美緒莉は私の一番の親友


 頭がおかしいんだ。
 記憶があるとかないとかじゃない。
 あろうがなかろうがおかしくなっちゃってる人なんだ。
 だってもう、最後の美緒莉は話が通じてなかったじゃないか。
 美緒莉が何を言ってるのか本当にわからなかったけど、それでも美緒莉の言葉を解釈すると、友達が美緒莉しか居ない私が美緒莉を頼って自分を殺すようお願いした、ということになる。
 そんなこと今まで一度だってしたことがないし、それらしいことを言った覚えだって一切ない。
 美緒莉の話と私の記憶で覚えてる内容が違うというか、噛み合わないそれを無視したまま、実在しない私との思い出を当たり前のものとして押し付けられるのは本当に怖かった。もう言葉が届かない人なんだって、まるで幻覚を見ている患者のような……そう、病気の人間のような。
 そっか。もしかしたらおかしくなってしまった美緒莉には妄想と現実の区別がついてないのかもしれない。
 となると、私と出会って、私と仲良くなって、美緒莉の中で私が特別になっていくうちに依存するようになって、もともとおかしなその人間性と美緒莉の感情が噛み合った結果、毎回私は美緒莉の妄想のまま殺されていた、ということになる――そんなの、回避不可能だ。関わった瞬間からバッドエンドが決まっているようなものじゃないか。
 だから、


「……小山さん?」

 気づくとまた座らされていた自分の席。
 そわそわしたいつもと違う浮き足だったクラスの空気。
 隣の席の頭が良さそうで美しいクラスメイトに声を掛けられた――もう一度始まった、四回目。

「下の名前は何ていうの?」

 その問い掛けを、私は無視した。
 完全に顔も見ずに、そこに誰も存在なんてしていないかのように。

「…………」

 すると美緒莉はしつこく声を掛けてくるようなことはしなくて、それ以降の私達が何か言葉を交わすこともなく、そのまま一日を終えることとなった。
 こんなの初めてだ。この選択が正解かどうかはわからないけど、もう一度神様からもらえた私の人生を取り戻すチャンス。無視して関わりを完全に断つことへの罪悪感なんてこれっぽっちもなかった。
 今までの私は美緒莉に優しくしすぎた。
 もう私の人生に美緒莉なんていらない。
 いらないんだ。





「八木ちゃん、次理科室だよ!」
「そうだそうだ、急がないとだね」

 私の声かけで慌てて用意し始める八木ちゃんに、「もう、いつもそうだよね」と、内田ちゃんと南ちゃんと一緒に笑い合う。
 繰り返すこと四回目の今回。私と八木ちゃんと内田ちゃんと南ちゃんの四人が私にとってのいつものメンバーになっていて、今は何をするのもこの四人で一緒に行動していた。

「ほらもう遅刻するから!」
「ごめんてー!」

 やばいやばいと教室を飛び出すと、バタバタ四人で廊下を走って目的の生物室に飛び込む。すると、すでにもう先生は黒板の前に立っていて、「おい、ギリギリだぞー」と、私達をじろりと睨むので、小さくなりながら席に着くとちょうど始まりのチャイムが鳴った。本当にギリギリだ、遅刻は重なると内申点に響くから危ないところだった。
 だけど、そんなことは気にしないタイプの派手なクラスメイトとか元気な男子とかがその後もちらほら入ってくるので、先生は深く、大きなため息をついた。

「最近このクラスは弛んでる奴が多いんじゃないか?」

 しんと、誰も返事をしない。またいつものお説教が始まった、という空気だ。だって生物の先生はいつも小言を言ってくるから。だから生徒からの評判も悪い。
 うちのクラス担任でもないんだからいちいち怒る必要なんてないのになと思う。知らないふりして優しくしておけば生徒からも好かれるのに。きっと不器用な人なんだろう。

「後からバタバタ入ってくる奴は知らないと思うけど、桐野なんかいつも一番に来て座って待ってるんだからな」

 そう言って見てみろと目で促すから、みんなの視線が美緒莉に集まる。そんな中で美緒莉はどこ吹く風といったようにツンと背筋を伸ばして座っていた。それは褒められることと注目が集まることに慣れた人間の態度だと思った。

「それなのにこうやって遅い人間が居ると早くきた人間の時間が無駄になってるんだよ。わかるか? 自分が良いからこれで良い、じゃないんだよ。時間を守る意味くらい考えたらどうだ?」

