美緒莉は私の一番の親友


 高校に入学して一番初めに隣の席になった彼女に、私はその整った顔立ちと頭が良いのだろうとすぐにわかる品の良さから、別のステージの人、という感覚を抱いた。
 だから、駄目だ、私なんかじゃ友達にもなれない。どうにか他に仲良くなれそうな人を見つけてクラスに馴染まないとと、キョロキョロ辺りを見渡して物凄く焦ったんだけど、

「……小山(こやま)さん?」
「! はい!」

 まさかのことに、入学初日限定の机に貼られているテープに書かれた私の苗字を確認して、わざわざ隣の席の彼女が私に声をかけてくれたのだ。

「下の名前は何ていうの?」
「と、斗亜(とあ)です……」
「斗亜ちゃん。私は桐野美緒莉(きりのみおり)です。よろしくね」

 その時のあまりにも美しく微笑む桐野さんの表情に、一般人地味顔ど真ん中の私は気圧されてしまい、つい、「あ、はい……」と、戸惑いの愛想笑いを浮かべてしまう。これはもう反射行動だったから仕方なかったんだけど、

「あ……ごめんなさい。迷惑だった? 私、全然友達が居ないから作り方がわからなくて……」

 そのせいで、桐野さんを声と共に小さくさせてしまう羽目に。途端、とてつもない重さの罪悪感がドスンと頭に降ってきて、それと同じくらいの親近感で胸の中がいっぱいになった。
 だって、私もそうだったから。こういう私とは全然違うステージの人は私と違って勝手に全てが上手くいくものだと思ってたけど、今この入学初日の不安でいっぱいな心境は私も桐野さんも同じなんだってわかったから。
 そうしたら、「私も!」と、自然と言葉は口から飛び出していた。しょんぼりしてしまった桐野さんをなんとか励まそうと思って。

「わ、私も友達作るの下手なんだ。元々友達少なくて、同じ中学の子も居ないし……だから、こうやって声かけてくれて嬉しい」

 私の言葉に桐野さんが目を丸くすると、嬉しそうに笑ったのを今もずっと覚えてる。私達の大事な一番最初の思い出だ。

 それから桐野さんと関わるうちに、彼女は思っていたよりも気さくで、お互いに思ってること、考えてること、受け取る感覚なんかが似ていることがわかって、気づけば自然と斗亜、美緒莉って下の名前で呼び合うようになってて、それで――。

「私、実は記憶にない部分があるんだよね」

 二人で屋上でお昼ご飯を食べている時に、ふと私の秘密を打ち明けていた。それは絶対に誰にも言うなって親に言われた日からずっと言いつけを守ってきた秘密だったけど、なんか、美緒莉にならもう良いやって。

「小学六年生の頃事故に遭ってね、その前後の記憶がぼんやりしてるっていうか、それに繋がる部分が全部抜けちゃってて、なんかこう、ずっと芯が抜けてるみたいな感じなんだよね」
「……事故?」
「そう。公園の前の道路に飛び出しちゃって、それで車に撥ねられて」
「何かを追いかけてたとか、停まってる車のせいで見えなかったとか、そういうこと?」
「ううん。そうじゃなくて、あー……なんていうか、覚えてないんだけどね? 覚えてないんだけど、親が言うにはなんか私、いじめられてたみたいで」

 その言葉に、ハッと息を呑む美緒莉はこの先に続く話の流れに気づいたんだと思う。美緒莉はぼんやりしてる私と違って頭が良いから。だから、「情けない話なんだけどね」と、自分でも恥ずかしく思ってることを前置きした上で、嫌な気持ちにさせるかもしれないけどと思いつつ美緒莉に聞いてもらった。私一人でずっと抱えてきたこの秘密を、一緒に抱えてもらいたい人だと思ったから。

