美緒莉が学校に来なくなって、誰も話題に出さなくなって、美緒莉の存在の追い方がわからなくなっていた。
今までを思い返しても家族のこととか、どこに住んでるのかとか、そういうものを美緒莉の口から聞いたことがなくて、どこで何をしてるのかも検討がつかない。
そういえば私、美緒莉について本人からちゃんと訊いたことなかったな。
SNSだの八木ちゃんからだの他人の噂話ばっかりで、勝手に知った気になっていた。頭がおかしい奴、なんて決めつけて。
殺されてるんだからしょうがないけど、でも、もっとちゃんと向き合えたかもしれないのに、そうしなかったのは私のせいだ。ようやく知れたのにもう美緒莉は学校に来ないし。
……でもなんで今回だけ来ないんだろう。
やり直してるのはいつも私だけで、美緒莉はリセットされて同じ出だしを繰り返すはずなのに。
違うことが起こるってことは、違くなる何かがあったってことだよね?
席に着いた瞬間からスタートするからそれ以前は変えようも変わりようもない。スタートから美緒莉の行動を変えるなら今回の始まりよりもっと前で何かの変化がないといけない。
スタートより前なんて存在しないからもっと前ってなると、前回の最後とか?
前回の最後――そうだ。最後、いつもは私だけだけど、一緒に美緒莉も階段から落ちたんだった。それで二人とも地面に転がってて、そこで美緒莉がごめんって謝って――もしかして、
美緒莉も私みたいに戻ってきて繰り返してる?
ありえないことじゃない。私は毎回落ちて意識が途切れることで元に戻されてるから、あの時の美緒莉が同じように元に戻されて記憶を持ったまま最初の日を向かえたんだとしたら、いつもと違う動きが出てもおかしくない。
え、じゃあ今この瞬間も前回のままの美緒莉がこの世界のどこかに居るってこと?
嘘、そんなことある? でもそうだとしたら今回だけ違うのも納得がいく。
会いたい。だったら会って、話がしたい!
美緒莉の言ってることがわかったよって、美緒莉は私のこと本当にわかってくれてたんだねって、私達またお互いに知り合うことはできるのかなって、それで――それで、ごめんねって、言わないと。
私は美緒莉に酷いことをした。何も知らなくて必死だったとはいえ、酷いことを言った。もういらない、なんて、なんて酷い言葉だろう。
傷つけて、怒らせて、その上で最後には謝らせた。過去を知らない私が自分の都合で喚いて、美緒莉の今までを全部価値のないものにしてしまった。
そっか、だから美緒莉は学校に来ないのかもしれない。
だって学校には私が居るから。美緒莉は全部覚えててこんな私が居る学校になんて来たくないんだ。美緒莉が好きだったのは今の私じゃなくて過去の私だって、もう違うんだって美緒莉もわかってるはずだから。
今の私は美緒莉にとって傷つける存在でしかない――。
次の日、次の日と、毎日が過ぎていく。
みんなは私が、疲れない?とか、楽しい?とか言い出したのなんて忘れたみたいに変わらず接してくれたから、仲間外れにされるようなことは起こらなかった。
だからもういいやって必死になって流行りを追うのもやめてみたんだけど、みんなはそんな私すら『そういう時期もあるよね』なんて受け入れてくれて、本当に嬉しかった。嬉しかったけど――きっとこれ以上はないんだって、私を虚しくもさせた。
声をかけてくれる友達が居て、変なこと言っても気にしないでくれて、毎日ひとりぼっちの時間なんてなくて――それなのに、何か物足りない。
物足りないんだと、私は知っている。
求めてるものがある。満たされた状態に覚えがある。
感覚が似ていて、お互いの伝えたいことをそのまま語り合える、知らない新しい見解をくれて、全力で向き合ってくれる人。この人とじゃないと通じ合えないと、思わせてくれる人。
――美緒莉。
自分勝手だなと思う。自分の都合で突き放したり、傷つけたり、恋しく思ったり、私って本当に最悪だと思う。
でもやっぱり私、もう一度美緒莉と会って話がしたいと思うんだ。
謝らせて欲しい。何も知らない私のせいで傷つけたこと。そして今の私が美緒莉に対して何を思ってるか、少しでいいから聞いて欲しい……だけど、美緒莉は私に会ってくれるかな。
もしかしたら先生にお願いして美緒莉の住所を教えてもらえる可能性もあるかもしれない。友達伝いとか、それこそ八木ちゃんとか。やろうと思えば会うこと自体はなんとかなるのかもと思う。
だけど、
もう美緒莉は、私になんて会いたくないよね。
だって全部忘れた私は別の人間だから。美緒莉の求める私じゃない。美緒莉の気持ちなんて関係なく否定して傷つけた、自分勝手な最悪な人間。
今の私のままじゃきっともう会ってすらもらえない。
……美緒莉の親友だった過去の私ってどんな人だったんだろうな。
私達の過去には一体何があったんだろう。私達はどこで出会ったの? どんな関わり方をして、最後はどうやって別れたの?