 どうやらまだお説教は続きそう……このお説教がまた時間を無駄にしてると思うんだけど、今日の授業はちゃんと時間内に終われるのかな。
 やれやれと隣に座る八木ちゃんに目をやると、八木ちゃんはじっと素直に先生の話を訊いていて、お説教が心に響いている顔をしている。
 こういう素直なところが八木ちゃんの良いところなんだよな。
 明るくて素直で優しい。気遣いができて色んなことに興味がある。そんな人。

「一つひとつのこととどれだけ真剣に向き合えるか、真面目に懸命に生きられるかで人間としての差がつくんだよ。常に今どうするべきなのか考えて一番と思える行動をしてるか? 考える癖をつけろ。いつか後悔したってもうその日には戻れないんだぞ。そろそろそういうことに気づける人間になりなさい」

 そして、「桐野はそれができてるんだよ」なんて言う先生の言葉に心の中で笑ってしまった。何もわかってないのはそっちじゃんと。良い人間の振りに簡単に騙されるんだから。
 その子は頭がおかしいんですよ、みんなわかってるんですよ。私だってもうちゃんと知ってるんだから。もちろん、八木ちゃんも知ってるよね?
 そういえば、今の八木ちゃんは美緒莉のことどう思ってるんだろう。


「生物の先生ってさ、桐野さんのことすごい推してるよね」

 お昼休みを迎えると、いつも通りに中庭のベンチに座って四人でお弁当を食べている中、私はそれを口にしていた。これが四人の中で初めて美緒莉の話題が出た瞬間だった。
 ハッと手を止めた三人が私を見る。その目に見えるのは続きを促す気持ちと、この話題に対する少しの警戒心。

「いつも一番に来て一人で座ってたらそりゃ先生も嬉しいんだろうけど、桐野さんのこと大丈夫かなって思わないのかな。それだけ気にしてるなら普通ちょっと心配になるよね?」

 クラスに馴染んでないとか、ちょっと変わってるなとか。
 私の言葉に三人はうんうんと頷いていた。

「ずっと一人だし、ちょっと絡み辛いよね」
「色々聞くしね……」
「え、南ちゃんも知ってるの?」
「多分知らない人のが少ないと思う。だって桐野さんだよ? 入学して同じ高校だって知ってびっくりしたもん……」
「ね。噂通りだったというか、あ、画像のままだ、みたいな」

 そして内田ちゃんは、「加工なしであの顔面はズルいよね」と苦笑いする。本当、確かにその通り。

「私と南と八木は中学が一緒なんだけど、小山ちゃんは桐野さんと同じだった?」
「ううん、別だよ」
「そっか。じゃあこの中に中学時代の桐野さんを生で見てた人は居ないってことか」
「……小学校は?」

 まだ四回目の私は八木ちゃんから美緒莉の話を聞いてないからしらばっくれて訊いてみた。
 すると八木ちゃんが少し険しい顔をしながらも、

「私達、桐野さんと小学校一緒なんだよね」

 と、答えてくれた。さすが八木ちゃん。ちゃんと話してくれて嬉しい。

「その頃からめっちゃ美人だったよ。何でもできるし尊敬されてた。でもそのせいで大変そうではあったけど……」

 そう言って、考え込むように一度黙る。そして、

「……もしかしたら、一番頑張ってきた人なのかもしれないね」

 そんな、新しい見解を口にした。前回までの八木ちゃんからは聞かなかった八木ちゃんの中の美緒莉の印象だ。
 それになんだか今までと風向きが違う感覚がして、「どういうこと?」とすかさず八木ちゃんの言葉の続きを促す。

「あー……なんかさ、さっきの先生の話あったじゃん? それ聞いて考えたんだけど、私は毎日何を考えてるかなって……何か真剣に向き合ってるものは、あるのかなって。みんなにはある?」

 その問いに、私達は答えなかった。答えられなかった、というのが正しいのかもしれない。
 すると気まずくなる前に、「あはは、そんなん突然言われてもって感じだよね!」と、八木ちゃんは笑って場を和ませた。

「ほら私さ、みんなも知っての通り、結構予定とか適当で時間ギリギリなの多いじゃん? 本当悪いとは思ってるんだけどなんか忘れちゃって、多分忘れてもみんなが教えてくれるからいっかーみたいな、みんなと楽しく過ごせたらそれでいいみたいなのが強いのかなって……なんていうか、私的にみんなと居ることとか、私もみんなも楽しいってことが一番大事なんだよ。だからルールを守るとか自分の成績が下がることとかより友達と揉めるとか、人間関係の問題ごととかが一番嫌で、だったら私にとって真面目に向き合ってるのってそこかなって思って、それで思ったの。なんであの頃の桐野さんに声かけられなかったんだろうって」