「近くの防犯カメラに偶然私が突き飛ばされるのが映ってたんだって。でも画質も角度も悪くて、同じ年代ぐらいの女の子だっていうのが背丈と服装からわかるくらいしか犯人の手がかりが見つからなかったんだけど、その時の私がクラスでいじめられてたのを親は知ってたから、それで私をいじめてる奴が突き飛ばしたんだって結びついたんだって」
「いじめられてるってわかってたのに、親も学校も突き飛ばされるまで動いてくれなかったの?」
「ここまで大ごとになるようなものじゃないって判断だったらしい……でも結局特定する証拠もないし、その子達も自分のせいだと認めなかったから、全部が親の憶測の話で終わったんだ。だから結局まぁ、どうにもならなかったというか。でももうこんな子が居て許されるのは怖いって、このままここに居たら地域的に中学も同じになっちゃうからって親は引越しを決めたんだ。仕事の兼ね合いもあるから三つ隣の駅の地域に引っ越したってだけだったけど。それからは特に何もなくて普通に部活の子とだけ仲良くしてた中学時代だった。引越し先には私のことを知ってる人も居ないし、私もなんか、誰がとか何されたとかはっきり覚えてないからいじめ自体本当にあったんだっけ?みたいな気持ちだったし。ていうか今もそうだけど。きっと事故の衝撃で全部どこかへ行っちゃったんだよね」
「…………」

 美緒莉は綺麗な顔を険しくさせて黙ってしまった。そうだよね、こんな話されても困るよね。

「だからその、もしどこでいじめてた子と繋がるかもわからないから、この話はもう誰にも言うなって言われてたんだ。その時のことを何も覚えてないのも神様からのプレゼントなのかもって。だっていじめられた過去だけがまるっと記憶にないんだよ? 人生をやり直す、辛い思い出のない私に戻る機会をもらえたんだって、良いことなんだって親は言ってるし、私もそういうものなんだって思ってる。きっとその事故がターニングポイントだったんだよ、私といじめを切り離して前を向いて生きて行くために必要な、仕方ないイベントだったっていうか。記憶がないのはちょっと不便だけど、今は良いことだったって前向きに受け止めてるんだ」

 だから、大丈夫だよ、と、ごめんねこんな話して、の言葉に繋げて美緒莉を宥めようとした、その時だった。

「きっと……それだけ、辛かったんだね」

 それは、しんと冷えたような美緒莉の声だった。

「もう思い出さないように自分の中の防衛本能が働いたのかも……人間って勝手に自分の記憶を改竄するらしいから、そういう働きに近いものが出たのかもしれない。だって命に関わる事件が起こったんだから。一生心に残る傷を斗亜は抱えていられなかったのかも。いじめられて、生まれ変わりたいと思うくらい辛い日々を送ってきて、だからそれを、それまでの全て無くしてしまおうって、脳が判断したのかもしれない。斗亜という命を守るために、仕方なく」
「…………」

 自分の頭の中を見つめるような瞳で、整理しながら説明するようにその仮説を美緒莉は口にした。……驚いた。だって親から説明されたものとほとんど同じ内容だったから。
 私の命を守るための防御反応なんだって、だからこれは私の人生にとって良いことだったんだって捉えて、もうなかったことにしようって、私達の中ではそういう答えが出ていたから。
 でも、美緒莉の出した答えは違った。

「じゃあ、その時確かにそこに居たはずの可哀想な斗亜は、どこへ行っちゃったんだろう」

 ――そんなことを言われたのは初めてだった。

「いじめがあったのに誰にも助けてもらえなくて、必死に耐えて生きてきたその斗亜も、大事な斗亜だったはずだよね。忘れてしまえたから今の斗亜が居る。今の斗亜の願いがあって、生き方がある。でも私はその可哀想な斗亜の願いを叶えてあげたかった。だってこんな、そんな酷いことがあったのに何もないことになって……もうここには何も残ってないなんて」

 美緒莉は、憐れんで、悲しんで、寄り添ってくれたのだ。いじめられていた過去の私を思って。
 でもなんだろう、その気持ちの他に、どこか恨めしく思う美緒莉が居るようにも感じられた。声とか雰囲気とかの些細な変化だけど、まるで何かを、誰かを責めているような……。
 なんで? 何に対してだろう。私をいじめてた人に対して? なかったことにするよう促した親に対して?
 それとも、忘れてしまったまま生きてる私に対して?
 ……わからない。でも何にせよ、謝らないと。

