終着駅はおまえと

 ぼくは中瀬川丈流(なかせがわたける)

 あの時まで、中学も高校も、通過駅だと思っていた。
 ゴールはもっと先にある。
 ひとり、終着駅に着いた時、ぼくはやりたいことをやるんだ。
 スポーツも、恋も、旅も。それまでは、勉強一筋。一応「歴史部」にはいってはいる。

 あれは高校1年の2学期のはじめの頃だった。
 昼食の時の教室はうるさいから、ぼくはさっさと弁当を持って屋上に上がり、食べながら勉強していた。

 昼食はいつもおにぎりだ。ぼくのリクエストで、母さんの手作り。片手で持って食べながら、本が読めるからだ。

 ぼくには屋上にお気に入りのベンチがあり、そこは適度に明るく、風も吹いて、第一、誰にも邪魔されない場所だった。

 それなのに。

 そんなある日、あのふたりが現れた。
 屋上にやってきたのは、青山元気(あおやまげんき)佐藤明己(さとうメイ)だった。同じクラスだから顔は知っている。

 青山は長身のイケメンで、テニス部。女子から人気があるが、彼にはすでに決まった女子がいる。それが佐藤明己だ。佐藤はアイドルのような顔をしている。あのふたりはお似合いで、付き合っていることは有名で、みんな憧れている。

 青山がテニスをしているところを見ている佐藤の誇らしい顔、英語のクラスで指名されてたどたどしく英語を読み上げる佐藤を心配している青山の表情——ふたりがどれほど仲がよいかということは、噂には無関心、無関係なぼくでさえも知ってはいた。

 でも、口をきいたことなどない。あの華やかなふたりとぼくとは、共通点も接点もなかった。

「中瀬川くん、ここいい?」
 佐藤がかわいい顔で言ったから、ぼくはうんと頷いた。口が米でいっぱいだったからだ。

 ぼくがふたりを座らせるために横にずれようとしたら、
「いいの、そのままで」
 と佐藤が言って、ぼくの左側に座り、青山が「おっす」と右側に座った。

(これ、なんかおかしくない)

 そう言おうとしたけれど、ふたりはそれぞれにランチを出して、食べ始めた。佐藤のは卵焼きやソーセージのはいった弁当で、青山は袋からパンを出して、かじっていた。カレーコロッケパンだ。ぼくの好きなやつ。においが流れてくる。

「中瀬川くんは、おにぎりっすか」
 と青山が首を伸ばした。

「うん」
 ぼくはどきっとした。彼と口をきいたのが、初めてだったからだ。

(彼がぼくの名前を呼んだ!)

「中瀬川くん、テニス部にはいる気ないっすか」
「えっ、それは全然ないです」
 ぼくは目を伏せた。この筋肉のなさを見てくれと言いたい。

「彼、メンバーが必要なの」
 と佐藤が言った。
「ぼく、やったことないし。誰でもうまくなるわけじゃないだろ」
「なる。おれが教えたら、上手になる。素質は見えてる」
「まさか」
 とぼくは笑った。

「中身は何?」
 と佐藤が覗き込んだ。「えっ、肉?」
「うん。これは夕食の残り」
「自分で作ったの?」
「いや、母親が。だから、食べるまで何がはいっているかわからない。1個目は納豆だった」

「じゃ、3個目は何かしら」
 佐藤の瞳は近くで見ると、茶色っぽい。
「何かな」
「コンビニ以外のおにぎりなんて、長いこと食べていないなぁ。食いてえ」

(そうか、そんなに食いたいのか)

 だから、ぼくは青山と目が合った時、目で合図して、後ろで3個目のおにぎりを彼に渡してやった。すると、彼はもう一個のパンを渡してくれた。
 突然、ぼくがパンを、青山がおにぎりを持っていたので、佐藤が驚いた。

「あら、どうなっちゃったの。3個目、なに?」
 おにぎりの3個目は山菜おにぎりだった。

「中瀬川くんのママ、栄養のこと、よく考えているのね」
「そうかな」
「そうだよ。愛されているよね」
 そう言って佐藤が青山に相槌を求めた。

「うん。おまえんちのおふくろ、働いてるの?」
「うん、シングルマザー。短大の講師やってる」
「すごいな」
「そうかな。青山んところは?」
「うちはおふくろはいない。おれ、おやじと住んでんだ」
「そうか」

「でも、元気のお父さんはずっとタイだよ、仕事で」
「工場、建てている」
「元気はもう3カ月もひとりなんだよ」
「そっか」
「メイのところも再婚で、つまり、おれら3人、誰も両親そろってないわけか」
「今は、そういう子、多いよね」
 と佐藤がぼくにソーセージをくれた。