 そう言った八木ちゃんは苦々しく眉を寄せると口元に先ほどの笑みを残したまま目を伏せた。
 きっとあの頃、というのは小学生のいじめられてた頃のことを言ってるんだと思う。でも今回の私はそれを知らないはずだから、八木ちゃんは、「小学校の頃ね、南と内田は違うんだけど、私は桐野さんと同じクラスだったんだ」と説明をしてくれた。

「その時桐野さん、可哀想で……でも私、怖くて声かけらんなかったんだよね。関わると自分も揉めごとに巻き込まれると思って、見ない振りしたんだ。だからずっとそれが心に残ってて、SNSとかで今どんな感じなんだろうって中学の頃も追いかけててさ。まぁ、それでこんな感じの人なら関わらなくて正解だったのかって納得したんだけど、高校入ってまた同じクラスになったらさ、なんか……噂と違うなって、最近思ってて」
「……違う?」

 首を傾げる私に、八木ちゃんはまっすぐな目を向けて「うん」と頷く。

「なんか、すごく寂しそうだなって……もう誰とも話せなくなっちゃったのかなって、思って。色々あっただろうし……例えばさ、SNSでふとした時のちょっとした桐野さんの違和感とか不快感みたいなものの部分を誇張されて、こういう奴です!って勝手にみんなが言い始めた、とか……」
「でも証拠写真があったりしたよ? みんな同意してたし実際に見た人も居たりしてさ、火のないところに煙はたたないみたいなところあるなって。みんながみんな言ってるのはおかしくない?」
「そう私も思ってたんだけど、でも誰かが言ってたら安心して乗っかれんじゃん? あとは否定できない空気だったとか、乗っかる方が得だったとか、始めは仲良かったけどとか。人の集まりってそういう裏があったりもするじゃん。仲良くなったから曝け出したのにその部分が気に入らないから否定されるって、結構あるあるだよ」
「…………」

 それに対して私からは何も言えなかった。だって私は人付き合いの経験が少ない。中学の頃は部活の数人とだけ仲良くしてたし、そもそも曝け出すような過去は忘れてしまってるし、無いことにするのが正解だったから。
 そんな自分を初めて曝け出した相手もあの美緒莉だし。

「そうなったらもう誰とも何にも話せないし、自分を一つも見せられなくなるよなって思うんだ。だって何言ったって悪口の種にしかならないんだから。そうなると今の誰とも関わらない桐野さんは、もしかしたら本当の姿なんじゃないかって思うの。だって学校もちゃんと来て、勉強だって真面目に受けてる。今まで苦しんだ分、桐野さんの中でたくさん考えた結果、でた答えが今の桐野さんなのかも。一番頑張ってきて、今も頑張ってる人なのかもって、先生の話聞いて思ったんだよね」

 そして、八木ちゃんは言った。

「私、今からでも桐野さんと向き合ってみようかな」

 それは八木ちゃんが何かの殻を破った瞬間だったんだと思う。人として成長する瞬間というか、一歩踏みだす勇気と誠実さ、みたいな、尊い何かが輝いた瞬間に立ち会ったんだと思う。
 その八木ちゃんに、「そうだね」とか、「無理はしないでね」とか南ちゃんと内田ちゃんは言っていた。「何があっても私達が居るし!」なんて。
 それが正解だ。私だってそう言ってあげたい。頑張る友達の背中を押したいし支えてあげたいと思う。
 ……でも、私は言えなかった。
 何もだ。だって頭の中が真っ白になってたから。
 真っ白になって、ハッとして、思考が巡りだすと、

 ――おかしくない?

 こんなはずじゃないという声で頭の中がいっぱいになった。だってこんなの前回と違う。そうなるはずないのに、なんで? なんで八木ちゃんは美緒莉を庇うようなことを言うんだろう。

 前回の私に気をつけろって忠告してきたのは他の誰でもない、八木ちゃんなのに。

 きっと違いが出る何かがあったんだ。なんだろう。前回との違いといったら、今回の私は美緒莉と二人じゃなくて八木ちゃんのグループに入ってることと、みんなの前で先生から美緒莉が褒められたこと。それがきっかけで八木ちゃんの中の美緒莉の印象がガラッと変わった?
 前回の八木ちゃんには根本的に美緒莉に対する警戒心があって、私とだけ仲良くする美緒莉のことを綺麗で優しいからって騙されないように、なんて言い方までしてたのに。美緒莉は人のことを騙す、普通の人とは違う変な人なんだって、何も知らないならSNSを確認しろって――あ、もしかして。

 私だけがみんなと違ったから?

