芦屋さんは恋する悪陰陽師 ※ただし呪詛は本気です。

「僕は……菊花さんと一緒にいたいよ。」
菊花さんの目を見て伝える。緊張した目でこちらを見ていた菊花さんが、ほっとしたようなうれしそうな表情になる。
「…菊花さんは、おかしいし、怖いところもある。僕はまだ『安倍晴明』も『蘆屋道満』も『呪術』もピンときてないし。」
ピシ…と表情が固まる菊花さん。
「でも、菊花さんと…久しぶりに人と一緒に食べるお弁当は美味しかった。二人で図書室で本を探すのも、移動教室に行くまでに歩いて話す時間も……全部全部楽しかったんだ。」
陰陽師のことを話す以外は、なんてことない普通の女の子。僕の前だけだけど、ころころ変わる豊かな表情。僕は蘆屋道満の魂に縛られた『菊花さん』を救いたい。安倍晴明への信仰で狂う『彼女』を救いたいのだ。

「それは…これからも一緒にいてくれる…ということでよろしいのでしょうか…?」
菊花さんの固まった表情が、ゆるくほどける。
「うん。」
僕は、小さく笑って頷いた。きっと今の菊花さんは、僕が救おうと手を伸ばしても、その手は握ってくれない。なら、ちゃんと『安倍晴明』と『蘆屋道満』ではなく、『安倍右梗』と『芦屋菊花』になれるまで、僕は菊花さんの隣にいよう。
「右梗様!」
「わっ!」
菊花さんが僕に抱きついた。あの屋上のときと同じだ。でも僕は彼女を引き剥がすことはしなかった。……かと言って、抱きしめることも出来ないのだけれど。しばらくの間、菊花さんは僕に抱きついていた。僕は緊張で何も出来ず、両手をあげたまま、菊花さんの紫の菊の髪飾りを見つめ続けていた。

「さて、とりあえず、どうしようか…。」
僕はつぶやく。菊花さんが僕からやっと離れたので、倒れている津島を見た。気絶したままの津島。少し考えてから、鞄から水性ペンを取り出す。
『今日のことは他言するな。いつだってお前を見ている。』気絶した津島の手にそう書いた。
「これでよし。」
「呪わないんですか?」
僕に言う菊花さん。赤い唇を尖らせて、少し不満げだ。
「これが僕の呪詛だよ。津島は、当分僕たちに怯えて生きることになるんだ。」
「右梗様なら、きっともっとすごい呪詛をつかえると思うのですが……」
ぶちぶちと小さく文句を言う菊花さんの言葉は聞かなかったことにする。
「帰ろっか。一緒に。」
僕がそう言うと、文句を言っていた菊花さんがうれしそうに顔を輝かせた。

―――帰り道。空が暗くなって人通りも少ない。まるで二人きりの世界のようだ。暗闇に溶けてしまいそうな菊花さんの隣を歩く。
「あの…右梗様…」
「ん?なに?」
ぴたりと足を止めた菊花さん。僕も同じように足を止めた。
「……わたくし、これからも精進いたします!晴明様が目指した『悩みのない平和な世界』のために!」
菊花さんは、そう言った。僕は望んでいるわけではないけど、菊花さんの中の『安倍晴明』はそれを望んでいるのだろう。彼女がその気になれば、この世の悩みの原因を全て消し去ってしまうことも可能なのかもしれない。それは、人道的ではない方法で。
「それに、右梗様には、早く『晴明様』の魂に気づいてもらわないと!」
不健康なほどに白い肌が、高揚して、頬だけ赤く染まる。何もかも僕が望んでいない状況に、僕は頭を抱えた。
「菊花さん…。」
「はい?」
名前を呼んだが、彼女を止める言葉が、『今は』見つからない。彼女は、自分自身の正義を信じているのだ。きょとんと不思議そうな顔で、菊花さんが僕を見つめた。
「……これからも僕と一緒にいてね?」
僕がどれくらい彼女が呪詛をつかうときのブレーキになれるか分からない。それでも彼女を止められるのは僕だけなのだ。菊花さんはパチパチと瞬きをした。そして、花がほころぶような笑顔を見せる。
「えぇ!もちろん!『安倍晴明様』の魂をもつ右梗様がわたくしの全てですから!」
菊花さんは力強く言った。まだまだ僕たちは、『安倍右梗』と『芦屋菊花』にはなれないようだ。彼女の目には、僕…いや、僕の中にいるらしい『安倍晴明』しかうつっていないらしい。

―――あぁ、僕は、この悪陰陽師から、世界を守れるのだろうか。狂気に取り憑かれた彼女を止めることが出来るのは、おそらく僕だけだ。風が菊花さんの紫の菊の髪飾りを揺らす。怪しくも花のように微笑む彼女は、この世の全てを狂わせるように美しいのだった。