美緒莉は私の一番の親友


 次の日、登校するとすぐに目に入った八木ちゃんの元まで当然のように足を向かわせると、「見たよ」と真っ直ぐに声を掛けていた。その瞬間、八木ちゃんの雰囲気が引き締まるのを見て、緊張感に私もごくりと息を呑む。

「どこまで見た?」
「多分……全部。昨日八木ちゃんが言ってた変わった人って意味がわかるくらいまで。美緒莉ちゃんと八木ちゃんは直接関わりがあったの? 八木ちゃんはどこまで知ってるの?」
「……私は、ちゃんと関わって知ってるのは小学校まで」

 そして、「ちょっと来て」と、八木ちゃんに連れられて廊下の端に出ると、窓際に立った八木ちゃんは外を向きながら、潜めた、ここでしか聞こえない声で、「桐野さんって小学校の頃いじめられてたんだよね」と私に告げた。
 いじめられていた、という言葉にピンと来るものがあってハッと昨日の記憶を辿ってみると、繋がるように不登校だったというフレーズが思い浮かんでくる。確か、小学生の頃も中学生の頃もそうだったって。
 それはいじめられてたからってこと? そういえば、

「親が居ないって書いてあったけど、いじめられてたのってそのせい?」

 思いつくままに答え合わせをしようとすると、

「……まぁ、絶対にこれって理由はわかんないけど、元々可愛かったから興味を惹く分いじめる理由もどこからでも見つけてこられる感じだったよ」

 と、言うと、八木ちゃんは私の勢いを宥めるように外の景色へ目を向ける。

「小学生ってさ、マウント取り合うじゃん? そういう時期みたいな。小山ちゃんの周りにもあったでしょ?」
「あー、うん」

 本当は覚えてないんだけど、確信を持った八木ちゃんの口調に頷いていた。まぁ、いじめられてた時期と重なってるし、全くの嘘というわけでもないか。

「桐野さんって可愛いだけじゃなくて頭も良いし何しても勝てないから初めは尊敬されてたはずなんだけど、段々気が強い子から目につくみたいな扱いされるようになってってね、最終的にはどうにもならない親が居ないとかそういう部分で、みたいな」
「……酷いね」
「うん。私もそう思ってたんだけど、でもそのせいで不登校になった桐野さんが戻って来た時、なんか全然違う人みたいになっててね……なんていうか、すごく明るくなってたんだよね」
「え、明るく?」

 それって良いことじゃないの?と首を傾げる私に、神妙な面持ちを返す八木ちゃん。なんでそんな嫌な感じの反応なんだろう……あ、

「それが今の美緒莉ちゃんってこと?」

 だったら複雑な心境になるのもわかる気がする。無理してるんだよ、みたいな。
 でも私の問いに八木ちゃんはううん、と首を振った。

「なんかそういう良くなった方の感じじゃなくて、毎日やけに楽しそうみたいな、ハイになってる感じっていうのかな……それなのに気づくと死んだ顔してじっと誰の声にも反応しなかったり、もうなんか可笑しくなっちゃった感じだったんだよね。そしたらみんな引いちゃって、いじめとかそういう問題でもなくなって、そのまま小学校を卒業したから中学は知らないんだけど……まぁSNSで見た通りって感じなんだろうなって。卒業の頃も不安定で怖かったから投稿内容もなんか納得がいくっていうか、あのままいったらそういう感じだろうなって」
「…………」
「だからさ、桐野さんのこと可哀想だと思うし仲良くするのも全然良いと思うけど、その分気をつけた方がいいとも思うよ。今は大人しくしてるけど何がきっかけで豹変するかわかんないし……」

 そう言われてハッと思い浮かんだのは、突き落とされたあの日のことだった。さっきまで仲良くしてたのに、お互いにそれを確認しあったところだったのに、突然突き落とされたあの時。落ちた私を見つめる、あの目、あの声。あの、瞬間。

「結構みんなわかってるから距離取ってるんだけど、小山ちゃんは知らなそうだったから。綺麗で優しいからって騙されないようにね。小山ちゃんがそれで良いなら全然良いんだけど、たった一回の高校生活なんだし、普通に楽しく穏やかに過ごしたいじゃん」

