そうにしながら玲司の話を聞き何となく納得した。
「おいおい。人の家で逢引きをしないでくれ」
「そんなのではない。お前が、いかにして女性を狙うかという話をしたんだ」
「まったく、朝霧は…はい、澪ちゃん」
玲司には茶を差し出し、澪には紅茶が入ったティーカップを差し出した。
「これは…?」
ティーカップを両手で包むように持ち、不思議そうに中を覗き込んだ。
「ん? これ、さっき聞いた紅茶だよ?」
「え…で、でも…」
飲みたかったとは思っていたが、奏斗にそう言われると戸惑い思わず玲司の方を見た。
玲司の眉がぴくりと動いた。
先に澪の小さな変化へ気付かれたことが、妙に面白くなかった。
「澪ちゃんが飲みたそうにしてるなって思ったから。別に無理して飲まなくて大丈夫だよ? 砂糖やミルクをたっぷり溶かして飲むのがおすすめかな」
そう言うと、奏斗は角砂糖が入ったカップとミルクが注がれた容器を澪に差し出した。
「あっ、澪ちゃん…!」
砂糖とミルクを勧められたものの、とても良い香りに釣られて一口含んだ。
その様子に奏斗はぎょっと目を見開いた。
澪はすぐに飲み込んで、顔をしかめた。
「なん…というか、その…」
唇を噛み合わせ、もごもごと動かして目にはうっすらと涙を浮かべた。
紅茶は、初めて口にするには、少々渋みが強すぎた。
「澪さん。やはり、慣れているものの方がいいでしょう」
玲司はそう言うと、まだ口にしていない湯呑みを澪に差し出した。
「ははっ。初めてだとそうなるよね。これ、僕のおすすめ」
軽く笑い、角砂糖を二個入れてミルクをティーカップに円を描くように三周入れた。
ティースプーンでかき混ぜると、「ほら」と声をかけてもう一度澪に差し出した。
先程の味を知ってしまった為、戸惑いながら小さな一口を含んだ。
「ん…わ、すご…幸せな気持ちになりますね」
先程飲んだものとはまるで別物のような代物に、澪は柔らかい笑みをこぼした。
「でしょう? 甘い物はみんな、好きだからね」
澪に釣られて、奏斗も笑みを浮かべた。
その最中、玲司が「こほん」と咳払いをした。
「今日は茶を飲みに来ただけではない。朝比奈、先日俺に聞いたな。どうやって病を治したのか、と」
「…なるほど。その話をしに来てくれたんだな」
先程までの和やかな雰囲気とは一変、真面目な表情になった。
弟の病状は深刻で、寝たきりが続いているのだから無理もない。
「朝比奈は食霊術って、知ってるか?」
「おいおい。真面目な話をすると思ったのに、どうして物語の話を始めるんだ」
前のめりで話を聞いていた奏斗が、玲司の口から出た言葉に脱力した。
「いや、真面目な話だ。俺は呪いに侵され、余命が尽きるその日まで待つしかないと思っていた。――だが、その呪いを解いたのは澪さんだ」
「ん…? 澪ちゃん? 待て、話が読めない。どうして澪ちゃんが…え、待て。は?」
話をまるで理解できなかったが、自分で口にする事でようやくハッとした。
「澪ちゃんが、食霊術を使える…と?」
「そうだ」
「まさか…澪ちゃん、本当? 無理に答えなくてもいいけど…でも、もし本当ならーー」
今度は澪の方を見て尋ねた。
澪は否定する事なく、ゆっくりと頷いた。
その様子に、奏斗は息を飲み言葉が出なかった。
「っ、澪ちゃん…! 頼む、弟を診てくれないか…! 弟が呪いをかけられたとは限らない…でも、どの医者に診てもらっても原因が分からないと言われる。だから…!」
深々と頭を下げ、何度も懸命に頼む奏斗の様子に、澪は慌てて声をかけた。
「あ、頭を上げてください…! 私は今日、そのつもりで…玲司様に朝比奈様の都合を聞いてもらって、この場を設けてもらったんです」
「え…?」
澪の言葉を聞き、顔を上げた奏斗の表情は驚いていた。
「確信は持てなかったんです。でも、貴方と握手をした日ーー違和感がありました。間違えていたら、朝比奈様に与えるショックは一層大きいから…躊躇していました」
「けれど、俺の大事な幼馴染のためならーーと、澪さんが言っていた」
「朝霧…! 澪ちゃん…!」
感極まり、目頭を熱くする奏斗。
立ち上がると弟の部屋に案内すると言い、玲司と澪を客室から出た廊下の突き当たりまでやって来た。
「う…っ」
