最強食霊術師の契約結婚 〜旦那様、朝は起こさないでください〜


九条家で澪との縁談話がまとまり、祝言を終えた翌日。
澪は正式に朝霧家へ嫁いだ。

もちろん、生活するのは朝霧家の屋敷。
朝霧家は衰退したとはいえ、今なお屋敷には家臣や腰元が仕えていた。

「ーー玲司様」

腰元の一人に障子越しに声をかけられると、玲司は書物に落としていた視線を声のする方に向けた。

「どうした」
「あの…そろそろ澪様を起こして参りましょうか」

言いにくそうに言葉を詰まらせながら尋ねた。

「いい、寝させておけ。それが彼女の望みだ」
「かしこまりました」
「今後も起こすつもりはない。好きなだけ寝させておくんだ」

腰元が気を遣って玲司に尋ねるが、答えは決まって同じ。
話が終わると、腰元の気配は障子の向こうへ遠ざかる。玲司も再び書物へ視線を落とした。

再び書物に視線を落として小一時間程経った時。
強い霊力を部屋の外に感じ、パッと顔を上げた。

(まだ昼下がり…この時間にこれほどの力を持つ悪霊が近くにいるというのか…!)

外はまだ明るい。それほどの悪霊を放置しておけるはずがない。
玲司は奥歯をギリッと噛み締めた。

(今の俺では太刀打ちできん。澪さんを起こさねば……!)

呪いにかかり、日に日に体に力が入らなくなり霊力も衰えている。
そんな中でこのような力に遭遇した事に玲司は自身の命の終焉を察した。

「これは一刻も早く、あの話をしなければ…」

なぜ澪を朝霧家へ迎え入れたのかという経緯を話さなければ、朝霧家は途絶えてしまう。
そう思い、彼女が寝ている部屋の前まで行き外から声をかけた。

「澪さん。申し訳ないが起きてくれ」

障子越しに声をかけるが、彼女の応答はない。

「澪さん…?」

その時だった。
そう遠くない場所から、強大な霊力を感じた。
思わず息をのむ。
それでももう一度だけ名を呼んだ。

「澪さん…!」

彼女の体は痩せ細り、同じ年の娘と比較しても肉付きはお世辞にも良いとは言えない。
妹の琴葉より幼く見えるほどだった。
声もすぐにでも消えてしまいそうなほど、か細く弱々しかった。
退魔師一族の娘として生まれたが、彼女が悪霊を食べる『食霊術師』という事を忌み嫌った両親から離れに住まわされていた。

(恐らく…術もまともに教わっていないな)

考えが頭の中をぐるぐると巡っていると、行き着く考えは悪いことばかり。

(まさか、澪さん…!)

返事を待つことすらできず、玲司は勢いよく襖を開け放った。
しかし、そこに彼女の姿はない。
布団は敷いたままで、掛け布団が乱雑に捲れ上がっている。
部屋に入り、しゃがんで布団に触れるとまだ温かい。
彼女が布団から離れて、まだそれほど時間が経っていないのだ。

「あの…朝霧様…ふぁ…」
「っ…!」

探していた張本人の声が聞こえ、ビクッと肩を震わせ勢いよく振り返った。
寝ぼけ眼でぼんやりとしている彼女があくびをし、何事もなかったように立っている。
むしろ、勝手に部屋へ入った玲司に引いているようだ。

「み…澪…さん…?」
「どうなさいましたか…私、眠たくて…」

焦り困惑しているのは玲司だけで、澪は再び眠りにつこうと彼に構う事なく布団に横たわった。

「あ、あぁ…申し訳ない…あ、いや。澪さん、強い霊力がこの敷地内にあるんです。ただ、俺は退魔術でこれほどの力に勝る術はない。どうか、力を貸してくれ」
「強い霊力…? あぁ、それ…私じゃないですか…?」
「…は?」

話の途中でも眠たそうにする彼女。
しかし、発した言葉は寝ぼけているとしても聞き逃さない内容だった。

「いや、悪霊です。貴女の霊力が、そんな…」
「私、よく間違われるんです。特に、寝起き」
「寝起き…?」
「はい。寝起きは霊力が漏れやすいみたいで。寝起きってそんなものでしょう」

澪はもう一度小さくあくびをすると、ようやく眠気が薄れたのか、ぼんやりしていた瞳に少しずつ光が戻っていく。

「いや、そんなの聞いた事が…しかし、澪さんは食霊術師…食霊術というのは、物語の中に登場する突飛な才能と思っていたが、実在したわけだ。不可思議な事があっても、否定はできない…」

澪の言葉を間に受けて、玲司はブツブツと呟いた。

(たしかに、先ほどまで感じていた霊力はもう…。とういうことは、本当にこの娘…?)

