桜が風に煽られ舞う季節。淡い桃色の景色は、少しずつ若葉の緑へと移り変わり始めていた。
空は雲ひとつない晴天。
まるで、祝福しているかのような日和だった。
しかし、この場の空気だけは春とは程遠い。
「うーん…探霊一族に、我が娘を…ですか」
腕を組み、眉間に皺を寄せて渋い表情をするのは退魔師一族の名門・九条家当主。
「はい…ぜひとも、検討して頂きたく、本日足を運ばせて頂きました」
九条家当主の対面に座り、神妙な面持ちをするのは探霊一族・朝霧家の若き当主ーー朝霧 玲司。
顔は青白く、少し頬がこけている。
呼吸は浅く、時折苦しそうな咳をしている。
そして、目の下には酷い隈。
他の同年代の男と比べても、そのやつれ具合は一目瞭然だった。
このままでは、娘は若くして夫を失うかもしれない。
九条家当主が難色を示すのも無理はない。
重い空気を崩すようなタイミングで、すっと襖が開いた。
襖が音を立てて開くと、その場にいた全員の視線が自然とそちらへ向いた。
廊下にいるのは正座して深々と頭を下げている女性。
その女性が頭を上げると、玲司は目を少し大きく開けた。
一瞬、息をするのも忘れてしまった。
それほどに、その立ち居振る舞いが美しかった。
そして、思わず見惚れるほど美しい娘だった。
しかし、玲司はすぐに眉を顰めた。
「娘の琴葉です」
「初めまして、朝霧様」
九条家当主に紹介されると、琴葉は丁寧に頭を下げた。
玲司も軽く会釈を返し、一度思考を整理するように湯呑みへ口をつけた。
(この娘が…? 退魔師一族だから霊力は感じるが…あまりにも弱すぎる)
茶を口に運びながら、琴葉の霊力を探った。
(それに、ここではない他の場所で強い霊力がある…この娘ではないとすれば…まさか、退魔師一族の屋敷に悪霊が…?)
湯呑みを持ったまま考えに耽っていると、九条家当主が「こほん」と咳払いをした。
「…朝霧殿?」
片眉を上げて怪訝そうな表情をする当主に、玲司も咳をした。
「聞いてますかな?」
「申し訳ありません。少し息苦しく……外の空気を吸わせていただいてもよろしいでしょうか」
「え…? えぇ。それは構いませんが。琴葉、案内して差し上げなさい」
「はい。お父様ーー朝霧様、参りましょう」
父の言葉に、琴葉はこくりと頷いた。
「こちらです」
そう言って玲司を庭へ案内した。
庭へ出ると、丹精込めて手入れされた松や低木が目に入る。
飛び石の先には小さな池まであり、名家らしい落ち着いた庭園が広がっている。
琴葉が庭を案内してくれている間も、玲司の頭の中は常にこの敷地内にいる強い霊力のことばかりだった。
(ここ…いや、あちらの辺りか…?)
見事な庭を眺めるふりをしながら、玲司は霊力の気配だけを頼りに、その居場所を探っていた。
「朝霧様…?」
庭を案内しながら、沈黙に耐えきれなくなった琴葉は、何度も話題を振った。
しかし、玲司は本来の目的を達成すべく強い霊力を探る事ばかりに気を取られ、会話は上の空になっていた。
「…申し訳ない。あまり、体調が優れなくてな」
「そう、ですよね。申し訳ありません。私ばかりがぺらぺらと…」
話を聞いていなかったと正直に話すわけにもいかず、自身の体調不良を理由に誤魔化した。
琴葉は眉をハの字にして、気まずそうに笑った。
その時ーー。
(っ、近くだ…この近くに……ん?)
霊力は、現れては消え、また現れる。
まるで何かに遮られているようで、その正体を掴めない。
しかしふと、琴葉と話をしているとあまりにも強い霊力を感じ、すぐに視線を向けた。
すると、そこにいたのはボロボロの着物を着用した細身の女性。
覇気がなく、今にも消えてしまいそうなほど儚げな女性。
離れの縁側には、一人の娘が静かに座っていた。
思わず、琴葉に尋ねた。
「琴葉さん、あちらの女性は…?」
すると、琴葉は目を丸くしてぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「お、お姉様!? もう起きていらしたのですか……!」
ぼんやりと空を眺めていた女性に向かって、驚いた表情で瞬きを繰り返す琴葉。
早いと言いたそうだが、既に昼は過ぎている。
琴葉のおかしな言葉に、玲司は首を傾げた。
「早い…ですか?」
「え、えぇ…それより、玲司さん。気分はいかがですか? そろそろ、客間へ戻りましょう。お父様も待っておりますので」
先程まで、丁寧に案内をしていた琴葉が口早にそう言った。
まるで、あの女性から意識を逸らさせるように。
しかし、玲司は女性から目を離す事なんてできなかった。
彼女の目の前を小さな霊がぷかぷかと浮遊している。
昼間だからか、霊力は弱い。
しかし、その霊の正体は悪霊。
(まさか、あの悪霊…! あの女性を狙って…! 気付いていなさそうだし、此方がなんとかしなければ…!)
