――そしてまた、私は戻ってきた。
繰り返されるこれもついに五回目。
そわそわとしたクラス内の雰囲気に、机に貼られた私の苗字。そんなものにもう驚くことはなくなっていて、今の私の頭の中を占めるのは、“また始まってしまった”という重たい疲れのようなものだけだった。
だって、あんなに頑張ったのに。
ようやく美緒莉の本音も聞けて、毎回突き落とされる謎も解けたのに、また一からやり直しってことでしょ?
もう一度私に同じことができる?
――できないと思う。もう私には同じ熱量を持って前回と同じように今回を生きていく気力がなかった。
だってそれって途中まで読んだお話をもう一度読み直さなきゃならないみたいなものだ。それも辛い目に遭うことが決まっていて、それを乗り越えないとならないのに結末には辿りつけないお話。そんなの前向きになんてなれるわけない。
頑張ってようやく辿り着いた答え、進んだ人間関係、自分に対する考え方、明日を生きていくことへの決意。そんな全部がないことになってしまったこの虚しさだってどうせ誰にもわかってもらえない……だってもう今は私の記憶にしか残ってないんだから。
繰り返すのは私だけなんだから。楽しかったベンチでのひと時も、ぶつかりあって嫌なことを言い合ったあの辛さすら――もうみんなの中に存在しない私の妄想みたいになってしまった。口に出したってただの私の嘘になるだけの……あ。
『ぜーんぶ嘘になっちゃったってことなんだね』
これって、屋上で美緒莉が言ってたことと同じだ。
そっか、あの時の美緒莉はこんな気持ちだったんだ。
あの時は真正面から否定するしかない状況だった。でも、自分の中で一番大事にして頑張ってきたことなのに忘れられたら悲しいし虚しいし、否定されたら絶望するよね。しかも期待していたはずの私に。そりゃあ美緒莉も全て曝け出して怒ると思う。
でもさ、あの時はそうするのが私達にとっての一番良い選択だったと今でも思うよ。今の私が何も覚えてない今の美緒莉に縋ったって意味ないでしょ? 同じ関係を築くなんて不可能でしょ?
――あれ? そうだよ、不可能だ。
同じ関係なんて築けない。だって同じ道のりをまた繰り返すには私が変わり過ぎていると思わない?
そうだよね? だって今の私はもう何も知らない私じゃないんだから。
だからこれは今の時点でもう同じお話じゃないんだよ。同じになんてしなくていい。自分の知ってる情報と向かいたい未来を目指していいし、もしかしたら気づいた今からもう向かい始めているはず。新しい私達の関係へ。
じゃあ具体的にどうしていく?
今の私は美緒莉の真実を知ってるから、それこそ始めから美緒莉に全てを話して理解してもらって、二人にとっての一番良い関わり方を探っていくべきなのかも。そうすればもう私を殺そうとする美緒莉は居なくなるってことだし……そうだよ、だって美緒莉はただ頭のおかしい人間だったってわけじゃないんだから、ちゃんとわかりあえれば始めの頃みたいな私達になれるかもしれない?
――うん、なれると思う。
何回目の美緒莉だとしても美緒莉は私のことを避けようと思ってないから、ちゃんと話せばきっと今の美緒莉も私の話を聞いてくれるだろうし、そうすればきっと美緒莉との関係も一番良いものになるかもしれない!
それこそ、一回目の私達みたいな親友に!
その未来がくると思うと途端にわくわくして、だとしたら始めが肝心だ!と、早速このあと隣の席にやってくるはずの美緒莉との挨拶を、記憶を辿って何度も何度も心の中で練習した。
きっと今回も名前を聞かれるはずだからとか、そしたら今回は私からとか、しっかり作戦を立てて準備万端で。
――でも。
キーンコーンカーンコーン
チャイムと共に担任の先生が教室内に入ってくる。
……あれ?