襖を開けると、澪が苦しそうにその場にくるまった。
澪の顔から血の気が引いた。
「澪さん…!?」
「どうしたの、澪ちゃん…!」
「も…申し訳、ありません…やはり、呪物です。この部屋の中、とても充満しています…」
息を吸うたびに、喉が焼けるようだった。
立っているだけで、全身が重い。
「でも、こんな呪物は初めて…すごく興味があります」
「えっ…!?」
玲司が呪いで苦しんでいた時のよう。
澪は初めて見る呪物に目を輝かせていた。
「あの、玲司様、朝比奈様…お願いがございます」
「お願い…?」
「私が食霊をしている間、部屋には入らないで頂きたいのです」
そう言うと、澪は自身の左頬を押さえて視線を逸らした。
奏斗は不思議そうにしていたが、玲司は察すると「分かった」と返事をして奏斗を客室へ連れて行った。
澪はまだ、人に食霊術を見られる事に抵抗があった。
また、平手打ちをされ、蔑まれるのではないかという心の傷は癒えていなかった。
「…ありがとうございます」
二人の背中にそう呟くと、深呼吸をしてゆっくりと立ち上がり、部屋の中へ入った。
部屋のそこら中に悪霊が遺した靄が飛び交っている。
静かに両手を合わせる。
「――いただきます。」
そう呟き漂う黒い靄を摘み取るように指先で掬い、そのまま口へ運んだ。
(弟さんの体の周りが一番酷い…さぞ苦しかったでしょう。あれほど小さな体に、なぜこんな酷いことが…)
「早く楽になりますように」と願いながら、完治できるようひたすらに食霊をしていった。
☆☆☆
「朝霧…やっぱり、様子を見に行った方が…」
「澪さんがして欲しくない事を、俺はするつもりない」
弟と澪の様子が気になる奏斗は、廊下の奥の方を客室から背伸びをして覗こうとしていた。
「そう…か。でも、もう三十分近く経っているし…」
「本来の治療なら、もっとかかるだろ。座ってろ」
先ほどからそわそわしている奏斗に、玲司は茶を一口飲んでから口を開いた。
「弟が心配なのは分かる。でも、俺を見てみろ。ついこの間まで、明日死ぬかも知れないと思っていた。それが、この変わりようだ」
「そう…か…っ!?」
玲司の説明に納得しかけた時、客室の扉が開くと奏斗が勢いよくそちらを見た。
そこには、澪が術を終えて戻ってきていた。
「澪さん…! 弟は…?」
「あの、玲司様の時のようには…なりませんでした」
澪の言葉に、奏斗はその場に膝をついた。
「あ…そう…だよな。呪いが解けて、とか…そんなの…はは…」
「はい。やはり、玲司様の時が異例だったのだと思います。歩いたりできるのは少し時間がかかるかと思います」
「…え? お…弟は、目を…覚ました…!?」
奏斗がそう尋ねると、澪は頷いた。
玲司の方を見ると、彼はふっと笑った。
「行ってやれ」
その瞬間、奏斗は廊下の奥の部屋へ駆けて行った。
「お疲れ様です、澪さん」
客室に戻ってきた澪に、改めてそう伝えると不思議そうにした。
「いえ、疲れたりは…むしろ、力を蓄えられて私は元気です」
「ふっ。そうでしたね」
彼女の反応に、つい笑みが溢れた。
初めて会った日、消えそうなか細い声と崩れてしまいそうな儚い存在だった澪。
しかし、朝霧家へ嫁いだ翌日、玲司に取り憑いた呪いを食事のように食べると、どんどん変化した彼女。
(本当ーー見てて飽きない人だ)
目を細めて澪を見つめながらそんな事を考えていた。
「澪さんは、今回の事をどう思いましたか?」
「どう…?」
玲司に尋ねられると、顎に手を添えてしばらく黙り込んで考えた。
「朝比奈様のお役に立てたのなら、良かったです… 玲司様の大切なご友人のお役に立てて、良かったです」
柔らかい表情をしてそう溢すと、玲司は確信を得た。
「澪さん。治癒術を学んでみませんか?」
「ちゆ…?」
不思議そうにこてんと小首を傾げて尋ねた。
「はい。退魔師一族で、本来は悪霊を祓う為の食霊術だと思いますが、貴女のその力は他にも活用できます。何より、人の為になったという時の貴女の表情は、生き生きしています」
玲司がそう言うのなら、と澪は小さく頷いた。
(やっぱり、この人は変…どうして、私の事をそんなに気にかけてくれるのでしょう…?)
澪の心にも、小さな変化が芽生え始めていた。