 何も知らないのが私だけだったから。クラスの中で私だけが美緒莉と普通に接していたし、美緒莉は私にしか普通に接していなかったから。だからその外から見た違和感とか不信感に、八木ちゃんの人間関係を気にする部分が引っかかって、何か起こる前にって心配した八木ちゃんが私に声を掛けてくれた――そういうことだ。
 だから今回はそういう流れにならなかったんだ。みんなと違う騙される心配のある私が居なかったから。
 冷たい美緒莉の行動に、変な人以外に自分の中で納得のいく理由がついたから。
 だから、今回の心配の対象が私じゃなくて美緒莉になったんだ。
 ダメだ――そんなのダメ。絶対に危ない!

「私頑張ってみるよ!」

 そう言って微笑む八木ちゃんに、やめた方が良いよって言うべきだった。だって美緒莉は危険な人間だ。こればっかりは私しか知らない事実だから私が忠告するしかない。関わって勘違いされたら依存されて殺される……今回は八木ちゃんがターゲットにされるかもしれない。
 でも、

「……そうだね」

 私は、言えなかった。この友達の背中を押すのが正解で、頑張ろうと前を向く空気の中で流れを壊す言葉なんて言い出せなかった。
 こんなのあの時と同じだ。前回の屋上で美緒莉を怒らせたと感じた瞬間、なぁなぁにして逃げようとした私と。

 ――でも、今回は私じゃないで八木ちゃんの話だし。

 私はバカで臆病者でどうしようもない奴だけど、でも八木ちゃんは違う。もしかしたら八木ちゃんなら美緒莉とちゃんと関わることができるかもしれない。
 そうだよ、今までは美緒莉と仲良くなるのが私だったからいけなかっただけの可能性もあるじゃん。そうだったら今回ついに違う未来が待ってるのかも。そういう可能性だってあるんだから大丈夫。
 きっと止めなくて、大丈夫。


 ――そして、次の日のこと。

「おはよう!」

 八木ちゃんが私の席まで来て私に挨拶をする。それと一緒に、

「桐野さんも、おはよう!」

 笑顔で八木ちゃんが隣の美緒莉にも声をかけた。早速有言実行の八木ちゃんは本当にすごい。すごいと思うけど、あの美緒莉だ。前回なんて話す時目も見ないし、挨拶なんて自分宛だと思ってない方が自然なくらいの無視を決めこんでいた人間だ。
 八木ちゃん、傷つかないと良いけど……。
 ――けれど。

「……おはよう」

 ――返ってきた。
 美緒莉から挨拶の返事が、返ってきたのだ。
 まさかの展開に息を呑むと、慌てて目の前の八木ちゃんの反応を確認する。すると嬉しさのあまりか、うっかり時が止まっている八木ちゃんがハッと我に返ると、

「きょっ、今日のお昼私達と一緒に食べないっ?」

 声をひっくり返しながら更なる歩み寄りを試みる。その展開に私の心臓がドクンと大きく鳴った。だってそれは前回のあの時を彷彿とさせる提案だったから。
 でもまぁ、さすがに大丈夫か。大丈夫大丈夫。だって初めて意思疎通できたようなものなのにその勢いで誘うのは美緒莉にとって踏み込まれ過ぎだろうし、これだけ美緒莉のことを拒絶してる私が居るんだからいくら美緒莉でも気まずくて受け入れるわけなんてないでしょ。
 ――と、飛び出してきそうな自分の心臓を宥めてたんだけど、

「うん。ありがとう」

 美緒莉からまさかの承諾が返ってきて、頭がくらっとした。次はなんで?で頭が一杯になる。
 八木ちゃんはというと、誘った方なのになぜか大喜びで「ありがとう!」と連発すると、「じゃあまたあとでね!」と、途中机にぶつかりながらもふわふわとした足取りで席に戻っていった。多分、頭の中がパニックになってたんだと思う。

「…………」

 そして、自分の席だから逃げようのない私がここに取り残される。美緒莉から何か言われるかなとドキドキしたんだけど、美緒莉は何かを言うどころか、一度もこっちを見ることもなく、そのあとの時間もずっと朝のやり取りなんて何もなかったかのようないつも通りの態度で隣の席に座っているだけだった。

 ――一体どういうつもりなんだろう。

 こんな美緒莉の対応は初めてだった。だって今までの美緒莉と言ったら、当たり前みたいに人の言葉をスルーして、そこに居る人間を存在しないもののように目に映しもしない人間だった――私、以外には。