「ありがとう。なつかしい。これ、タコソーセージだ」
「メイは小さなガキが3人もいて、毎日、自分でみんなの弁当作っているんだ」
「ガキじゃないよ。双子の妹ふたりと弟ひとり。父親違いね。いや、でも、ほんと、ガキだわ。もう手に負えない」

「何歳?」
「4歳と6歳がふたり」
「大変だ」

 気がついたら、ぼくは自然と会話ができていて、自分でも驚いた。その日から、ぼく達は友達になり、すぐに苗字で呼ぶのをやめて、元気、メイ、タケルと呼ぶようになったのだった。



 ベンチの座り順は決まっていて、左から、ぼく、メイ、元気で、元気とぼくはいつもメイの後ろで、食べものを交換した。

 ある時、ぼくがパンを受け取ろうと手を伸ばしたら、その手をぎゅっと握られた。冗談でやっているのだと思ったけど、かなり長い間、握られていた。

 元気のほうを見たら、何もない顔をして、空を見ながら、おにぎりをほうばっていた。

「今日の中身、なに」
 とメイが聞いた。
「昆布」

「そっちのは何?」
 元気はまだぼくの手を握ったままだ。

「1個目がシャケで、これが梅」
「今日のは定番だな。この間、コロッケがはいっていた。おれ、シャケの食いたかった」
「今度、あげるよ」
「サンキュー」
 ようやく元気が手を離した。

 その夜、どうして元気がぼくの手を握り続けていたのか考えながら、手のひらを見つめた。手のひらを頬につけてみる。冗談に決まっている。
 それ以外に、なにがある?

 ああ、テニス部の勧誘か。それは、ぼくには無理だ。


 
 その日はメイが欠席していて、屋上には元気がひとりで現れた。

「おっす」

 ぼく達は並んで座った。元気が近すぎて、腕が触れたので、ぼくが少しずれると、元気がぼくのほうにずれたから、また腕がくっついた。

「メイは病気?」
「いや。あそこんちは子供がよく風邪をひいたりするから、時々、休むけど、メイは元気だ。ははは。元気はおれの名前だ」
「じゃ、どうしたの?」
「ビザの手続きとか。メイは、近くアメリカに行くんだ」
「今時、旅行?」
「いいや」

 メイは父親がアメリカ人のエンジニアで、カリフォルニアに住んでいる。18歳までに2年住まないと、アメリカ国籍がもらえないのだという。

「やっぱり、メイはハーフだったのか」
「気がつかなかった?」
「そうかなとは思ったけど」
「タレントプロダクションから、スカウトされたことも、3回くらいある」

「メイはそういうの、嫌いなの?」
「うん。無視してた」
「メイは英語、できるの?」
「できない。日本に住むから英語なんか必要でないと言っていたし、ひどいものだ」
「じゃ、どうして」
「アメリカになんか行く気なかったけど、あそこんち、ガキが3人もいるし、母親がメイに頼りっきりで忙しすぎる。カリフォルニアの父親が見かねて、呼び寄せたんじゃないかな。メイも悩んだみたいだけど、つい最近、決めたんだ」

「さみしくなるな」
「まぁな。おまえ、テニス部はどうだ? 運動は必要だぞ」



 その週末、ぼくは元気とメイのデートに付き合うことになった。といっても、こぶつき。メイの母親が同窓会に参加するので、3人の子供を連れて、水族館へ行くというものだった。

 メイが双子に、見学する前にトイレに行きたいかと聞くと、行かないというのに、2分後にはひとりが行きたいと言い出し、用を済ませて戻ったら、もうひとりが行くと言い出したりして、てんやわんや。

 メイがどこへでも行きたがる4歳男子の手を引き、元気がひとりの女子、もうひとりをぼくが責任を持つことになった。途中で、4歳児が行方不明になった。

「捜してくるから、ここで待っていて」
 とメイが言うと、ふたりの女子がついていくと泣いたけれど、なんとかアイスでなだめて、クラゲの青い水槽の近くで待つことになった。

「メイは大変なんだ。学校から帰ると、いつもこうなんだから」
 元気の顔が愛しさにあふれていた。

「メイがいなくなると、元気はさみしくなるな」
「さみしくはなるけど、タケルは誤解していないか」
「誤解って、何が」
「おれ達、付き合っていないぜ」
「付き合っているだろ?」

