八木ちゃんはすごく素直で純粋な人だ。
困った人を放っておけないタイプでもあると思う。だってあの昼休みに美緒莉にかけた言葉は前回の私にも言ってくれてるし。きっときっかけにして、とかそういう捻くれた考え方はしないと思う。
そう、素直に前回は私を心配して、今回は美緒莉を心配した、ってだけのことだ、きっと。
だって八木ちゃんの感じた通りに毎回行動に起こして誰かが救われることになるんだよ? それってすごいことだと思う。人としての正しい行いとか大事なことが身についてる人間だってことでしょ? だって繰り返してるわけでもないのに毎回一回目の自分の人生の中で人を助けようと立ち上がれる人だってことなんだから。
私にそんなことができる?
――絶対にできないし、できてなかった。
一回目の私を思い出すたびに、そのままの私が今日まで続いてたらと考えるたびに、みんなと比べて情けなくて恥ずかしい気持ちになる。自分はなんてしょぼい人間なんだろうって。
だからその八木ちゃんの行動を私が否定するなんてあり得ないことだと思った。できないし、しちゃいけないことで、それこそ人として間違ってる行動なんだって。
私がおかしいんだよ、八木ちゃんは良い人なのにそれを無理に疑って、その行動が自分の都合に合わないからって勝手に嫌な気分になって。利用されてるって疑ってるのは私が一人で不安になってるだけのことなんだ。
わかってる。ちゃんとわかってる。
わかってるんだけど――……。
「桐野さんも一緒に行こう!」
移動教室の準備をした三人がウキウキで隣の席の美緒莉を誘う。それに美緒莉は笑顔で頷いて、五人で生物室に向かうと、生物の先生から「君らは最近頑張ってるな」なんて声をかけられた。
美緒莉の時間に合わせて八木ちゃんが行動するようになって、私達のグループ内で規則正しい行動が身についてきたからだ。
「私達も桐野さんを見習おうと思って」
そう答える八木ちゃんはすごく満足気だった。きっと先生から褒められて嬉しかったんだろうなと、その時の私は思ったんだけど、
「桐野さん、一緒にお昼食べよう」
「桐野さん同じ班になろ」
「桐野さんじゃなくて桐野ちゃんって呼んでもいい?」
ガンガン距離を詰めていく八木ちゃんの様子に周囲からはすっかり美緒莉が私達のいつメンの一人と認知され、
「八木さん、桐野さんに伝言頼んでいい?」
「八木は桐野と絡めてすごいよな」
「桐野さんの分の宿題渡しといて〜」
美緒莉に関する雑務を一番顔が広い八木ちゃんが頼まれるたびに、こなすたびに生物の先生の時と同じ満足気な笑顔を浮かべるから、なんだか褒められて嬉しいだけじゃない気がしてきていた。
なんか八木ちゃん、美緒莉と関われればなんでも嬉しくなってない……?
一歩離れて見てみると、美緒莉のお世話係というか、一番近い人間として扱われること自体に喜んでいるようにも見える。そんなわけないって言われればそうだよねと納得できるし、もしかしたらそれが私とは違う、友達の多い八木ちゃん流の仲の良い友達の作り方なのかもしれないって思ったりもしたんだけど、
「桐野ちゃん、今日も一緒にご飯食べようよ」
「……今日はやめておく」
「あ、なんか用事? 手伝おっか?」
「別に。気分じゃないだけだから大丈夫」
そうきっぱりと美緒莉に断られて、悲しむかと思いきや、
「ああやって断れるところもかっこいいよね」
とか言ってるから、あ、違うなと思った。
「わかる。私なんかが一人でご飯食べてたらただのボッチなんだけど、桐野さんはそうならないよね」
「全然似合ってるし、それが桐野さんって感じ。一人の美しさが絵になるんだよな〜」
この流れには身に覚えがあるというか。前回SNSの中で目にした流れに近いものがあったから。
美緒莉を持ち上げる風潮、推してるアイドルの言動への感想みたいな、尊重するべきものとして盲目的に崇め始めてる匂いを感じる。
だから、
「でももう少し、友達なら言い方があるんじゃないかなとも思うんだけど……」
そう美緒莉の言い方に対する苦言の述べてみた。八木ちゃんの行動は間違ってないはずだし、私なんかが否定するのはおかしいことだけど、美緒莉のそれは誰が見ても悪いことだと思ったから。
だって、
「最近なんか、冷たいよね? 桐野さん」
そう。やっぱり無理してたのか、美緒莉の態度が明らかに変わってきている。うんざりしてるというか、ダルそうに適当にあしらい始めてるっていうか……。
でも、私の言葉に八木ちゃんは「あー……」と少し考える間を置きつつ、
「何か桐野ちゃんにとって嫌なことがあったのかもね。でも桐野ちゃんのことわかってあげられるのって私達だけじゃん? 許してあげよ?」
そう言ってニコッと笑顔を作りつつ、
「だって私達友達じゃん」
と、その場を丸く収めてこの話題は強制的に終わってしまった。