 やっぱり何か思惑があるのかな。関わることで何かが動き出すのは確かなんだし……。

 ずっとずっと不安で授業どころじゃない気分のまま過ごしてついに昼休みになると、私とは正反対の明るい顔をした八木ちゃん達が私と美緒莉を迎えにきて、私達は五人で中庭のベンチに向かうことになった。

「……はぁ」

 ついお腹の中の不安がため息と共に溢れてしまう。

「? 小山ちゃん体調悪い?」
「え! う、ううんっ、大丈夫」

 なんて嘘。本当はめちゃくちゃ胃が痛い。だってこれ、前回のあの時と同じ流れだし。
 でもみんなは知らないから。何にも知らないし、私とは正反対の心持だから。今ここにはずっと楽しそうだし何かに期待してワクワクした空気が漂ってる。だからそれに合わせるのが正解だから、隠し通さないといけない。

「今日もいい天気だね〜!」

 中庭に出ると空を仰ぎ見る八木ちゃんの言葉にうんうんと頷きながら各々ベンチに座った。
 この中庭のベンチはちょうどこの学校の三十周年に植えられた記念樹の陰にあって、日差しが強い日でもそよそよと吹く風が感じられる心地良い場所だった。
 それと一緒に、私にとっては今回の美緒莉から離れた私が八木ちゃんから教えてもらった特別な場所として私が変えられた未来を実感できる証明書みたいな感覚もあって、だからここにみんなと居られることがすごく嬉しかったのに――それなのにそこに今、美緒莉が居る。

「急に誘っちゃってごめんね、桐野さん。私、ずっと桐野さんと話したいと思ってて」

 そう言ったのはもちろん八木ちゃんだ。その言葉に美緒莉はパンを食べる手を止めて八木ちゃんと目を合わせると、

「うん、こちらこそ」

 と、答えて、ニコリと笑った。
 それには三人も大喜びである。

「本当に?! じゃあその、実は私と内田と南は桐野さんと小学校が同じなんだけど」
「知ってるよ。同じ高校なんだって入学式の時から思ってた」
「え、私達も! 三人で桐野さんのこと話してたんだよ!」
「同じクラスなんて驚いたねって」
「うんうん」
「そうなんだ。それと確か、八木さんとは六年生で同じクラスだったよね」
「! そうっ、そうなの! 覚えててくれてたんだ……!」

 気づけばもうこのやり取りだけで、三人はすっかり美緒莉の虜になっていた。

 三人の時は美緒莉の話してたんだ……私が話題に出さなかったら何も教えてもらえてなかったってこと?

 複雑な気分になる私に気づくわけもなく、「早く声かけてればよかった」とか、「いつでも言ってくれたらよかったのに」とか、三人は半音上がった声で言い合っている。
 そんな中で、「あのね、」と、突然神妙な面持ちをした八木ちゃんが口を開いたので、他の二人が口を閉じた。
 その八木ちゃんは決心を固めたような顔をしていた。

「もし嫌な気持ちにさせちゃったらごめんなんだけど、桐野さんさ、高校入ってからずっと一人で居るじゃん? 私さ、そういうところすごいなと思ってて。私にはそんなことできないから」

 八木ちゃんのその声は澄んでいて、嘘なんて一つもないのがすぐにわかった。だってその言葉の一つ一つに尊敬と感心と少しの卑屈さがのっていて、美緒莉を見つめる目はキラキラと輝いてたから。
 そんな八木ちゃんを私は今、初めて見た。

「人と違う自分の正解を持ってる人だなというか。芯があって、誰にも流されないで自分で自分の正解を選べる人だなと思ってて、ずっと尊敬してたんだ」

 何それ……前回は変な人だって言ってたくせに。気をつけないと騙されるって私に言ったよね?
 本当はそんな風に思ってたなんて初めて知った。そういう感情がありつつ、でも変な人だからって線を引いてきたってこと?
 それか、そういう気持ちがあったから本当は美緒莉と関わるための何かを探ってて、それで気にかけてるうちにそばに居る私に気づいたってこと?
 もしかして、全部私を心配してくれたんじゃなくて、美緒莉とのきっかけにするためだった?
 嘘だ。だって八木ちゃんだよ? そんなことって……ある?

「だからその……小学校の頃はごめんね、助けられなくて。でももう今は違うから。困ってることとかあったらいつでも言ってね。私達で良ければいつでも力になるし……ね? みんな」

 その八木ちゃんの問いに、「もちろんだよ!」と内田ちゃんが言う。「私も!」と南ちゃんが大きく頷く。
 そして私は――、

「そうだね」

 その言葉に、笑顔で頷いていた。
 心の中は大嵐だったけど、今は選択肢がそれしかなかった。