「ごめんね、何も考えないでこんな話をして。美緒莉になら話せるって、勝手に一緒に抱えてもらいたいって思っちゃった……嫌な思いさせてごめん」

 でもね、

「ありがとう。そんな風にいじめられてた私を大切にする受け止め方は、したことがなかった」

 そう。今まで過去の私について深く考えるようなことはなかったし、もちろんその私が何を思ったかなんて考えなくてもわかることだと気にすらしてこなかった。
 だっていじめられてた過去があるのは恥ずかしいことだし、その自分が辛くて悲しい思いをしてたのは考えなくてもわかることで、なかったことになるのが正解なのは当然だったから。
 そのために話題に出すのも避けてきて、親からももうこの件に触れることはなかったのに、まさか、今ここで今までの常識が覆されるようなことが起こるなんて。

「美緒莉の言う通りだ。私は私を蔑ろにしてたのかもしれない。今も本当はあるはずの、大事な私の過去なのに」

 確かにそこに居たはずの可哀想な私と、忘れてしまえたからこそここに居る今の私。
 きっと過去を覚えたままだったら今の私はこんなのんびりぼんやりとした私じゃなかったと思う。きっともっと辛さや苦しみ、悲しみを背負って生きてきた人の形をした私だったのかもしれない。
 ――だけど。

「でもさ、覚えててもいなくても、結局美緒莉の隣に居る私は変わらない私なんだと思う。きっとどちらの私だったとしても、美緒莉に出会って親友になるのは変わらないと思うから」

 だって美緒莉は今、私のこんな話を真剣に聞いてくれて、その中でないことにされていた過去の私を見つけて掬い上げてくれたから。
 そんな美緒莉なんだから、出会った時がどんな私であってもその私は美緒莉のことを信じて自分の中身を晒け出すんだろうと思うし、美緒莉はその私を全力で受け入れてくれるんだと思う。ちょうど今みたいに。

「だから記憶があろうがなかろうが、いつどこであってもきっと美緒莉が居れば私は私で、だから今美緒莉の前に居る私も可哀想な私の未来の答えで、きっと今この時も居なくなったんじゃなくて私の中で眠ってるんだろうなと思ったよ。私を大切に思ってくれる美緒莉が居る限り、私はずっといつのどこで何があった私でもそれが私になるんだと思う。美緒莉の親友っていう名前のついた、私自身に」
「…………」
「だからさ、変わらずこれからもずっとそばに居て欲しいなと思う。美緒莉に」

 私の言葉に、目を潤ませた美緒莉がうんと頷く。それを見ていたら何だか私も込み上げるものがあって、つい涙をこぼしてしまった。

「そうだね、私がちゃんと斗亜のこと知ってる。ちゃんとずっと覚えてる。それが変わらない斗亜で、変わらない私でもあるんなら、これからのことも私に任せてね、斗亜。斗亜の願いは私が叶えるからね。ちゃんと一緒に居るからね」

 美緒莉は私の親友で、私自身の証明だった。
 美緒莉が居ればもう、何も怖くないと思った。
 明日からもずっと、この先の人生もずっと一緒なのだと――……そう思ったのに。

「っ!」

 屋上から戻るために螺旋状の外階段を下りている途中で、美緒莉とぶつかった私は階段から落ちてしまった。運悪く、古くなった柵が崩れていて、そこから一気に地上まで。
 衝撃が身体に走ると息が詰まり、顔のそばでじっとりとした温かさを感じた。身体がお風呂に入ってるみたいに重たくて、鈍い痛みと鋭い痛みの両方に襲われて身動きを取ることができない。

「ごめんっ、ごめん斗亜、痛いよね」

 慌てて駆け寄ってきた美緒莉の声が聞こえる。ぶつかっちゃったから責任を感じてるんだと思う。だから大丈夫だよと声にしようと思ったのに、上手く力が入らなくて、どんどん意識が掠れていって――……

「大丈夫、ずっとそばに居るからね」

 私の横にしゃがみ込む美緒莉の慰める声に心の中で頷きながら、ぷつりと意識が途切れた。


 ――そして目が覚めると、私はいつもの教室で自分の席についていた。