誰も居ない隣の席。机に貼られた苗字は美緒莉のもので間違いないのに、待っても待ってもその日、美緒莉は現れなかった。
そんなこと、繰り返してきた五回目で初めて起こった出来ごとだった。
+
一体何が起こってるんだろう。
「欠席は桐野だけ、と。じゃあ朝のホームルームはここまで。号令」
担任の先生の声掛けで日直が号令をかけると、いつも通りの一日が始まった。
今日も美緒莉は学校を休んでいる。気づけば入学式から一度も顔を出さないまま一週間が過ぎていた。
空っぽの美緒莉の席を眺めていると、
「桐野さん来ないね。このまままた不登校になるのかな」
通りすがりの八木ちゃんに、声をかけられた。前回と違って八木ちゃんのグループに属してる訳じゃないけど、八木ちゃんはこうやってぼつぼつ声をかけてくれる。多分クラス全員にそうやって接してる人で、そういうところが八木ちゃんの良いところだと私は知っている。
でも、
「心配なのかもしれないけど、あんまりそういうこと言わない方が良いんじゃない?」
こうやってまた不登校だとか言って、美緒莉の何かを匂わせてくるのは相変わらずだなと思った。やっぱり八木ちゃんの中で美緒莉は特別なんだろうけど、それは美緒莉にとっても八木ちゃんにとってもよくないことだと思ったから、今回は始めからきちんと線を引いた対応を取らせてもらう。
すると、
「あ、そうだよね。心配でつい、ごめんね。気にしないで」
誤魔化すようにそう言うと、慌てて八木ちゃんは去っていった。
それ以来、八木ちゃんから美緒莉の話題を振られることはなくなって、他の人からも今まで通り美緒莉の話題が出てくることはないから、ついに私の毎日から美緒莉の存在が消えた。美緒莉と一切関わりのない、私だけの人生が始まったのだ。
+
「これヤバイ盛れてんの見て!」
「うわ、めっちゃ可愛い」
昼休みの教室。スマホを片手につい昨日撮ったという画像を見せられて私が返した返事がこれだ。
「昨日のユリの更新見た?」
「見た。彼氏頑張ったよね」
「お似合い過ぎて羨ましい」
これは周りのクラスメイト達が友達のアカウントを覗きながら語り合う言葉。
「推しが今日も笑顔で存在してるこの世界に感謝」
「あ、こないだの被り交換してくれる人すぐ見つかったんだよね。お互いの推し語りまでしてくれた」
「何それ神じゃん」
誰もが居るらしい推しについての話とか、
「どうやってもこの顔になれないんだけどなんで?」
「土台じゃない? 下地何使ってる?」
「美しさって結局は努力と金だよね」
今流行りの顔になるための美容関係の話まで。
前回までの私には一切の関わりがなかったクラスメイトと今、私は普通の高校生らしい毎日を過ごしている。
ついに美緒莉が居ない毎日がやって来て、どうするべきかたくさん考えた。今回こそ美緒莉とうまくやっていけるかもしれないと思った矢先のことだったから、私の中で肩透かしみたいなものと、若干の寂しさみたいなものが織り混ざって虚しい気持ちになっていたんだけど、前回の屋上で言われた美緒莉の言葉を思い出したのだ。
『斗亜ちゃんみたいな人が普通に生きてみんなの中に馴染めるわけがないって言ってる』
その言葉に今になってもカチンと来て、だったらやってやろうじゃんと思った。美緒莉が言う通り私は地味だから普通にみんなに混ざれるし? どっからどう見たって普通の私がみんなと同じ世界を生きられないわけがないじゃんって。
それに四回も繰り返した私はだいぶ人との付き合い方がうまくなってると思うんだ。みんなのルールがちょっぴりわかった気がしてる。多分だけど、みんなにはみんなの正解があって、それがみんなを作ってるんじゃないかって。
八木ちゃん達のグループに居た頃を思い出すと、あれがグループの作り方のお手本なのかなって思った。同じ正解を持つものが仲間、みたいな。だから世界の大きい流れ――いわゆる流行りをちゃんと掴むことがこれにあたるんだと思う。
流行りはみんなの正解でそれに近づこうとするみんなを作るものだから。
「これ良くない?」
「めっちゃ良い〜!」
「頭身で見るべき。つまり身体は縦に伸ばし顔はひたすら小さく」
「やっぱこのチークが優勝」
「このために生きてる」
「おかげさまで私もすっかり沼にハマってます」
いつもの雑談の中にこうやって良いものの正解が紛れてるから、一個ずつ拾っていって自分でも調べてみて、「そうだね」、「私も」って、その情報を使って会話をする。そうすれば大きくズレることはないし、同じ存在に自分もなることができた。
「え、斗亜のネイル可愛い」
「でしょ? この間のサロン行ってみた」
「いいなー! 私も次のバイト代入ったら行くわ」
そして、「斗亜センス良いよね」なんて、今までの私だったら絶対に言われてない言葉をかけてもらえるまでになって、信頼を重ねるうちに悩み相談なんかをされたりなんてすることも。
それでわかった。