過去の私が私の中に戻ってきたらいいのに。
そうしたら、美緒莉のことももっとわかるのに。
私が過去を忘れてしまったのは自分の命を守るためだって言われてる。それに納得してるから今までずっとそんな自分に無関心でいたし、必要性を感じてもそのために必死にはなれないというか、思い出すこと自体に無意識の抵抗があったと思う。
でも、今は違う。
だってその頃の私には美緒莉がそばに居たんでしょ?
辛い毎日の中のどこかに美緒莉が居て、美緒莉に心を開いて、ひとりぼっちじゃない私が居たはずだ。
辛い出来ごとと一緒に消されてしまった大切な思い出がきっと。自分達の命のやり取りをするほどの強い繋がりが。
だったら私は思い出したい。
辛くて怖い記憶だったとしても、全てをなくしてこのまま生き続けたりなんてしたくない。
たとえ嫌われて今の美緒莉と会えなかったとしても、私の中の足りない何かを取り戻して、本当の私になりたい。
きっとそれが美緒莉と出会って、何度も私を繰り返す意味。美緒莉と私がもう一度出会えた意味。
――記憶を取り戻そう。
具体的にどうやって?
地味で誰の印象にも残らない私にはあの日何があったのかって誰かが覚えてくれることもないから、SNSが盛り上がったってこともないし、思い出すきっかけもない。
……誰も覚えてない?
いや、違う。絶対に知ってる人が一番近くに居るじゃないか。
そう、両親なら私のない部分の全部を知ってる!
なんで気づかなかったんだろう! ずっと話題に出したらいけないとか、聞いても教えてもらえない、忘れないといけないって無意識にその線を考えないようにしてたんだ。でももうそんなことも言ってられない。だってそれしか方法はないんだから。
――向き合わないと。
「お母さん」
その日はちょうどお母さんの仕事が休みの日だったので、学校から帰ってすぐのリビングで、私はついにそれを口にした。
「私の記憶がない頃のことなんだけど」
途端に、さっと真顔になったお母さんが背筋を正して私に向き合うと、「思い出したの?」と訊ねてくるので、ううんと首を横に振る。
「じゃあ何?」
怪訝そうにするお母さんと真っ直ぐに向き合う。このあとに続くのがいつもの拒絶されたり威圧されたりする対応だったとしても、もう引くつもりはない。
「教えて欲しいんだよね。何があったのかもそうだけど、その頃どんなことをしてたとか、どんな友達が居たかとか、その当時のことを」
「なんで?」
「なんでって、思い出したいからだよ。忘れちゃった分を全部取り戻したい。あの頃のことを知らない私じゃずっと足りない私のままだから」
「…………」
私の答えを聞いたお母さんは、ぐっと何かを堪えるような顔で黙ってしまった。そして、
「……でも、せっかく忘れられたのに?」
困ったように眉間に皺を寄せて、「負荷が大きすぎるから無意識に守ってるのかもって病院の先生も言ってたし、ずっとお母さん達も言ってきたよね?」と、確認するようにいつもの説明を私にする。
「もしそれがきっかけで思い出したらもう、今の状態の斗亜には戻れないんだよ。そこまでちゃんと考えて言ってるんだよね……?」
こうやって確認して、正しい選択はわかってるはず、と私に選ばせるのがいつものお母さんの答え方だった。そして、何度も説明させないで、というこれでおしまいの雰囲気を漂わせて。
でも、なんだか今日のお母さんはいつもと違った。今までよりどこか柔らかいというか、言ってしまおうかと悩んでるようにも見えるような……それどころか聞きいれてもらえそうな隙すら感じる。
今までずっと私が少し口に出しただけでピリついて怖くなって、心配してくれてるのがわかってても怒られてるのだと感じてしまうくらいだったのに。
だったら今だ。もっと押してかないと。伝えないと何も変わらない。
私の思ってることを今、全部伝えないと!