そう思い、悪霊に向けて手を伸ばし女性に危害が及ばないよう結界を張ろうとした瞬間。
ぱくり。
手のひらほどの悪霊は、抵抗する間もなく彼女の口へ消えた。
「…は? 食べ、た…?」
見たことのない光景に、悪霊に向けて伸ばした手がずり落ちた。
当の本人は玲司が驚いていることなど気にも留めず、もぐもぐと悪霊を頬張っている。
琴葉に客間へ戻る事を催促されると、もっと彼女の事を知りたかったが背を向けた。
(間違いない…彼女だ。彼女こそ、俺が探し求めていたーー一族復興の要)
そう確信し、どうしようかとまた考えに耽っていると、背後からパチン、と乾いた音が聞こえてそちらに目を向けた。
「アンタはまたそんな…っ! その気味の悪い事をやめろとずっと言ってるだろっ」
その瞬間は見ていないが、片方の女性は肩で息をして声を張り上げ、手を挙げている。
一方、儚げな女性は手で頬を押さえている。
細い指の間からは、白い肌が赤くなっているのが見えた。
責められても、女性は頬を押さえたまま瞬きを一つするだけだった。
そんな彼女とは対照的に、玲司の拳には自然と力が入った。
「その気味の悪い術を外でするなと言っているでしょう!」
女性は何も言い返さず、小さく頷くと、静かに部屋へ戻ろうとした。
その時、苛立っているのが分かるほど、大きな音を立てて襖が開いた。
「何事だ。客人も来ているというのに、お前の声が客間にまで聞こえたぞ」
「あなた…申し訳ありません…あっ」
九条家当主が高圧的にそう言い頭を下げてもう一度頭を上げると、玲司と目が合った。
気まずそうに口元を手で押さえて視線を逸らした。
「琴葉さん。あちらの女性は?」
気まずい空気に飲まれ、玲司も釣られて小さい声でそばにいる琴葉に尋ねた。
「姉です。名前は、澪と申します」
それだけ聞くと、玲司はこくりと頷き母と対峙している離れの方に向かった。
彼の意識は、完全に澪へ向いていた。
「朝霧殿。あの娘の事など、もうよろしいではないですか。ささ、話の続きをして参りましょう」
じっと澪の方を見ていると、九条家当主も彼女から意識を逸らすように話しかけた。
「九条様、私は九条家の娘を嫁にもらいたいーーそう申し出たではありませんか」
「え? えぇ、その通り…ですから、琴葉との縁談でしょう…?」
「澪さんは、琴葉さんの姉上だと伺いました。ですから、彼女とも話をさせて頂きたい」
玲司がそう申し出ると、後方から慌てたように口を挟んだ。
「朝霧様…! お言葉を返すようですが、この娘は忌み子でございます」
「…忌み子?」
実の娘とは思えない言葉だった。
玲司の目がすっと細くなる。
氷のように冷たい視線に、当主の妻は「ひっ…」と短く悲鳴を上げた。
「え、えぇ…左様です。朝霧様も先程ご覧になったでしょう? この娘は…悪霊を食べるのです。穢れと言われる悪霊を体内に…何と汚らしい」
実子を軽蔑した目で見て、露骨に嫌な顔をした。
母にそんな顔をされても、澪は表情ひとつ変えず、声も出さない。
「我が九条家は、退魔師一族の名家と呼ばれております。その名を受け続けるために、このような者は本家でなくこの離れに住まわせているのです」
そう説明しながらも、表情はまるで『同じ敷地にいるのも嫌』と語っているようだ。
「そうですか…」
九条家当主と妻の話を聞き、玲司がそう呟くと諦めたと察した二人はニコニコと笑みを浮かべた。
「もうよろしいでしょう。詳細は、中で話しましょう」
「いえ…ここで、彼女がいるこの場で話させてください。澪さんを妻として迎えさせて頂けませんか」
玲司の言葉に、不穏な空気が流れた。
そして、二人の答えを聞くよりも先に玲司は澪がたたずむ離れへと歩んで行った。
「初めまして、澪さん。突然ですが、私と結婚して頂けませんか?」
「なっ…!?」
「は…!?」
突然の玲司の申し出に、目を丸くして口をあんぐりとさせる九条家当主と妻。