考え込んでいると、彼女の腹が「ぐぅ」と音を立てた。

「申し訳ない。すぐ腰元に飯を用意させよう。澪さん、食べられない物はありますか?」
「人の食べる物は、全部です。」
「は…?」

思わず聞き返してしまった。
全部食べられないという答えは信じがたかった。

「私の食事は気になさらないでください」
「え…? っ…!?」

澪の言葉に呆気に取られていると、澪が玲司の手に自分の手を重ねた。

「ど…どうなさいました…?」

体が触れ合うのは初めての事で、落ち着いている玲司の波長が変わった。

「頂きます」
「え…っ」

玲司の手の甲から、どす黒い靄がゆっくりと浮かび上がる。
玲司の手から異質な物が浮き出てくると、驚いて手を引っ込めてしまった。
それもお構いなしに、澪は手のひらに収まった浮遊物を口に運びもぐもぐと頬張った。

「ちょっ…何をなさってるんです…!」
「んっ…。何って、食事です」

驚く玲司の事を不思議そうに見て、今度は手首に手を重ねた。
するとまた、どす黒い靄がゆっくりと浮かび上がった。
それをまた口に含み、何度か咀嚼をして飲み込んだ。

「呪物…これはいわくつきの場所か、かなりの力を持つ霊と対峙したのですか…? すごい、初めてです。これだけしか食べていないのに…」

目には光が宿り、その表情はまるで無垢な子どものよう。
初めて見る年相応の表情だった。

「えっ…? 何故、呪いの事を知っているのですか…?」
「朝霧様から呪物の匂いがあって…似たものを以前、食べた事があります。朝霧様の場合、喉、背中、肺を重点的に狙われています。よく動けますね。霊に耐性がなければ、寝たきりになるレベルですよ」

呪いを浮き上がらせ口に運びながら説明する彼女の口調は、いつもとまるで違う別人のようだ。
饒舌で、芯があるように見えた。

「朝霧様。もっと近くに寄ってもよろしいですか…?」
「え…?」

むくりと布団から起き上がると、玲司に顔を近付けた。

「ここと、背中…あと喉…ここにとても強い霊力を感じます」

胸へそっと手を添えた。
次に背中を優しくなぞり、最後に細い指先が首筋へ触れた。

「澪さん…! 何をしてっ…!?」
「? 確認です」
「っ…い、いや、その…まだ昼間ですから」

積極的に距離を詰めて胸に手を当てられれば、慌てる玲司。
年下で、子どものように無垢な表情をする澪にこのようなことをされれば、さすがに落ち着いていられない。

「? 食事は朝昼夕あるのでは…? 私は朝、食べませんが」

しかし、澪にとってこれはやましい事ではなく、ただの食事。
玲司の様子が全く理解できず小首を傾げていた。
胸に当てた手のひらの中には、手から出てきた靄より一層ドス黒く淀んだ物が出てきた。
それを口に含めば、眉間にシワを寄せ渋い顔をした。

「大丈夫ですか、澪さん…?」
「えぇ、平気です。あまりに力が大きくて驚きました…わ、背中もすごい」

彼女の大胆な行動に逐一驚いていると、背中に触れられている事にも気付いていなかった。

「ここは手では少し…喉が一番、強い霊力を感じます。ーー朝霧様、失礼致します」
「なっ…!?」

自身の小さな手と玲司の首を交互に見比べ、膝立ちになると彼の首筋へ顔を寄せた。
口で息を吸うように黒い靄を吸い上げた。
これには、玲司も情けない声を上げて動きが停止した。

「…ん」

やがて、口の中をモゴモゴと動かしながら首筋から顔を離して何事もなかったかのように咀嚼をした。

「お粗末様でした」
「え、あ、あぁ…」

ごくり、と飲み込むと澪は顔の前で手を合わせて頭を下げた。
彼女の行動に、一人ドギマギしていた玲司は一連のやり取りにどっと疲れた。
そして、ふと思い出した。

「あ…今日は先生が回診に来られる日…澪さん、俺はこれ…で、うわっ…!?」

今日は週に一度の回診日。
呪いにかかって、苦しいとは言えるはずもなく家に来て診察してもらい、薬を貰っていた。
自室に戻って準備をしようと立ち上がったら、随分と体が軽い。
軽さのあまり、勢い余ってしまったのだ。
前方にいる澪とぶつかってしまう。
そう思い、彼女に触れないよう両手を肩幅より広げ、胴体が彼女に重ならないよう、布団に手をついた。
彼女へ体重をかけることだけは避けられた。
ーーが。

「も、申し訳ない…! これ程までに体が軽いのは久方ぶりで…故意ではなく事故のようなものだ。すぐ、すぐに退くから」

彼女を布団の上で押し倒してしまった。
この状況になっても、ぽかんとしている彼女に口早に弁明した。
必死さが仇となりそうだと思いながらも、口が止まらなかった。

「…構いませんよ、朝霧様。私ーー慣れていますから」
「は…?」

彼女の言葉に体が固まったが、言葉には続きがあった。

「ぶつのでしょう…? 食霊をした後、両親からされてきましたから」

そんな悲しい答えが返ってくるとは思わなかった。

「いえ、俺はそんなことしません。俺は貴女のその力に魅力を感じたんです」
「え…?」

殴られるかもしれないという状況で、慣れていると言うその声は震えていた。
攻撃される事に、慣れるはずがない。
そう思い、澪を安心させるようゆっくりと答えた。
玲司の回答が意外だったようで、彼女は目を大きく見開いた。