 ……そっか、そうだよね。
 たった一回の高校生活、と言われてようやく目が覚めた。
 みんなは私と違って一回きりだとわかった上で、毎日の平穏を、自分の人生を、たくさんの情報の集めながら安全を確かめるように自分で考えて生きてるんだ。一回だって失敗できない中で間違えない方を、危険じゃない方を、みんなの正解を選び取りながら生きている。
 でも私はそうじゃなかった、もう三回目なのに。一回目の私だってそう。今生きてるだけで良いなんて考え方で、毎日親に教えられた価値観の中でただ息をしてきただけ。二回目以降だって美緒莉の考え方の中で私も変われた気になってただけ。ずっと狭い世界の中で、私はそれしかできないでいたんだ。
 でも、今は違う。
 なぜか繰り返す私の世界はそのたびに広がって、今、ここで私は新しい価値観を知ることができた。
 だから……美緒莉とのことについて、ついに答えが出た。

 ――そっか、私が変な人と関わっちゃったからこんなことになってるんだ。

 何度も繰り返すこの超常現象の理由はわからないけど、毎回階段からわざと落とされる理由は確実にわかった。
 記憶があるとかじゃない。私が何かしちゃったとかじゃない。そもそも関わったらいけない人だった、ただそれだけのことだったんだ。

 だって、SNSの内容は本物で、私の前の美緒莉は偽物だったんだから。

 何となく今までSNSに対して、嘘ばっかりで危険だとか、自分とは違う世界の人達しか居ない場所だって線を引いてきた節がある。怖い場所だって腰が引けてたというか。
 でも今回のことで自分の生きてるすぐそばの現実とも繋がってるんだって実感すると、色んな人が生きてるそれぞれの違う世界が一つになる場所で、目に見える表側と潜めている裏側が混ざり合うのが許される場所なんだって、意味のある正しいものとして受け入れる心が生まれた気がする。だからここは私にはわからないすぐそばの現実の嘘と真実が眠ってる、特別な場所なんだって。

 これはきっと、美緒莉と距離を取って八木ちゃんと仲良くならなかったら一生得られなかった感覚だと思う。

 世界を知るためにはきっと同じ価値観で話しあえる友達が必要で、それが今までの私にはなかった八木ちゃんという存在だったんだ。だから今回、こうして答えに辿り着けたんだと思う。
 そうだよ、私を突き落とした美緒莉が言った言葉の意味なんてわからなくて当然だったんだ。だって美緒莉は普通の人とは違う、そういう変な人なんだから。八木ちゃんと私とは違う人間。私は普通で、普通の人間と関わるのが正解。それが普通の人の安全な生き方だって八木ちゃんが教えてくれたんだ。
 桐野美緒莉は私とは違う、私が関わったらいけない人間だったんだ。

 さて。そんなことがわかったところで、今回の三回目。
 もう私は美緒莉と関わってしまっているわけで、つまりこのままだときっとまた私はどこかで彼女のルールの中、突然殺される結末を辿ってしまうかもしれない状況に立たされているということだ。
 偶然の奇跡で三回目のやり直しをさせてもらった私に四回目があるとは限らない。二回目までの私とは違うここまで辿り着いた私なんだから、今回こそあんな怖い思いをしないで普通の人生を続けていきたい。あの痛みはもう身体には残ってないけど、今はもう脳裏に恐怖と一緒に経験がこびりついていた。
 怖い……そのためにはやっぱり、今すぐ美緒莉から離れないと。


「斗亜ちゃん、次理科室だよ。一緒に行こう」
「……あー、うん」

 それは移動教室の時のいつも通りのやり取りだ。一緒に移動する一番仲の良い友達。前回までと距離感は違っても私と美緒莉は結局そういう二人だった。
 でも、それでは駄目なのだともうわかっている。 

「この間さ、斗亜ちゃんが言ってた猫の動画見たよ。初めて猫飼いたいと思った」
「そうなんだ」
「二匹居たけど斗亜ちゃんはどっちの子が好きなの? 毛が長い方? 短い方?」
「……長い方かな」

 このままそばに居るのは危ない。前回までと違って今の私は知っているから。このにこにこ微笑みながら楽しそうに話す裏で美緒莉が私には思いつきもしない何かを企ててること。だってSNSでも計算してるってあった。八木ちゃんにも気をつけるように言われた。あの突き落とされた時だってにこにこ話してた。

「うんうん、長い方の子可愛いよね。お風呂のあと乾かすの大変そうだけど、ふわふわでぬいぐるみがそのまま歩いてる感じがするよね」
「…………」

 ずっとずっと、美緒莉はにこにこ笑ってた。綺麗で頭が良くて優しくて、それなのに私と同じ感覚を持った私の一番の友達だと思ってた。人付き合いが苦手で深く考えるのが得意で、私のことも自分のことみたいに考えてくれる、私が出会えた特別な友達。