それからも気づけば話題にあがるのは美緒莉のことばかり。今日桐野ちゃんが、桐野ちゃんと約束したんだけど、桐野ちゃんはこれが好き――何なんだろうって。それの何が楽しいの?って、もううんざりで、美緒莉とは絶対に関わりたくなかった私としては八木ちゃん達との間に絶対埋まらない溝のようなものができてしまっていた。
もちろん、口には出さないし態度にも出してないからみんなは知らない。気づいてない。だって私のことなんてこれっぽっちも気にしてないし。
でももう無理だった。もう不信感しかなかった。
良い人なんだろうけど考えが足りないんだなと思った。
こんなことに何の意味もないっていつ気づくんだろうって。
そんなことより前みたいに楽しく過ごそうよって。
そんな、ある日こと。
「おはよう」
美緒莉が私に挨拶をしてきた。
驚いて声を出せないでいると、そばに居た八木ちゃん達が嬉しそうに「おはよう!」と挨拶を返して……でも、なんだろう。
じっと、美緒莉が私を見つめている。
それだけの時間がほんの数秒間あったと思ったら、パッと美緒莉が席について、この奇妙な時間から解放された。
ホッとしたんだけど、でも私のその対応は間違ってたみたいで。
「前から思ってたんだけどさ、小山ちゃんって桐野ちゃんに冷たくない?」
四人でお昼ご飯を食べる中庭のベンチで、八木ちゃんから告げられた。
どくんと心臓が鳴ったけどご飯と一緒に飲み込んで、「そうかな」としらばっくれる。でもダメだ。
「朝の挨拶だって無視してたよね? 可哀想だよ」
「あれ返事待ってたよね?」と八木ちゃんが二人に振ると、うんうんと二人は頷く。「変な時間流れちゃったよね」と。
「実はさ、最近私ちょっと二人の様子見てたんだけど、二人って一切会話しないじゃん? 隣の席なのに」
「…………」
「始めは小山ちゃんも桐野ちゃんも人見知りだしなって思ってたんだけど、さっきので確信したんだよね。小山ちゃん、わざと桐野ちゃんに冷たくしてるよね?」
「…………」
普段のニコニコ笑顔で明るい八木ちゃんはもうそこには居なかった。
「あの態度は酷いよ。もしかしたら桐野ちゃん、すっごい勇気だして小山ちゃんに声かけてくれたのかもしれないよ? それなのにあんなあからさまに無視して……そんな人だと思わなかった」
『私はそんな斗亜ちゃん、知らないなぁ』
瞬間、頭の中で聞こえてきたあの日の美緒莉の声。
それは確実に私の中の何かに触れた。
「……じゃあ、どういう人だと思ったの?」
私が言ったこの言葉は、一体誰に向けての言葉なんだろう。でも、ずっとずっと言いたかった言葉なのだと気づいた。だって感情が一気に胸の奥から押し出されてきて止まらなくなったから。
「私の何を知ってるの?」
こっちの事情なんて何も知らないくせに。何度も殺されて何度も裏切られてんだよ。私の立場になっても同じことが言えるわけ?
「桐野さんのこともそう。桐野さんの何を見てるの? 冷たくしてきてるのは桐野さんも一緒だよね? それなのになんで桐野さんのは可哀想で私のは酷いになるの?」
ずっと気づいてるんだから。みんなが美緒莉しか見てないこと。私のことは軽く見てること。なんで?
私と美緒莉の違いは何?
「親密度の違い? 好感度の違い? 見た目の良さ? 八木ちゃんの中で私の価値のがもともと低かったってこと? それとも桐野さんと仲良くなるっていうのは誰かを否定してまでしても手に入れるべき、何より大事なことなの?」
最近の八木ちゃんは仲良くなりたくて必死だよねと思う。
でも、
「私は別に、桐野さんと仲良くなりたいと思ってないから」
気づけば、そうハッキリ言い切っていた。
あんなに言っちゃダメだって、八木ちゃんが正しいんだって、ずっとずっと飲み込んできた感情だったのに、もう良いやって。
八木ちゃんはすごい人。優しくて、私と違って友達も多いし、気がきくし、人を助けたいって思いから一歩踏み出せる尊敬できる人。そんな八木ちゃんと元々仲が良い内田ちゃんと南ちゃんが居て、いつも楽しい良い雰囲気の私達のグループがある。
それは八木ちゃんのおかげで生まれた楽しい空間だから、二人みたいに八木ちゃんの言葉に同意して頷くのが一番正しかった。同じ考え方をして、同じ価値観で生きていけば楽しいし平和だし何も間違うことなんてなかったけど――でもそんなの、自分がここに居たいと思えるグループに所属している間だけの、ここでしか通用しない薄っぺらな正解でしかないと今になってわかった。
もうここにあるのは美緒莉の真実を何も知らない八木ちゃんの理想をもとに活動するだけの虚しいグループだ。私の求めるものはそこにはないのだと気がついた。
「私は私の好きなようにやるから、みんなはみんなのやり方でやればいいよ」
私は私だ。みんなにもあるように、私にも私の考え方がある。私の人生の正解がある。
みんなの正解と私の正解が違うならそれでいいはずでしょ?