そして、結婚を申し込まれた当の本人はーー。
「…私と、ですか?」
初めて聞いたその声は、彼女の見た目通りが細くすぐに消えてしまいそうなくらい弱々しいものだった。
悪霊を食べても、殴られても眉ひとつ動かさなかった澪が目を少し大きく見開いて呆然とした表情を浮かべ、聞き返した。
「はい。貴女とです。貴女が望むのであれば、何でも叶えて差し上げます」
(彼女の霊力は、この場にいる誰よりも強い。彼女が我が一族の一員となればーー)
静かに確信を深めた。
「何でも…ですか」
「えぇ。私にできる事であれば、何なりと申し付けてください」
玲司がそう申し出ると、澪は顎に手を添えてしばし考える素振りを見せた。
(金か…。いや、このような場所に住まわせられてるくらいだ…自由を欲しているやもしれん。または、このような家庭環境…新たな家族を望むか)
澪の口からどんな言葉が出るのか、そう考えると玲司は手に汗を握った。
「あのう…」
「はい、なんでしょう?」
おずおずと遠慮気味に声を出す彼女。
彼女が言葉を出しやすいよう、ふわりと柔らかい表情を浮かべて受けた。
「本当によろしいのですか…? 何を申し上げても…」
「えぇ。妻となって頂けるなら、何でも叶えて差し上げたい。遠慮は不要です」
(これほどの霊力を持つ者を、逃すわけにはいかない)
柔らかな笑みを浮かべながらも、その胸中はまるで違っていた。
彼女を一族へ迎え入れる。その計画を悟られぬよう、玲司は細心の注意を払っていた。
「朝は…起こさないで欲しいです」
「…は?」
申し出るであろう候補をいくつか考えていたが、それとはまるで違う答え。
抜けた声を出してしまった。
「私も退魔師一族で、一応仕事はしております。探霊一族のように、昼夜問わず能力を発揮するわけではございません。一番能力を使うのは夜なので…」
細々とした声でそう言うが、その声に覇気はなく遠慮がちだった。
「お前…! 客人に条件を付けるとは何事だ!」
玲司が答えるよりも先に、九条家当主が苛立ちを露わにした。
しかし、玲司はクスッと小さく笑うと目を細めて澪を見つめた。
「えぇ。それでよろしいのであれば、願いを叶えて差し上げましょう」
(これほど酷い環境で過ごしたせいか、自分の生活に期待をしなくなったか…。まぁ、いい。彼女の力を手に入れるのが、これほど容易く話が進むとはな)
一族復興の力が容易く手に入ると確信し、玲司は内心で安堵した。
「お待ちください、朝霧殿…!」
しかし、この話は当人同士で納得しただけのもの。
九条家当主が話を中断しようとしたが、妻が足早にかけより、何かを耳打ちした。
「あなた…朝霧様にあの娘を厄介払いさせましょう。なぁに、一度嫁いだ娘をこちらへ戻す理由などないわ」
そんなことを言われているとは、知る由もなく。
「九条様。私は澪さんと結婚させて頂きたく思います」
「……そこまでおっしゃるのであれば、仕方ありませんな」
ハハッと乾いた笑いをする九条家当主。
先ほどまでと一変した態度に、玲司の眉がぴくりと動いた。
けれど、先ほどまで難航していた婚姻話が一気に佳境に入り、その違和感を追求することはなかった。
「澪さんも…よろしいですか? 私の妻として、朝霧家にお越し頂けますか?」
「…はい」
他人が決めた結婚に、反対することなどあり得ないとされる時代。
断れない雰囲気を醸し出さないよう、柔らかい物腰で尋ねると、澪は小さく頷いた。
「それでは後日、祝言の日取りを決め、改めてお迎えに参ります」
まとまった縁談に、玲司は安堵を胸の内へ押し込め、小さく息を吐いた。
「はい。朝霧殿、今後もよろしく頼みますぞ」
「えぇ、こちらこそ」
そう言葉を交わし、この日は幕を閉じた。
誰も知らない。
この契約結婚が、衰退した二つの一族の運命を大きく変えることになるとは。