「……斗亜ちゃん?」

 でも、そんな人は居なかった。なんでわからなかったんだろう。だから二回も殺されたんだ。私はバカだ。ずっとずっと、ちゃんと物ごとが考えられないバカ。過去の嫌なことが忘れられて良かった、なんて考え方をするバカはこうやって騙されるんだ。
 私が、ちゃんと私のことも周りのことも考えられないでいたから、そこにつけ込まれた。

「…………」

 そうだよ、ほんとにそう。三回繰り返さなきゃ気づかなかったんだから。今回で本当にもう頭が空っぽな私は終わりにしよう。これからは私が私のことを考えていく。美緒莉に頼らなくてもちゃんとしたみんなの中の一人の人間になれる、美緒莉に影響されない人間になるんだ。
 それが私の人生だ。運命なんてロマンチックな言葉に騙された。生きる使命だなんだって、出会えたことが運命だなんて、そんなわけなかったんだ。だって、私が普通に生きるのを阻むのはこの人なんだから。

「斗亜ちゃん、大丈夫?」
「…………」

 生物室につくと、わざと美緒莉に返事をしないまま自分の席に座った。六人ごとのグループで一つのテーブルを使う場合、私と美緒莉は隣の席じゃない。だから、これ以上美緒莉と私が話すことはない。
 何か言われるかな、とドキドキしたけど、何か言いたげな美緒莉は結局何も言わずに自分のグループの机に向かっていったのでホッと胸を撫で下ろした。最近は美緒莉の隣に居ると、ずっと胸の辺りが重たいから。
 でもどうせ帰りも一緒なんだよね……こんなのひと時の安息に過ぎないって、わかってる。
 わかってるけどさ、どうすれば美緒莉と離れられるのかわからないんだよ。だって向こうから来るんだから。

「……大丈夫?」

 目の前に座る体育に引き続き理科でも同じグループの八木ちゃんが声をかけてくれた。気づいてくれたってことは気にしてくれてるってことだ。嬉しい。

「……大丈夫」

 だから心配かけないようにしようって、どんな顔になってるかわかんないけどとりあえず笑ってみせた。でもそんな私をじっと見つめる八木ちゃんが「無理はよくないよ」と、少し重たい、潜めた声で言う。だから、

「……ほんとは、ちょっと辛い」

 つい、本音をポロリとこぼしていた。

「ちょっと、怖いかな……」

 怖い。そう、怖いんだ。美緒莉が何考えてるのかわからなくて、いつ殺されるか気が気じゃない。でも私の状況は特殊だから普通の人には理解してもらえないってわかってるんだけど、

「わかるよ」

 そう、八木ちゃんは私に言葉を返してくれて、それが本当の意味で全てを理解して言ってくれた言葉じゃないってわかっているのに、それでも、その一言が嬉しかった。

「そうだ、今日のお昼ご飯一緒に食べようよ」
「え……でも、きっと美緒莉ちゃん嫌がるし……」
「じゃあ私達が無理矢理そっちに合流するよ。いつも教室で食べてるよね?」
「……うん」

 一回目と二回目のことがあったから、三回目の今回、私と美緒莉は今までとは違って屋上ではなく教室で机をくっつけてお昼ご飯を食べている。
 美緒莉からも別に屋上に誘うような素振りは見せなかったからやっぱり前回までの記憶はないんだって、このまま何もなく過ぎていったらいいなって思ってたんだけど、まさか他の人と一緒に食べるなんて発想はこれっぽっちも思い浮かばなかった。人数を増やすなんて、そんな距離の取り方があったなんて。

「じゃあ、お願いしよっかな」

 絶対にそれが正解だって、感動に引っ張られるまま、私は八木ちゃんの提案に甘えさせてもらうことに決めた。
 八木ちゃんはなんて優しいんだろう。
 私のためにこんなに動いてくれる人が居るなんて、ずっとずっと知らないまま生きてきたなと思う。これも全部三回目の私だから知れたことだ。一回目の時からずっと八木ちゃんはこのクラスに居たはずなのに。
 人と繋がることって大切なんだな……今回こそ、このご縁を絶対に大事にしよう。
 それが知れただけで繰り返せて良かったなと思う。殺されるのが美緒莉と関わった時点で決められたことだったなら、それでも三回目があったのはこれを知るためだったのかもしれない。
 きっと神様がチャンスをくれたんだ。きっと、きっとそう。


 そうして迎えた昼休み。
 当たり前のように机をくっつけた美緒莉と私の前に八木ちゃんと、八木ちゃんと仲の良いクラスメイトの内田(うちだ)さんと(みなみ)さんがやって来た。