今までの私が人から選ばれなかったのは、美緒莉を意識し過ぎてみんなが見えなくなっていたからだったんだって。
自分の中のみんなと同じを作っていけば、私もこの世界でみんなに混ざれる価値のある人間になれるんだって。それが五回目の私が辿り着いた答えだった。
+
美緒莉は四月を終えて五月の終盤を迎えてもまだ、学校にこなかった。
「斗亜、聞いて〜」
けれど、今日もみんなの中で私は必要としてもらえてる。だから問題ない。
「これ可愛いんだよ」
「推しのドラマがアツくてさ」
「アイドル体重の計算式あんの知ってる?」
でもそのためには毎日の努力が必要だ。常に情報を取りこぼさないようにしないといけない。だからSNSってすごく便利なんだけど、
「昨日の投稿見た?」
「新作ヤバい」
「あれ見てないの? 損してるわ」
なんか、ずっとずっと追い続けなくちゃならないのが思ったより忙しくて、疲れる。ずっとずっと追えるからこそ疲れるんだと思う。
「……よくみんな疲れないね」
ずーっとスマホ片手に丸くなって話してるみんなに、ついそんな嫌味みたいに聞こえてしまう言葉が溢れてしまった。
そんなつもりはなかったからヤバいと思ったんだけど、でもみんなは私の言葉にピンと来てない顔で、「何?」と返してくれたので、雑談の流れにのって素直に答えることにした。
「ずっとスマホ見てるのって疲れない?」と。
すると返って来たのはまさかの大爆笑。
「ババアじゃん言ってること」
「斗亜そういうとこあるよね〜」
そして何ごともなかったようにまたスマホに視線を戻すと、「そういえばさ、」と、だらだらと話し始めるからびっくりした。だって本当になんでもないことみたいにどこにも着地しないで会話が終わったから。
そうしてあれ?と思う。そういえばみんなとの会話ってワンターンで終わったり、ワンパターンなこと多いなって。繋いで続けて広げよう、みたいな感じがいつもないかも。
聞いて、見て、そうなんだ、良いね、それで終わり。
それってもしかして知ったこととか感じたことをそのまま受け取って口に出してるだけってこと?
それがスマホだとしたら、そのままスマホの中にあるものが自分の中に入ってくるだけで、その情報に追われるとか自分に重ねて考えるとか、そういう感覚はないってこと?
例えばSNSを見てる時。私はどんどんどんどん、自分の時間が削られていく感覚がある。次々に気になる情報とか意見が流れてくるから追ってるうちにやめ時が見つけられなくなってたり、あれこれ覗きにいかなきゃならないところが増えちゃって日課に追われているような状態になってたりして。
自分の自由時間の中でスマホを持ってない時間がどんどん減っている実感があるし、そうじゃないと不安な自分すら今は居る。だって置いてかれたら普通の中に混ざれなくなってしまうから。
そういうやらされてるとやらなきゃの間に挟まれて、頭の中は情報をまとめるので休まらなくて、学校ではみんなとどう合わせようか考えて……常に何かに支配される原因だと思うともう、みんなと居る時くらいスマホから解放されたいって思っちゃうんだけど、この感じだとみんなは違うってことなのかもしれない。
すると、私が納得いってないと感じたのか、ただ思い出したからなのかはわからないけど、さっきの私の問いの答えがだいぶ遅れた今になって返ってきた。
「まぁ、逆にあったほうが楽だよね」
それってつまり、見たものそのまま自分の意見になるだけだから、逆にいつでもあった方が疲れない、ってこと?
……でもそれって、
「楽しい?」
自分で考えないで言葉が出てくるのも、友達と話すのにもスマホが必要なのも、自分が自分じゃなくていいみたいだ。
常にスマホの中にお手本があって、それに則った動きをしないといけないのは息苦しくて、私は楽しくない……あ、そっか。最近感じていた疲れもこれが原因なんだ。
“楽しくない”
始めの頃は良かったよ、なりたい自分を目指して、普通になれてる自分を実感して、こういう流行りを追いかけるのも新鮮だったし。
でももうそういうことに今はストレスを感じて疲れてる。
このままずっと続いていくなんて嫌だ。今自分がみんなとこうして話してることも、みんなと流行りを目指してることも間違ってないと思うし、普通のみんなに混ざれる、認められる毎日を過ごせるのは良いことだと思うけど、でももう楽しくないんだよ。
だって結局、私自身がどこにも必要ないじゃん。
私の問いに怪訝そうな顔をしたみんなは顔を見合わせると、感じたまま口にした早さで、「わかんない」と答えた。
「暇だから、みたいな?」
「そうそう。楽しいとかじゃなくて普通なんだって」
「普通」
「まーでも嫌だったらやってないしなぁ」
「推しのこと見守るのは楽しいとかじゃないで生き甲斐だし」
「そういう人もいる」
「じゃあ結局楽しいってこと?」
「わかんない。普通の日課みたいなことだしな」
「てか大丈夫? 斗亜なんか今日おかしくない?」