「テニス部の仲間だ。それと、おれ達は幼なじみで、小学校の頃、家が隣り同士。お互いの両親が離婚して、離れ離れになったけど、高校にはいって再会した」
「そうなんだ。ずいぶん、親しそうに見えたけど」
「親しいことは親しいけどさ」
 その時、双子がクラゲに夢中になっているのを見て、元気がぼくに短いキスをした。

(えっ)

「メイとは、こういう関係じゃないから、誤解すんな」
「誤解とか、そういうんじゃないだろ。ぼく達、別に」
「別に、なんだよ」

 その時、メイが弟を背負って戻ってきたので、会話はそこで終わった。



 電車を降りると土砂降りで、眠たがっている3人の子供を歩かせるのは無理なので、メイはタクシーで帰ることにした。

「ふたりは、大丈夫?」
「おれたちのことは心配ない。早く帰らないと、風邪をひいたら大変だ」
 ぼく達は4人をタクシーに乗せた。

「少し、待つか」
「予報では、降るって言ってなかったのにな」
「なんか、止みそうにない」
 と元気が暗い空を見上げた。「待つか、走るか」

「家はどこ?」
 元気の家は遠くて、ぼくのアパートのほうが近いことがわかった。
「じゃ、うちまで走ろう。走れるか」
「おれ、テニス部だぜ。おまえこそ大丈夫なのか」

 家に着くと、ずぶ濡れになったぼく達を見て、母さんが大笑いした。

(ここは笑う場面か。心配するものではないか)

「冷えたでしょ。まずはお風呂にはいってきなさい。その間に、夕食作るから。特別においしいもの」
「はい」
 と元気が元気な返事をした。

「タオルと着替えは出しておいたから、タケル、一緒にはいっちゃいなさい」
「一緒っすか」
 と元気。

(ぼくは、いやだよ)

「お湯と時間の節約にもなるし。何も女子とはいるわけじゃないんだから、恥ずかしがることないでしょ」
「ないっす。おれ、テニス部の合宿でいつもやってますから」
「そうよね。タケル、いい機会だもの。背中を流してもらえばいいでしょ」
 ぼくは恥ずかしがっているのも変なので、仕方なく、脱衣所まで行った。

(あいつが出てくるのを待てばいい)

「おまえのおふくろ、進んでいるな」
「進んでいるんじゃなくて、無知なんだよ。先にはいってくれ」
「タケルは」
「おまえが出てきたら、交代だ」

「おまえ、恥ずかしがっているのか」
「まさか」
 その時、元気がいつものようにぼくの手を握ったかと思うと、引き寄せて、またキスをした。

(今日はこれで2度目だ)

「すぐに、はいってこいよ」
 元気はそう言って、風呂場にはいって行った。ドアの曇りガラスに、彼の身体が映っていた。鼻歌が聞こえてきた。

 ぼくはいつまでもそこに立っているわけにはいかないから、服を脱ぎ、ドアをあけて、おそるおそる中にはいって行った。
 元気はバスタブにいて、ぼくを見上げていた。髪が乱れて、頬が少しピンク色になっている。

 ぼくもじろじろ見たけど、元気もじろじろ見た。あっちはバスタブの中だけど、こっちはすっぽんぽんときている。

「元気、やめろ。こっちを見るな」
「そんなに隠してはいってこなくても、いいだろ」
「やだよ」
「寒いだろ。はいってこい。はいる前に、よく洗えよ」
「うるさい奴だな」

 ぼくはバスタブにはいって、にやにや見ている元気にお湯をかけてやった。
「やったな」
 と元気も負けずにお湯をかけたから、ぼくももっとかけてやった。
 元気がぼくの首を押さえて、バスタブの中にぐっとつけたから、ぼくはもがいて、手足をばたばたさせた。

「あんたたち、お風呂で遊ばないで」
 という母さんの声が聞こえた。

 元気が手を離したので、ぼくはようやく息ができた。
「おまえ、殺す気かよ」
「しーっ」

 元気は人差し指を自分の唇に当てた。そして、近づいてきて、またキスをした。
「おまえ、キス魔か」
 とぼくが睨んだ。

「おまえはきらいか。きらいなら、もうしない」
「……きらい、ではないけど」
 どうしてそんな返事をしたのかわからない。でも、きらいではないのは本当だ。

 風呂から上がると母さんが「これ」と牛乳を差し出した。
「冷たくて、うまい」
 と元気。「おまえのおふくろ、気が利くな」
「普通だろ」

「口についている」
 元気が、ぼくの口の周りについたミルクをタオルで拭いた。
「やめろ。子供じゃないぞ」
 母親が見ていて、ふふふと笑った。
「元気さんのようなお友達ができて、本当によかったわ。タケルにはこれまで勉強ばっかりで、友達がいなくて、いつもひとり。だから、将来、どうなるかしらって心配していたのよ」