「桐野さんの幸せがみんなの幸せ、みんなはそれでいいと思う。でも私は違った、ただそれだけのことだから、これからもまた今までみたいに楽しくやってこう?」
そうなればみんな幸せで美緒莉とも関わらないでいいから私が殺されることもなくなるだろうし、私達の完璧な答えが出たと思う。
満足した私は、まだ理解が追いついてないのか、言葉を失う三人を置いてお弁当を片付けると、先にベンチをあとにした。きっとまだ三人には三人で話し合う時間が必要だと思ったから。
一人で歩く廊下は何だか清々しくて、軽やかな心は言いたかった全部を吐き出せてスッキリとしている。私はこういう人間だって、私は私なんだって、初めて堂々と表明できたと思った。
――これが四回目の私だ。
心の中で誰かに向けて告げたそれは、私に胸を張って歩ける自信をくれた。
これを成長って言うのかな。
明日からはどんな毎日になるんだろう。
これでみんなには私という人間のことがわかってもらえたと思うから、もしかしたら今までごめんねって謝られるかもしれない。自分たちが間違ってたって、目が覚めたって。そうしたら、楽しくやろうって言ったじゃんって、笑顔で受け入れるんだ。
なんて、そんな期待に一人胸が躍った夜を越えて――迎えた翌日。
「おはよう」
登校すると美緒莉のそばに八木ちゃん達が集まってたからいつも通りに挨拶をすると、
「…………」
三人からの挨拶は返ってこなかった。
……あれ?
なんだろう、この感じ。
何もわからない私を置いて、三人は私のことなんてなかったみたいに一度中断したさっきまでしていた話にパッと戻る。
「桐野ちゃん、あんまり気にしない方が良いよ」
「そうだよ。現実見ろって話だよ」
「私達はちゃんとわかってるからさ」
「……何の話?」
内容が内容なのもあって思わず訊ねると、八木ちゃんが私をチラリと見てため息をつくと、「普通入ってくる?」と、うざったそうに言った。
「昨日さ、私のこと何もわかってないみたいに言ってたけど、小山ちゃんこそ桐野ちゃんの何を知ってるんだろうって話になって。二人で話してないし、同じ学校だったこともないんだよね?」
「……ないけど、SNSとかで、」
「SNSの内容真正面から信じて桐野ちゃんのこと知った気になってるの痛過ぎ。そういえば前にも言ってたもんね? 証拠があるみたいなことさ。あの時からずっとそう思ってたってこと? それで無視してるとかヤバ過ぎなんですけど」
そう言って、八木ちゃんが私を見下したように鼻で笑うと、他二人も同じように私を笑った。
そして、
「確かに私達、小山ちゃんのこと何も知らなかったよ。小山ちゃんってだいぶヤバい人なんだね。そもそも昨日あんなこと言っておいて、普通は話しかけてくるなんてできないはずだよ」
その八木ちゃんの言葉にうんうんと二人も頷くと、告げられる。
「私達を傷つけたって、思ってもいないんだね」
その言葉に、ハッとした。本当だと思ったから。
私は正しいことが言えたって、自分を表せたって思ってたけど、言われたみんなの気持ちまでは考えられていなかった。
確かに、私はみんなに酷いことを言ったと思う。その時の感情に飲まれて、正論でみんなの感情を押し込んだ。みんなからの反論も聞かずにその場を去って、一人でスッキリしていたけど、みんなは違ったはず。違った夜を越えたはず。だからこんな朝を迎えている。
こうなって当たり前だ。
今更こんなことに気づく私は本当にバカで、段々と私達の間に漂う険悪な雰囲気にクラスが気づき始めた、その時だった。
「おはよう」
ニコリと笑った美緒莉から、挨拶が返ってきた。
……え?
ポカンと四人で同じ顔をしていたと思う。でも美緒莉は私だけを見ていて、しっかりと目が合ったあと、
「挨拶してくれてありがとう」
その一言が加わって、聞いていた三人は心が震えたような表情に変わった。
『さすが私達の桐野ちゃん』と。そして、
「……っ、」
それでも挨拶を返さなかった私を責める、鋭い視線で私を突き刺した。
わかるよ、言いたいことはわかる。でも仕方ないじゃん、わざとじゃないんだよ。
だってこんなのおかしい。
みんなに責められてるのなんて関係ないみたいに美緒莉は美緒莉の対応をとってくる。今までの美緒莉と同じ、私しか目に入ってないような……こんなこと普通だったら起こるわけないよね? 変だよ。みんなは変だと思わないの?
だけど、視線を向けたその先には、『それに比べてこいつは最悪だ』と顔に書かれた三人の表情しかなくて、もうダメだと理解した。
ここにはもう、私の味方なんて居ないんだ――……。