そう言うと、「何かあった?」と、みんながスマホから離れて本格的に私のことを心配し始めたので、慌てて大丈夫だと誤魔化したところで昼休みの終わりのチャイムが鳴り、ホッと胸を撫で下ろした。
――怖かった。
心配したみんなの視線が集まった瞬間、心臓がドキッとした。見つかっちゃったって。そりゃそうだ、これだけ一人で大騒ぎしたんだからバレるに決まってる。私だけみんなと感じてるものが違うこと。
やっちゃったな……なんでこういうことしちゃうんだろ。前回の八木ちゃんの時もそうだった、黙ってればいいだけなのに、答えを知りたいし出したくなっちゃう。わざわざこうして波風を立てる私はみんなのまとまりを崩すし、みんなを否定する存在になってしまう。楽しくない、まで思ってるのがバレちゃったらもう仲間に入れてもらえないかもしれない……こんなのまた前回の繰り返しだ。
自分はなんてバカなんだろうと後悔でいっぱいになっていると、ポンと、席に戻るついでに隣を通った一人に肩を叩かれた。「大丈夫?」と。
「自分も人もそれぞれだし、わかんないのも正解?みたいな。決まった答えとか出ないみたいな時もあるし、あんま考え過ぎない方がいいよ」
そう言って何ごともなかったように通り過ぎていった彼女は多分、慰めてくれたんだと思う。調子悪いんだろうなー、悩んでるんだろうなーくらいの気持ちで、この噛み合わなさを人それぞれだっていう言葉に変えてくれて。
私がどういう考えを持って、どんな心境でこんな質問をしたのかを深く掘り下げないで、信頼みたいな、仲間意識みたいなもので丸くおさめて悪いように取らないでくれたんだ。
優しい。そういう関わり方とか、受け入れ方もあるんだ。絶対一緒じゃなくても良いっていう。
懐が深い人なんだなって心がじんとした。そういう人と出会えたってなると、やっぱり疲れたとしても今までの行いは正解だったってことになるなと思えるくらいには。頑張って普通の中に混ざってきた今までの努力が報われたなって。
努力……努力か。
でもそれって結局、努力して私はみんなにあわせてるだけなんだってことだよね。つまり、努力しないと私はみんなと同じになれないってことだ。だって私にはみんなが言った感覚がわからないから。
私は楽しいかわからないし、疲れるほど一生懸命なわけでもない日常的な惰性でやってることなら、それはただの暇つぶしって呼ぶんじゃないかと思うんだ。みんなで居る今この瞬間も無駄な時間を過ごしてるだけで、お互いにとってこの時間はもしかしたら必要ないんじゃないかって。
だってスマホが一台あれば、そこに居るのはあなたじゃなくても私じゃなくても良いってことだよね?
最後にフォローしてもらえて嬉しかったけど、でもその時に思い知ったんだ、ここはお互いに深く知り合うことを求められてる空間じゃないんだって。
だったらこんなふうに流行りを追ったりSNSに張り付いてても意味ないじゃんって思う。集まった情報であなたを知ることはできないし、私を知ってもらうこともないなら集めることに意味がない。だったら私にとっては楽しくない、疲れてストレスをためるだけの毎日は無駄だ。
みんなの普通の生き方って本当にこういうことをいうの?
……わかんないよ。そう思ってるのは私だけなんだし。
みんなにとっては楽だとか普通だとかただそれだけのことで、当たり前のこと。自分じゃなきゃとか、もっと楽しい方がいいとか、そういう話でもない。
私がそう感じてるだけ。みんなにとっては無駄でもないし大事なことだし、きっと私がそれに気づけてないだけなんだと思う。だってみんなのことを間違ってるとは思わないから。
つまり、みんなと私はお互いの求める正解が違うってだけのこと。捉え方とか感じ方とか体質とか求めるものとか、それは自分達の価値観の話。
なんで? 私って普通だったんじゃないの?
そうなってまた、今度は更に鮮明にあの時の美緒莉の言葉が蘇る。
『斗亜ちゃんみたいな人が普通に生きてみんなの中に馴染めるわけがないって言ってる。その証拠にほら、今回だってこうやって一人ぼっちになったでしょ? いくら忘れたって根っこの部分は変わらないんだからさ、きっとまた同じことになると思うな』
私の見た目はもちろん地味で普通の人間だ。どこにでもいる一般的な。
でも美緒莉は言ってた、私は馴染めないって。
見た目が馴染んでも価値観がズレてるから結局ひとりぼっちになるんだよって、いつか今みたいになるってことを美緒莉はこの時言ってたの?
美緒莉はずっと私がこういう人間だって知ってたの?
何で知ってたかなんて簡単なことだ。だって美緒莉だけは私の過去を知ってるんだから。過去の私はそういう人間で、今みたいに価値観のズレで悩んで、きっと美緒莉に相談していたということ。
……私、美緒莉に心を開いてたんだんだな。
親友だって言われたわけだ。きっとお互いなくてはならない存在だったんだ。あんな約束するくらいなんだから。
美緒莉、今何やってるんだろう。