「俺は貴女に妻としての役割を期待してません」
「そう、なんですか…?」
「えぇ、期待していれば昼過ぎまで寝過ごす貴女に寛容ではありませんよ」

押し倒した彼女の上からゆっくりと起き上がると、廊下の方に向いて歩き、襖を閉める時にくるりと振り返った。

「俺が求めているのは、貴女の力だけです」

そう言い、襖をすっと閉めて自室へ向かった。

(ここまで言えばーー危害を加えるとは思わないだろう。それに、変に勘違いすることも、俺に気があるとも変な誤解はしないだろう)

彼女に初めて出会った時から、柔らかい雰囲気を出して笑みを絶やさないようにしたきた。
しかし、祝言を挙げれば彼女は手にしたようなもの。
彼が彼女の要望を叶えたように、彼の思いを打ち明けるにはちょうど良かったのかもしれない。

☆☆☆

一時間後、先生が回診に来て一連のやり取りを終えた頃。
玲司の病状に、先生は驚きを隠せなかった。

「朝霧様…何か特別な治療でも受けられましたか?」
「はい…? どうして、そのようなことを…?」
「病状が先週と比べ物にならないくらい、改善しているのです。先週まで体調不良の原因も分からなかったのに、今ではすっかり…良薬を見つけたとしか…」

先生が真面目な顔をして言うが、妻に除霊してもらったなんて突飛なことは言えない。
それにしても、まさかこれほど回復が早いとは玲司も思わなかったのだ。

(除霊をしてもらって、ここまでの回復…澪さんへの態度、良くなかった…な)

「いえ、特にそのようなことは…」

障子の向こうで眠っているであろう澪の姿が脳裏をよぎった。

「なるほど。では、先週から今日までで何か変わったことは…?」
「変わったこと…妻を迎えたこと、ですかね」

真面目な顔をしてそう返事をすると、先生はから笑いをした。

「あぁ、それはおめでとうございます。んー…まぁ、良くなったなら何よりです。来週もまた伺いますが、体調が良いままなら、回診の頻度を減らしましょう」

そう言うと、先生は朝霧屋敷を後にした。

「…様子、見に行ってみるか」

先生が帰ったことで、少し考え込んだ後に立ち上がると澪の部屋の前まで行った。

「澪さんーー起きてますか?」
「…はい。起きてます」
「入っても大丈夫ですか?」
「…はい」

彼女が起きている事を確認し、中へ入る了承を得ると襖を開けた。
布団は畳んで押し入れに片付けてあり、澪は部屋の隅でちょこんと正座をしていた。
広い和室のスペースを全く活用しようとしていなかった。

「あの、どうしてそこに…?」
「申し訳ありません。どうしたらいいか分からなくて」

答えづらそうにする彼女に、苦笑いすると部屋の中に入り彼女の対面に座った。

「澪さん。先ほどは…失礼しました」
「先ほど…?」

こてんと小首を傾げて不思議そうにする彼女。

「えぇ、その… 先ほど『能力しか見ていない』と言いましたが、助けてもらったのに、あの言い方は失礼でした。回診で、病状があっという間に回復した事が分かりました」

彼女にそう伝えても、まだぼんやりと現状を把握できていなさそうだった。

「そうですか。確かに呪いの根源となっていた霊力は食べました。でも、回復が早いのは朝霧様の」
「玲司です」
「…え?」

彼女の言葉を遮るように言った。
祝言を挙げて、朝霧家に迎え入れられたのによそよそしく未だに名字で読んでいたのをようやく指摘出来たのだ。

「俺達、朝霧ですよ。澪さんは嫁いだんですから」
「では、玲司様…?」
「…まぁ、今はそれで構いません」

ぎこちなさそうに言う澪に、無理矢理納得したように頷く玲司。

「回復が凄いのは、玲司様の素質です。だから、そんな風に仰らないで下さい」

謝られることに慣れていない澪は、戸惑ったように答えた。

「…そう、ですか?」
「むしろ、嬉しかった…といいますか、私の食霊術を必要として下さるなんて」

彼女が嬉しそうな口調で言うと、彼はぽかんと口を開けた。

「嬉しい…?」
「はい。ぜひ、私の力を求めて頂きたいです。私にできることは、全うさせて頂きます」

互いに結婚において条件をつけた『契約結婚』であるにも関わらず、むしろ出会った時よりも嬉しそうにする彼女。
言葉を真っすぐ受け止め、嬉しそうに微笑む澪を見て、玲司の口元も自然と緩んだ。