事の始まりは、高校一年の冬。
その日、ストーブもない部室で僕は寒さに震えながらキーボードを叩いていて、直樹はそんな僕に付き合ってくれていた。窓の外には雪が降っていて、窓際の席にいる直樹も寒そうに肩を震わせていた。
「なあ、先帰っていいよ。ここ、寒い……」
さすがに申し訳なくて、直樹にそう言ったときだった。
椅子の上で立膝をしながら本を読んでいた直樹の頬を、するっと透明な雫が滑り落ちた。
窓からは、雪によって乱反射した光が射しこんでくる。その眩い光に照らされた涙が、滑らかな頬を銀色の煌めきを宿しながら、すうっと滑っていく。顎を伝い、ひら、と空気中に雫が舞ったところで、長い指が伸びてすっと頬を拭った。その瞬間、思った。
……こいつってこんなに綺麗だったんだ。
「やべ、泣いちった」
視線に気付いたのか、直樹が照れ笑いをする。あまりにもいつも通りの顔をされて、僕はとっさに目を泳がせた。
「そ、それ、なに、読んでたの」
「んー? 今年のうちの部誌」
言いながら直樹が、持っていた冊子をすっと持ち上げる。桔梗の花が一輪、表紙に咲いていた。直樹の言葉通り、今年文芸部のみんなで作った部誌だ。
「そんな泣けるの、あった?」
そもそもクールなこいつがこんなふうに泣くなんて意外すぎて、声が上ずってしまう。直樹は僕の異変になど気付きもしない顔で、ん、と短く頷く。部誌がぱらぱらとめくられ、開かれたページを長い指がなぞった。
「あったよ」
「どれ? 誰の?」
「お前の」
端的な返答に息が……止まった。直樹の視線はまだ開いたページに落とされたままで、声もまた文字を辿りながらのような、静かなものだった。
「お前が書いたファンタジー。兄と妹の禁断の恋の話。兄がもう戻れないのわかってて戦いに出ていくシーンがすごくぐっときた」
「それ……前に読んでくれたじゃん。そのときは泣かなかったくせに」
「あのときは厳しい目で読んでアドバイスしなきゃって思ってたし。ってかこれ、前より相当推敲してんじゃん。もはや別物だって」
……瞬間、いらっとした。
僕は、文芸部の中で公募勢ではあるけれど、実力的にはまだまだだ。それを自分でもわかっている。
しかもうちの文芸部は実力者ぞろいなのだ。「創作は趣味♪」なんて言いながら、僕よりも質の高い作品をばんばん書く人達が複数いる。そんな猛者達と一緒に部誌に載せられる。それは僕にとってまあまあのプレッシャーで、ぶっちゃけ、部誌を見ると自己評価が駄々下がってモチベーションに影響するので、怖くて見たくないとさえ思っていた。
だから……そんな強豪ひしめく部誌の中から、あえて僕の作品を、しかも複数回読む意味が僕にはわからなかった。
「ファンタジーなら羽鳥先輩ののほうが泣けるだろ。僕のでなんて泣けるわけ……」
「お前が俺の涙を否定するな」
強い声に遮られ、僕は口を噤む。その僕の目を見据えたのは、直樹のまだ幾分赤い目だった。
「俺はもっと読みたいよ。綾斗が書いた話。だからもっと書いて。んでいつか、お前の話を俺にコミカライズさせて」
「は?! コミカライズ?!」
「うん」
軽やかに頷いてから直樹は頬に残っていた涙を乱暴に手の甲で払う。無造作なその手つきにわずかに残念な思いを抱いてしまったのはなぜだろう。
息を詰めて見つめる僕の前で、柔らかく目が細められる。そして。
「約束な」
涙を纏ったしっとりとした笑顔が、ふわりと咲いた。
……その瞬間、僕の心の中で直樹の居場所が変わった。
それまではただの友達だった。ただのクラスメートで部活仲間だった。なのに、あの涙と笑顔を目にしてから、普通の目でなんて見られなくなってしまった。
変だって思う。あんなことでって。でもだめなのだ。
見つめるのを、やめられない。
当の直樹は僕に対して特別な感情なんて微塵も持っていないのに。
この気持ちを直樹に知られたしまったら、どうなっちゃうんだろう。
考えただけで、怖かった。
だから、僕は今日もそっと目を伏せる。
ほんのり汗ばんだ彼の喉仏から必死に視線を引き剥がし、彼の批評に意識を向ける。
一体どんな語り口でこき下ろされるのか、とぷるぷるしながら。
「うーん」
落ち着こうと躍起になっている僕の耳に、唸り声が滑り込む。次いで、モニターに落とされていた直樹の目がすっと上がり、ぱたん、とノートPCが閉じられた。
「綾斗って、嘘つくの得意?」