「そんなの、余計なお世話だよ」
「おばさん、おれ、タケルの世話をしますから、心配しないでください」
「おまえ、うるさい」
「私ね、タケルが大学卒業するまで懸命に働こうと決めているの。でも、卒業したら勤めをやめて、バックパック背負って、世界中を旅するのが夢なの。その時、タケルをひとりにしておけないと思っていたけど、でも、元気さんがいるなら」

「まかせてください。おれも、弁護士になるつもりですから」
「そんな話、聞いてない。おまえ、テニス選手じゃないのかよ」
「あれは無理。おれは、どんなにがんばっても、世界レベルにはなれない」
「弁護士にはなれるのかよ」
「がんばるっす」
「そうなの。すばらしいわ。うれしいわ」

「何なら、早めに旅行に出かけてもいいですよ。人生は一度ですからね。タケルのことはおれにまかせて」
「本当?」
「本当ですよ。おれ達もいつか」
「えっ」
「いや、何でもないです」



 というわけで、なぜか元気は母さんの信頼を得たようで、ぼくは戸惑った。元気を嫌いかというと、嫌いではない。好きかというと好きだ。

 最初に元気を見た時、あまりにかっこよすぎたし、かわいいガールフレンドがそばにいたし、こんな人間と友達になれるはずがないと思っていたのに、それがあちらからやって来た。

 ある日、元気が真剣な顔で言った。
「タケル、T大学の一番やさしい学科はどこだ」
「どうしたんだ」
「タケルと同じ大学に行きたいと思ってさ」

「別に同じ大学に行かなくても、同じ東京に住んでいるんだから」
「行動範囲を同じにしたい。いつも一緒にいたいんだ。いやか」
「いやじゃないけど」

「おれ、がんばれば法学部にはいれるか」
「本気だったのか。この間、言ったこと」
「本気だ。できればタケルと同じ大学に行って、弁護士になりたい」
「なって、どうするんだよ」
「できたら、同じ事務所で働いて、いつか、タケルが弁護士事務所を持ったら、雇ってほしい」

「どういう思考なんだよ。朝から晩まで一緒だと、かえって、疲れてしまわないか」
「それが不思議とならないんだよ。タケルとなら」
「ぼくとなら」
「うん。いつか、タケルの母さんみたいに、世界旅行をしたいな、ふたりで」



 あの風呂以来、ぼく達はキスをしていない。

(きらいというわけではないのだし、考えることはあるのだが、はまりそうでこわいのだ。だから、ぼくは避けている。勉強に集中しなくっちゃ)

 ある日、元気はぼくにテニスを教えると言った。

「勉強ばかりでは身体に悪い。運動が必要だ。習いたいか」
「やったことがない」
「じゃ、教えてやる。おまえが1ポイントでも取れれば、キス1回だ」
「なんだ、それ」
「でも、信用おけねー」
 と元気が叫んだ。「おまえはわざとポイントを取らないようにするかもしれねー」
「しないよ」

「じゃ、これはどうだ。おれが期末テスト、どの教科でも40点以上とれたらキスで、50以上なら、それ以上」
「70と80でいけよ」
「60と70」
「うん」
「よし、がんばる」



 いつもの屋上に、元気がやってきた。

「メイから写真が届いたぞ」
「おお、ドレス着て、めかしている。もうアメリカ人だな」
「プロムといって、高校のパーティだ。こいつがデートの相手だ。ジャックと言うんだ」
 隣りに映っているブラッド・ピットみたいな男子を指さした。
「ジャック、かっこいい」

「おっ、キスしている写真があるじゃないか」
「返事を書こう。そうだ、タケルをテニス部にゲットしたことを知らせよう」

 元気は送信すると、こっちこっちとぼくを呼んだ。
「こっちに来いって」
「なんだよ」
 ぼくが近づくと、元気はぼくの顔をぐっと引き寄せてキスをして、片手で写真を撮った。

「こういうの、まずいだろう」
「なにがさ。おれは平気だ。おまえは、何か言われたら困るのか」
「いや、そういうわけじゃないけど」

「これ、上手く撮れてない。角度悪すぎ」
 と元気が何度か撮り直した。

「We love each other」
 元気がそう書いてメイに送信した。

 待っていたかのようにすぐにリプライがきた。
「I knew, since you guys held hands in my back。ばか」

(知っていたよ。あの後ろで、ふたりが手を握りあっていた時から。ばか)
 と書いてあった。
              

               了