芦屋さんは恋する悪陰陽師 ※ただし呪詛は本気です。

「菊花さん…!」
「あ、芦屋…⁉︎」
バッ!と津島が振り返り、菊花さんと距離を取ろうとする。後ろの僕にドンッとぶつかり、津島は無理矢理方向を変えた。その結果、足をもつれさせて尻餅をついた。そのまま、手足をバラバラに動かして後ずさる。
「津島さんを最初に狙ってもよかったんですが…いじめの主犯である貴方のまわりにどんどん不幸が訪れる…いつか、自分の番がくるのではないかという恐怖も味わってもらおうと思いまして。」
美しく笑う菊花さん。美しさと恐怖で思考が固まる。菊花さんが、津島に一歩近づく。津島は悲鳴をあげた。
「ひぃぃい‼︎なんなんだよ、お前ら!おかしいだろ!消えろよ‼︎」
ぐしゃぐしゃと頭を掻きむしりながら、津島が叫んだ。恐怖でキャパオーバーになっているみたいだ。
「……右梗様。わたくしはおかしいのですか?」
「…え?」
菊花さんが、津島の言葉を聞き、僕に問いかける。
「え、えっと…。」
言い淀んでいると、菊花さんが口を開いた。
「おかしいんですよね。分かっています。変なことをするのはやめろ、と右梗様も言っていましたから…。」
ふぅ、と小さく息を吐く菊花さん。
「でも、右梗様は、わたくしと同じ。」
菊花さんが、うれしそうに微笑む。
「わたくし、右梗様に出会ってから、調子がいいんです。眠っていたものが目覚めていくみたいに。普段は成功しないような呪詛も次々と成功して…。まるで右梗様のために力を手に入れたみたい。」
菊花さんが、歌うようにうっとりと言う。
「でも…僕は菊花さんみたいな力は……」
菊花さんが『安倍晴明』の魂があると言っているだけで、僕自身には菊花さんと出会ったことでの変化は、ないはずだ。
「……わたくしが火を操ったことに気づいてくれたじゃないですか。」
僕は息を呑んだ。その言葉を理解するのに、どれくらいの時間を要したんだろう。静かな時間が続く。呪詛がつかえることだけが力ではなく、見えるということそのものが異変だったんだ。
「もしかして、クラスのみんなが驚かなかったのは…」
「クラスメイトには普通の火に見えたんだと思いますよ?でもわたくしが、火を操ったのは事実。右梗様が水をかけなかったら、真っ黒焦げだったかも…」
くすり、と菊花さんが笑った。イタズラをしたような笑い方だけど、もしそうなっていたらと思うと、汗が止まらなかった。僕が固まっていると、津島が動いた。
「…っく!」
津島が四つん這いのまま、菊花さんから逃げようとする。しかし、菊花さんの動きの方が早かった。津島が行こうとした方向に足を出す。菊花さんの長い足が、津島の肩に当たり、津島はひっくり返るように後ろに転けた。
「津島さん。お待たせしました。」
「なっ…なっ…⁉︎」
蹴られた肩をおさえながら、津島が怯えた表情をする。
「先ほど『消えろ』と言いましたっけ?では、()()()()消えていただきましょう。」
菊花さんがそう言って、さらに一歩、津島に近づいた。
「ひぃぃぃい‼︎」
津島が悲鳴をあげて、ガチガチと歯を震わせる。腰を抜かしたのか、逃げることも出来そうにない。
「どうやって消すのがいいかしら…あぁ、蛙を殺すように、呪詛を込めた葉っぱを当てて、潰して見せましょうか?この呪詛、晴明様がやったことの中でも、きっと難しいのに……ふふ、今なら晴明様が出来たこと全部、わたくしにも出来そうな気がします。」
そう言って、ぷつり、と近くに生えていた植物の葉を千切る。細く白い指が千切った葉をくるりとまわした。
「…人も潰れるときは『びちゃり』と音がするのかしら。」
葉を見ながら、興味なさげに恐ろしいことを呟く彼女。
「菊花さん!やめて!殺すなんて駄目だよ!」
僕が叫ぶと、ゆっくりとこちらを向く菊花さん。
「なぜ?自分の言葉には責任をもたないと。人を呪うなら呪詛返しされることを考えとくべきでは?」
まるで当然とでも言いたげだ。駄目だ。この世の普通では、彼女を止められない。
「……っ、僕が自分でどうにかすると言ったら?」
ピタリ。彼女が動きを止める。期待を込めた目が、僕を見た。菊花さんは安倍晴明に惹かれている。『安倍晴明』の魂を持つ僕が呪詛を使うかもしれないということに、興味があるのだろう。
「それは…」
菊花さんが、僕と津島を交互に見る。
「ごめん!謝るから!だから、見逃してくれ!」
津島が叫んだ。その声で菊花さんの意識は、また津島に向いてしまう。菊花さんの視線は、冷たく津島に突き刺さった。
「わたくしに謝られても…。それに。」
菊花さんが、津島の目の前にしゃがんだ。
「やったことや口から出た言葉って…戻せないんですよ?」
ツツ…と手に持っていた葉で、津島の喉を撫でた。
「……ひぃっ‼︎」
津島の喉から引き攣るような音がして、ビクリと痙攣したあと、バタリと倒れた。
「津島…⁉︎」
僕は焦った声で津島の名前を呼ぶ。
「あら、気絶。わたくし、まだ何もしてません。」
菊花さんは、あきれたように、ふぅ…とため息をついた。手に持っていた葉っぱをピッと捨てる。確かに津島は気絶しているものの、息はしているようだ。僕は安堵のため息を漏らした。
「……二人きりになっちゃいましたね。」
菊花さんが僕に言った。気絶した津島は、いないものとみなすらしい。
「もうわたくしと一緒にいるの、嫌になっちゃいましたか…?」
灰紫の目が僕を見た。風が吹き、菊花さんの黒髪が菊の髪飾りと共に揺れる。

―――菊花さんは、また何か僕を試しているのだろうか。日が暮れた校舎裏。一番暗いのは彼女の瞳。『安倍晴明』に執着する菊花さんの狂った信仰心は恐ろしい。しかし、憂鬱な日々を変えてくれたのも、菊花さんだった。僕は言葉を紡ぐために深く息を吸った。