その日、ストーブもない部室で僕は寒さに震えながらキーボードを叩いていて、直樹はそんな僕に付き合ってくれていた。窓の外には雪が降っていて、窓際の席にいる直樹も寒そうに肩を震わせていた。
「なあ、先帰っていいよ。ここ、寒い……」
さすがに申し訳なくて、直樹にそう言ったときだった。
椅子の上で立膝をしながら本を読んでいた直樹の頬を、するっと透明な雫が滑り落ちた。
窓からは、雪によって乱反射した光が射しこんでくる。その眩い光に照らされた涙が、滑らかな頬を銀色の煌めきを宿しながら、すうっと滑っていく。顎を伝い、ひら、と空気中に雫が舞ったところで、長い指が伸びてすっと頬を拭った。その瞬間、思った。
……こいつってこんなに綺麗だったんだ。
「やべ、泣いちった」
視線に気付いたのか、直樹が照れ笑いをする。あまりにもいつも通りの顔をされて、僕はとっさに目を泳がせた。
「そ、それ、なに、読んでたの」
「んー? 今年のうちの部誌」
言いながら直樹が、持っていた冊子をすっと持ち上げる。桔梗の花が一輪、表紙に咲いていた。直樹の言葉通り、今年文芸部のみんなで作った部誌だ。
「そんな泣けるの、あった?」
そもそもクールなこいつがこんなふうに泣くなんて意外すぎて、声が上ずってしまう。直樹は僕の異変になど気付きもしない顔で、ん、と短く頷く。部誌がぱらぱらとめくられ、開かれたページを長い指がなぞった。
「あったよ」
「どれ? 誰の?」
「お前の」
端的な返答に息が……止まった。直樹の視線はまだ開いたページに落とされたままで、声もまた文字を辿りながらのような、静かなものだった。
「お前が書いたファンタジー。兄と妹の禁断の恋の話。兄がもう戻れないのわかってて戦いに出ていくシーンがすごくぐっときた」
「それ……前に読んでくれたじゃん。そのときは泣かなかったくせに」
「あのときは厳しい目で読んでアドバイスしなきゃって思ってたし。ってかこれ、前より相当推敲してんじゃん。もはや別物だって」
……瞬間、いらっとした。
僕は、文芸部の中で公募勢ではあるけれど、実力的にはまだまだだ。それを自分でもわかっている。
しかもうちの文芸部は実力者ぞろいなのだ。「創作は趣味♪」なんて言いながら、僕よりも質の高い作品をばんばん書く人達が複数いる。そんな猛者達と一緒に部誌に載せられる。それは僕にとってまあまあのプレッシャーで、ぶっちゃけ、部誌を見ると自己評価が駄々下がってモチベーションに影響するので、怖くて見たくないとさえ思っていた。
だから……そんな強豪ひしめく部誌の中から、あえて僕の作品を、しかも複数回読む意味が僕にはわからなかった。
「ファンタジーなら羽鳥先輩ののほうが泣けるだろ。僕のでなんて泣けるわけ……」
「お前が俺の涙を否定するな」
強い声に遮られ、僕は口を噤む。その僕の目を見据えたのは、直樹のまだ幾分赤い目だった。
「俺はもっと読みたいよ。綾斗が書いた話。だからもっと書いて。んでいつか、お前の話を俺にコミカライズさせて」
「は?! コミカライズ?!」
「うん」
軽やかに頷いてから直樹は頬に残っていた涙を乱暴に手の甲で払う。無造作なその手つきにわずかに残念な思いを抱いてしまったのはなぜだろう。
息を詰めて見つめる僕の前で、柔らかく目が細められる。そして。
「約束な」
涙を纏ったしっとりとした笑顔が、ふわりと咲いた。
……その瞬間、僕の心の中で直樹の居場所が変わった。
それまではただの友達だった。ただのクラスメートで部活仲間だった。なのに、あの涙と笑顔を目にしてから、普通の目でなんて見られなくなってしまった。
変だって思う。あんなことでって。でもだめなのだ。
見つめるのを、やめられない。
当の直樹は僕に対して特別な感情なんて微塵も持っていないのに。
この気持ちを直樹に知られたしまったら、どうなっちゃうんだろう。
考えただけで、怖かった。
だから、僕は今日もそっと目を伏せる。
ほんのり汗ばんだ彼の喉仏から必死に視線を引き剥がし、彼の批評に意識を向ける。
一体どんな語り口でこき下ろされるのか、とぷるぷるしながら。
「うーん」
落ち着こうと躍起になっている僕の耳に、唸り声が滑り込む。次いで、モニターに落とされていた直樹の目がすっと上がり、ぱたん、とノートPCが閉じられた。
「綾斗って、嘘つくの得意?」