「私ね、今までずっとお母さんの言う通り、思い出さないのが正解だって信じてきたの。辛い記憶なんてない方が良いに決まってるって。覚えてないけど私、いじめられてたんでしょ? それで車道に突き飛ばされたんでしょ? そんなの普通じゃないもんね。お母さん達も心配しただろうし、引っ越ししたり、必死に私を守ってくれたのもわかってる」
「…………」
「でもね? 私、その辛い私も本当は今ここに居るべき私なんじゃないかって思うようになったの。過去の私と今の私は別だと思ってて、忘れられたから今の私が居るんだけど、忘れたせいで居なくなっちゃった私と、忘れても根本的な部分で変わらない私が居るっていうか、そういうね、自分ってなんだろうとか、普通ってなんだろうって考える内にわかってきたことがあって、でもそれを教えてくれた子と喧嘩して、傷つけちゃった」
お母さんは黙って私の話を聞いていた。こんな風に自分のことをお母さんに話すのは初めてだった。
「その子はね、過去の私を知ってたの。知ってて、その頃の私のことをずっと覚えててくれた子なんだけど、だけど私、何も覚えてなかったから、なんでそういうことになってるのかとか、どんな気持ちで今居るのかとか何もわからないまますごく酷いこと言っちゃって……それでそのまま学校で会えなくなっちゃって、謝れてないままなんだ。すごく、すごく大切な友達だったはずなのに」
口に出しながら自分の行いへの後悔でいっぱいになる。記憶がなくて何も知らなかったとしても美緒莉はずっと私を信じてくれていた。そういう思いはずっと私に届いてた。でも美緒莉の行動と言動が結び付かなくて、どうしても怖いものにしか思えなくて避けて否定することしかできなかった。
なんで本人ともっと向き合えなかったのか、あんな形でしか思ってることを言い合えなかったのかって、自分が嫌で仕方なくなる。
でもこれも所詮、ようやく美緒莉の言っている意味がわかった今の私だから言えることで、その時の人付き合いの経験もたいしてなくて、世間のルールみたいなものも知らなくて、見聞きしたまま受け取るような考え方の浅い私には到底できなかったことだってわかってるけど。
「私、その子にもう一度会いたくて、出来れば仲直りしたいと思ってる。そのためには私がちゃんと全部を思い出す必要があって、私はそういう私になりたいと思ってるの」
「そういう私?」
「過去の辛さもその子の全ても全部受け入れられる私に。今居る私だって私だけど、それが嫌なわけじゃないけど、でも本来ここに居るはずの私ではないと思うから。辛さとか怖さとかも全部受け取って、自分の全部が揃った私の、これが私だって胸を張れる価値観で新しい世界を見ていきたい。そういう私じゃないときっとまた傷つけて終わるだけになっちゃうと思うから」
「…………」
「だから、その頃の私についてとどんなことがあったのか、詳しく教えて欲しいんだ。聞いても何も思い出せないかもしれないけど、それでも過去を背負って、記憶を追いかけ続ける私で居たいから。私は、私を取り戻したいんだ」
自分で自分の思いを口にしながら、あ、私ってこう思ってたんだ、って気づく自分がいたりして、すらすら口から出てくる言葉達になんだか不思議な感覚がした。
もしかしたら思いって、外に出すとそれをきっかけに次々勝手に繋がって心の奥の知らない部分まで見えてくるのかもしれない。
自分の感覚とか考えって、見えないところでそれぞれの理由になってて、答えになってて、人に伝えようとする時にそれが全部外に出るために繋がってくれるのかもしれない。
だから人は一人だと息苦しくて、誰かに見て欲しい、聞いて欲しいと願うのかもしれない。そうすればきっと全ての思いが外に出て、そこに本当の自分が見つかるから。
「……びっくりした、こんなに考えてたなんて……いつの間にか強くなってたんだね」
私の言葉を受け取ったお母さんが、ぽつりと呟いた。
「いや、違うか。もともと強い子だったよね、斗亜は。芯の通った強くて優しい子だった」
そう言うと、どこかスッキリとした顔で私を見る。そこからお母さんの決心が伝わってきた気がした。
「記憶がなくなる前の斗亜はね、みんなを仕切るリーダータイプの子だったの。気が強くて頑固で間違ってると思えば立ち向かっていくし、困ってる子には寄り添ってくれるからみんなから信頼されてたんだよ」
「意外すぎる……」
「そうかもね。なくした記憶と一緒にガラッと性格が変わったから……尖ってた部分が落ち着いたというか、おおらかになったというか……優しいところは何も変わってないんだけど、多分強い斗亜はこんなことになる原因と繋がっててね? 自分でなくしちゃったんだろうね」
「……原因と繋がってるっていうのは、いじめられたこととってこと?」
私の問いにお母さんは傷ついたような顔をすると、「そうだね」と申し訳なさそうに頷いた。