「今日さ、一緒にお昼食べようよ」

 八木ちゃんが笑顔で声をかけてくれる。その表情がどこか硬いのは八木ちゃんも緊張してるからだと思う。美緒莉がどんな反応を返すのか心配しているのだ。もちろん、私も。
「え……」と驚いたような声を漏らしたのは何も知らない美緒莉だった。そしてすかさず私の方へ顔を向けると、表情を確認するように私のことをじっと見つめて――

「……斗亜ちゃんはどうしたいの?」

 突き刺すような鋭い視線を、声を、私に向ける。
 誰も何も言わない。当然だ、私が訊かれてて、私が答える番なんだから。
 言わないと、自分の気持ちを。口に出さないと、自分の考えを。大丈夫、八木ちゃんが居るんだから。
 はっきり、ちゃんと離れないといけないんだから。
 ――でも、

「たまには、良いと思うけど……な」

 美緒莉の、顔が怖い。
 冷たいその表情は初めて見た美緒莉の私を責める表情だった。今にも、何かが決壊しそう。
 これは、間違いだった?

「……そうだね。たまにはね」 

 笑顔の形を作った美緒莉が私の言葉を受け入れると、「じゃあ机つけよっか」と八木ちゃんが場を仕切ってくれて、ぎこちない動きになりながらもみんなで五人分の机をくっつける。
 でも美緒莉はその間一言も話さなくて――そのまま冷たくて重たい空気のまま、お昼ご飯の時間を過ごすことになってしまった。
 八木ちゃんと私はともかく、二人は何でこんなことになってるのかもわかっていなかったようで、じっと息を潜めてひたすら食べ物を飲み込んでいる。可哀想すぎるし、とてつもなく気まずい空気が漂う中、

「そういえば、明日ってめっちゃ雨予報だよね」

 八木ちゃんが、一歩踏み出してくれた。さすが八木ちゃんだ。

「私自転車だから雨困るんだよ〜」
「そういう時はどうやって来てるの?」
「バスで来てる。だからいつもより朝早く出るんだよね」

「朝の十分って夜の三十分ぶんの価値あるよね」と真面目な顔して言う八木ちゃんに自然と笑いが込み上げて、「そういえば私もね、」と他の二人も話し出す柔らかな空気が漂い始めたんだけど、

「斗亜ちゃん、食べ終わったよね? ちょっと着いてきてもらっていいかな」

 美緒莉の一言で、漂う柔らかさがピシリと凍りついた。せっかく八木ちゃんが頑張ってくれたのに……台無しだ。
 隣の美緒莉はもう立ち上がっている。どうしよう、どうするべき? 八木ちゃんも私と同じように焦ってるし、二人はちょっとホッとしてる……ってなると、答えはもう決まってるよね。
 確かにちょうど私は今食べ終わったところで、断れる理由も見つからない。三人にも申し訳なくていたたまれないし、もうこの時間はここまでだと思う。

「……うん、いいよ」

 ありがとうと三人に告げて、美緒莉が通り過ぎたうしろでこっそりごめんねを伝えた。そしてそのまま美緒莉の後に続いて教室を出ると、振り返った美緒莉は冷たい顔のまま私を確認して、何も言わずに進み始める。
 その行き先に嫌な予感がした。だって一度外に出るこの先は――……

「ちょっと待って。どこに行くの?」
「どこって、二人になれるところだよ。教室じゃ人が居るから」
「なんで二人になる必要があるの?」
「じゃないとゆっくり話せないから。斗亜ちゃんに訊きたいことがあるの」

 そして、美緒莉は言う。「邪魔されたくないんだよね」と。もうわかったよねとでも言うように、前へ向き直った美緒莉は淡々とまた足を進め始める。外階段を上がった、屋上に向かって。
 まずい、絶対にヤバい!

「わ、私、行かないよ」

 勇気を出して断ったけど、私の声は美緒莉に届いていないみたいで、足を止める素振りも見せずに行ってしまう。
 ……どうしよう、このまま放って逃げちゃうべき?
 足が動かない。逃げるなら今だ。どうする? 何が正解?
 八木ちゃん助けて……!

「八木さんのところに行くの?」
「!」

 まるで心の声が聞こえたようなタイミングの声かけにギクリとすると、そんな私を振り返った美緒莉はじっと見つめて、にこりと笑った。

「斗亜ちゃんが選ぶなら……それでもいいよ」

 ――それってもしかして、八木ちゃんに被害が出るってこと?
 階段から落ちたあの時がフラッシュバックする。
 今私が間違えたら、今度落ちるのは私じゃないかもしれない……。

「……行くよ」

 もうそれしかないのだと、理解した。
 三回目の今、私はまた美緒莉と屋上へ向かっている。
 同じ光景を脳裏に浮かべながら、もうおしまいかもしれないと、覚悟を決めた。