「私達も先生も問題があるのを把握していたんだけど、いつもの友達同士の諍いだと思ってたの。斗亜は小さい頃から真正面からぶつかるタイプで、こういう揉めごとがよくあったから。もちろん心配してたんだけど、斗亜は絶対に入ってくるなって言い張ってた。負けたくないんだって。勝ちとか負けとかじゃないって言ったんだけど斗亜の中で親とか先生に頼るような卑怯な手を使いたくないみたいな信念があったみたいで……」
「いや、どんだけ頑固なの? え、卑怯な手って言ったってさ、いじめられてたんだよね?」
「初めは一対一だったはずなんだけどね。そうじゃなくなってからは私はいじめだと判断してる。斗亜は認めなかったけど」
「意地になってたのかな……まぁでもなんか、そういうところあるかも」
そうじゃないと思ったら違うって言っちゃったり、意味がないことなら楽しくないから必要ないって考えちゃったり。いじめられるのが平気ってことは絶対にないけど、自分の中での軸みたいなものがあるなってみんなの普通に合わせる中で気がついた。
美緒莉のこともこうだと決めつけて認められなかったし……美緒莉はそんな私のズレたところにも気づいてたみたいだけど。
「ちょっと普通じゃないね、それで最終的に突き飛ばされてるんだからヤバい奴じゃん私」
「そんなことない」
思わず笑っちゃった私に、怒った顔で泣きそうなお母さんがピシャリと言った。
「美緒莉に助けられたって子が何人も居たんだよ。美緒莉は代わりに戦ったの、一人で。誇りに思ったよ、お母さんは。でもなんで一緒に戦ってくれなかったの?ってその子達のことを心の中で責める自分を、そもそももっと早く介入してればこんなことにならなかったのに何もしなかった自分を、すごく情けなく思った。だからもう二度とこんなこと起こしちゃいけないって心に誓って、引っ越しして、中学校の間は全部把握できるようにしてきたの。でもきっとあなたを管理してたともいうと思う……今あなたと話して気づいたの」
そして、「ごめんね」とお母さんが涙をながした。
「きっと知らないままで良いことなんてないよね、斗亜の人生なんだもん。また同じことが起こったら怖いのは私達大人の方で、斗亜はきっと記憶があっても自分で向き合って乗り越えたと思う。そういう強さを持った人だから。向き合うと決めた今の斗亜みたいな」
「お母さん……」
大泣きするお母さんに胸がギュッと苦しくなってズキズキと痛んだ。この感覚を知ってると思った。もう泣かないで、私が悪いんだからって。私が弱いのがいけないのって――そう。弱い自分を見せられる強さが私にはなかった。そんなの誰にもバレたくなかった。知られたら情けなさで自分が大嫌いになっちゃうと思ったから。
始めからわかってたんだもん、自分が折れれば終わることだって。でもそんなことできなかった。大人を心配させてるのはわかったけど引けなかった。だってアイツら本当にくだらない奴らで……って、あれ?
「……私が轢かれたの、青葉公園だよね?」
「!」
ハッとした。お母さんも同じ顔で私を見て、うんと頷く。
「思い出さないように場所は教えてなかったはずだけど……」
「うん。なんか今、頭の中に浮かんできて……お母さんが泣いたら、するする繋がって。お母さん前も泣きながら私に謝ったよね?」
「! ……そうだね。口を挟むなって言われて、心配してるんだって……頼りにならない親でごめんねって……」
「その時私、何も言わずに部屋にこもったけどさ、私が悪いんだよって、ごめんねって心の中で謝ってたな……弱い自分がどうしても見せられなかったの、強い自分が好きで、それが自分だって思ってたから。だから言えなかったの……ごめんねお母さん。お母さんも先生も何も悪くないんだよ」
そして、ごめんねと何度も口にして大泣きするお母さんと一緒に私も泣いた。記憶の中の私が見せられなかった涙の分だけ、思い切り。
「ありがとうお母さん。全部思い出した。今までずっとずっと私を守ってくれてありがとう」
経過や結果がどうであれ、それだけはずっと変わらない真実で、だから私は私として今ここに居る。
「こちらこそ……許してくれて、頑張ってくれてありがとう」
お母さんの言葉に、心の中の雨雲が去って、太陽が顔を出した心地がした。
――あぁ、なんて清々しいんだろう。
ついに、ついにだ。
ついに私は記憶を、全てを取り戻すことができた。
私の中に私が戻ってきて、抜けた部分がピタリとはまった感覚がする。
なんで忘れてたんだろう、こんなにも私は私で、どんなに何があっても私でしかないのに。
言い切れるハッキリとした感覚があった。ここに居るのは紛れもなく自分だという自信に溢れる世界は眩しくて、だから私は――今すぐ私が犯した過ちと向き合わなければならないと思った。
「お母さん。ちょっと行ってくる」
「え? でも記憶が戻ってきたばっかりなのに……」
「うん。でも今すぐ行かないといけないの」
だってこのために思い出したんだから。
今ならわかる。美緒莉なら絶対あそこに居るだろうって。



